本日もご訪問ありがとうございます。
前回は老化についてのことを書きました。
今回は老化とはちょっと違うのですが、世代について感じたことを書いていきますね。
少し前の記事で『ラップスタア誕生』のことを書きました。
その番組の最新回でShowyRENZOさんという方がフルパフォーマンスをされていました。
そのパフォーマンス中に感じたことがあります。
「若い方はとってもナチュラルに『悟り』や『第三の目(サードアイ)』といったスピリチュアルな価値観を体内に入れているな」
思えば釈迦坊主さんもです。
ですがちょっと調べたところ釈迦坊主さんはわたしと同世代みたいですね。ほぼ同い年。
わたしがしっかりとスピリチュアルに傾倒したのは2018年?くらいのことだったのですが、思えばそれより前から目に見えないものはあると感じていたように思います。
いやわたしがスピリチュアルに傾倒した経緯なんて関係なくて、スピリチュアル性に目覺めた時は「何かしらのきっかけ」があったことを記憶しています。
ですが、2021年現在で25歳よりも下の若い世代の方は、そのスピリチュアル性が標準装備されているように思うんですよね。
幼い頃からデジタル機器が生活圏内にあり、デジタル機器に親しみ深く育った世代はデジタルネイティヴ(1990年以降の生まれ)と言われますが、その様式がスピリチュアルに適用されているように思います。
1995年以降生まれの方はスピリチュアルネイティヴなのではではないか、というわけです。
1995年は地下鉄サリン事件が起きたころで、'95年に日本文明に変わった年なんても言われていますが、事件とスピリチュアル性を開花する人が増えた理由と相関があるかはわかりません。知りません。
そういった『時代の特性』?みたいなものは、先に生まれた人からすれば『インストールする必要』がある価値観であったりします。
デジタルネイティブは1990年以降生まれの方が適応されるそうですが、1990年以前に生まれた人は「デジタルに触れて使い方を知る必要」があります。
そういった『価値観をインストールする必要』というのが、ある程度長く生きることによって増えていくのだろうな、と感じます。
「新しい価値観」についていけなくなる、そうなることが老化の一歩なのだな、そのような「新しい価値観」に馴染めない場合や、つっぱねて古い価値観に固執するということが、『嫌われる年長者』になっていく原因なんだろうなと思った次第です。
しかし『嫌われる老人になること』が老人のあるべき姿でもあるように思うから、過去の古い価値観に固執するのもそれはそれで自然とも言えるのかもしれません。
とはいえ、『老人は嫌われてなんぼ』と思うのは"開き直り"以外の何物でもないとも思う。
煩悶の日々〜〜。
米「若い世代はスピリチュアルを初期OSとして搭載している」は実際にあると思うのですが、もちろん若い世代にも個人差はあると思います。
のんびりと年をとりながら、のんびりと窮屈さを感じていきましょう( ¨̮ )
年齢が上がることを『歳を取る』と表現するのか『歳を重ねる』と表現するのかで、実年齢の違いが出るのではないかと感じた次第( ¨̮ )
ありがとうございました( ¨̮ )