頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

2022年ベスト級のJKインド本

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

今回は久しぶりに『今週のお題』でも扱ってみます。

 

今週のお題「買ってよかった2022」

 

 

ポップさで擬態

最近、本屋さんである一冊と衝撃的な出会いを果たしました。

『JK、インドで常識ぶっ壊される』という書籍です。

 

「日本で生まれた女性が、父親の転勤を期にインドへ引っ越し、女子高生期間をインドで生活する」という内容の書籍です。

 

 

ある日、その時に読んでいた本を家に忘れて外出してしまったので、急遽本屋さんに行って面白そうな本を探していたところ、この書籍と出逢いました。

 

装幀が非常にポップですので、何かと軽く観られがちなのではないか、と思うのですが、その実、これがまたなかなかに内容が詰まっていて、ギャップに魅了されます。

 

まず読み始めで思ったのが、『読ませる文章の書き方がとてもとても巧い』ことです。

著者の熊谷はるかさんは2003年生まれなのだそうで、JK(女子高生)期間はついこの間、という感じなので、若い世代的な文章の書き方をしている(同世代が読んでも楽しめるように、と意図的に文体をポップなものにされたそうです)のですが、その文章がとっても軽快に書かれておりながらも、軽妙な文章の端々に著者の聡明さを強く感じました。

 

そう、聡明さ。

 

この熊谷はるかさんは、おそらく相当に頭が良い方であると感じます。

 

 

インテリジェンス

どうしてそう思うのかというと、先ほども言及しましたが『読ませる文章の作り方が巧い』

一見はポップな文章なのでサクサクと愉しく読み進めることができますが、その文章に散りばめられた形容や、用いられている言葉にきらりと強く光る知性を感じます。

 

また『自己という内から外の世界を見た際の、その世界への解像度・分析力が高い』こと。

そして、『異世界と対峙した際に、自分の内側で起きた感情の機微を観察して内省する能力が高い』こと。

 

インドへ到着し、インドの空港で〈異世界〉と対峙するわけですが、その場所で見えたものに対して観察し、観察によって得た感慨が記されているわけですが、その一つ一つに対しての分析が深い。

空港やレストランでは仕事の振り分けがされているのですが、その仕事の種類によって制服が違うのは日本でもあるように普通ですが、その仕事内容によって従事している方の肌色のコントラストが違うことや、市場に並ぶ店の奥、誰でも目につく場所で屠殺が行われていること。

野犬(ニュアンスとしては町全体の地域犬的な感じなのだそう)や牛さん、アヒルの親子などが町中を自由に闊歩していたり、『自然が自然として』存在していること。

 

 

著者は現地のインターナショナルスクールで學生生活を行うのですが、その場所柄、色々な人種の方と識り合います。

そこで出会った黒人の少女に「Where are you from?(ご出身は?)」と質問したところ(インターナショナルスクールという場所の特性柄、半ば普通の挨拶としてそう質問をするのだそうです)、「インドだよ」と返答が来そうです。

 

「そうなんだー」と受け答えをしながら、著者は『しまった』と思われたそう。

なぜかというと、その少女の肌は色が濃いめであったかららしく『この方は肌の色が濃いから、アフリカ系かな』と勝手に予想されていたとのことで、その勝手で浅はかな思い込みで自己嫌悪になられたのだそうです。

 

また屠殺風景を隠すわけでもない市場の店々に対しては、著者自身が鳥類を得意としていないこともあって、苦手意識を持たれていたようですが(ニュアンスとして、間違っている表現をしているかもしれません)、その場面を見たことで『自分のこの生命というのは、他の生命を殺めてまで生きているのだ』という大原則を強く思ったそうです。

そしてまた、インドの方々はその大前提を受け入れている。それによって食べることと、その恩恵である生命を繋ぐことへの深い有り難みを感じている。

日本の様に〈死は忌むもの〉として隠したりしていない。

 

個人的に思うのですが、『〈死を忌むもの〉と隠している』から、自死を選択する方が多いのではないでしょうか。

生も死も、あるべきサイクルの一つです。

"在る"のだからあるべきなのです。

死はいつかは来るのだから、わざわざその〈いつか〉を前借りする必要はないのではないか。

 

養老孟司さんの『死の壁』を読んだら、なかなか新鮮な感慨があるのではないでしょうか、と思います。

 

 

また、インドでは『自然が自然として』存在しているのだそうです。

町には野犬がいたり、道路を牛さんやアヒルの親子が横断していたりするそうですが、それこそまさに自然。

『人間が自然をコントロールしている』とでも思っているかのような、愚かな現代思想・西洋思想ではなく、『人間も動物であるから。自然にお邪魔して共存、生活している』という価値観なのだろう、と、著者の熊谷はるかさんは感じられておりました。

 

インドから日本へ一時帰國した際に、日本のデザインされた自然を見て『物足りなさや寂しさを感じた』と記されておりましたが、そりゃあ「〈自然〉というレッテルを貼られたまがい物」を見たって虚しいだけですよね。

そのまがい物は人間の意識という不純物が介入しているわけですから。

 

最近『ザリガニの鳴くところ』という映画を観て「やっぱり自然というのは、自然こそが"豊か"なのだな」と思いました。

floodinhead.hatenablog.com

 

 

また、インドに対しての知見が浅い日本人でも知っている『インドに対してのイメージ』についても言及されておりました。

インドといえばカレーですが、現地のカレーは日本人が指しているカレーと全くの別物であること(インドでいうカレーという料理は日本でいうところのお味噌汁的な位置付けで、各家庭によって味も違うのだそう。まぁ日本人が指している『カレー』はイギリス人が作ったものですからね。そう考えると都市化や西洋的な思想の最終目的地点は、『全てを管理して「個々が持つそれぞれの"ゆらぎ"がない〈画一化〉されたもの」で埋め尽くすこと』なのか?)。

 

ほかにも、よくインド人のアイコンとして登場する「ひげにターバンのおじさん」は、シーク教の信者のことを指し、シーク教徒はインドの人口の2%程度しかいないこと。

シーク教徒の方は「髪の毛やひげも神から与えられた神聖なものであるから切ってはいけない」という教義のもと生活しており、髪の毛をまとめるためにターバンを巻いていること。そういえば映画『ホテル・ムンバイ』で主人公の設定もシーク教徒の方だったな。

 

あと、インドといえば数學ですが、その数學にもどうやら『カースト制』が関係しているらしいこと。

 

 

氷山の一角の、爪楊枝の先くらいのことしか書いていない

などと色々と書きましたが、わたしの御託などではこの書籍の良さの1%も表現できやしませんので、ぜひお手にとってみていただければ幸いです。

回し者ではありません。単純におすすめなのです。

 

わたしの思う「良い本」の基準というのは、『読んでいる自分自身が、その作品を読んで、何か考えるきっかけとなったか。実際に考えるということをしたか』なのですが、この作品はしっかりと考えるきっかけを与えてくれました。

良い本です。

 

 

著者である熊谷はるかさんがこれからも文筆をされるかはまだわかりませんが、恐らく新作の刊行ごとに追うような作家さんになるのではないか、と思いました。

 

 

あ、あといろんな方が『この著者が思春期にインドという異國で過ごしたから、色々吸収したのだろう』とレビューされておりますが、それもあるとは思うのですが、何よりもこの熊谷はるかさんの知性の高さと頭の良さがあったからだと思います。

本当に頭の良い人の話す話や、書く文章というのは、おもしろく愉しいですね( ¨̮ )

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

 


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