頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

取るに足らない話の三章

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

今回の内容は特に読むべき内容ではないです。

というより、わたしのブログは別に読むべき内容のものなんてないです。

 

読むか否かは、お任せいたします。

 

さぁ。

 

 

 

イメージンgはすべてのザッピーポルに

以前にも書きましたが、現在わたしは伊坂幸太郎さんの『モダンタイムス』の単行本版を読んでいます。

 

現在は主人公の渡辺さんが岩手の安藤さん家に訪問しに行っている部分に差し掛かっています。


www.youtube.com

 

わたしはこの作品が本当に好きでして、五回以上廿回未満は読んでおります。

しかし、はっとしたことがございます。

 

物語の前半部分はシステムエンジニアとして働くためにオフィスの場面が多く登場します。

その、オフィスのイメージが、以前に想起したものから変わっていなかったのです。

 

何度も読んだ同じ文章、読む内容は同じでも、読み手は変わります。

 

労働者としてオフィス従事していなくとも、オフィス場面が描かれた映像作品は目にすることはあります。

 

上記したような経験をしているはずなのに、想像した場面とその見てくれは変化をしていなかった。

 

これは由々しき問題ではないでしょうか。

由々しき問題であると感じますし、はっきりと危険であると思います。

 

何が危険かといえば『成長できていない』などの短絡的な要素もありますが、それよりも『自分の想像を刷新できていない』こと、それが危険です。

 

これの何が危険かというと、自身が「こうだ」と思ったことを改めることができない可能性があるためです。

 

以前に書きました記事にも繋がってきますね。

floodinhead.hatenablog.com

 

 

これは本当に由々しき問題です。まったく看過できない。

なぜならば『曲解した・していたことを自分自身で訂正することができなくなるかもしれない』のです。

 

嗚呼、これが老化ということなのかしら。

本当に恐ろしいです。

まったく笑えない部類の懸念です。

 

自分自身に懸念点を見いだせているだけまだマシ、というところでしょうか。

いや、それはわたし自身を甘やかしていることに他ならないと思える。

自分を戒められる、律することができるのは自分自身だけなのですからね。

 

 

空氣抵抗

わたしは興味のないものにはとても興味がありません。

 

車とかがまさにそうです。

 

つい先日、とあるコンビニエンスストアの駐車場にて、あるものを見ました。

 

トラックの運転部分?の上にはお豆腐みたいなの乗っているじゃないですか。

斜めの冷ややっこみたいなあれです。

 

その『つい先日』に、上記した冷ややっこの中身がくりぬかれていることを見たのですね。

どういうことかというと、はりぼてのとうふ、ということです。

 

「えっ?はりぼて?!」と思ったことを覺えています。

 

もういっちょ思ったことは『無駄を愛す…、、ってコト!?』ですが、効率化の鬼資本主義がそんな無駄金を使うわけがありません。

 

 

そこでたどり着いた答え。

それが「空氣抵抗をなくす」ってコトでした。

 

この見立て、正解でした。

日本語では『導風板』、インギリッシヱでは『エアデフレクター』というそうです。

 

以前「おとうふは仮眠室として利用できるんだぜ」と見たことはありましたが、すべてのおとうふが仮眠室だと思っていたので、そもそもの理由として空氣抵抗をなくすためだと思ってはいませんDした。

 

 

空氣抵抗のことが意識に入ると、世の車たちが空氣抵抗をなくそうとために作られた構造であることが見えます。

流線形流線形。

面白いくらいに町を走る車は流線形をしておりました。

 

ほら、『知識を得ると世界への解像度が上がる』って話ですよ。

 

 

わたしは車に興味がないですし二度も交通事故に遭遇しているためモーター物には恐怖心すらも抱いています。

 

なので車が空氣抵抗をなくそうとしていることに全く気付きませんでした。ってお話でした。

 

じゃあパグの顔面みたいな車はなんなんだ。

 

 

人間って、円好きですよね。

 

まぁ、「まる」とも言われるやつです。

 

皆様もきれいな円は日常的に目にされるのではないでしょうか。

 

 

ですが、いま皆さんが想起されたもの、それって、人工物じゃないですか?

企業のロゴ、ペットボトルの蓋、お皿、など。

 

円形、

 

 

考えてみれば、世の中でよく目にする綺麗な円をしているものって、ほとんどが人工物です。

自然物の円ってほとんどない。

 

 

綺麗な円は単一的。

人工物は綺麗な円をしていますが、それはまさに人工物だから綺麗な円をしているのです。

大量生産ができるから綺麗な円ができる、とも言える?

 

しかし自然界にはほとんど綺麗な円は存在しない。

そもそも単一的ですらもない。

自然は多面的だからです。

円に限らず、同じ形をしているものでも【全く同じ形】のものはないですよね。

 

自然物で綺麗な円をしているものって太陽、月、瞳くらいです。

ですが、こんなにも綺麗な円がない自然界なら、綺麗な円をしている月や太陽も人工物?

 

とはさすがに飛躍しすぎていますね。

我ながら何を言っているのかとも思います。

 

そもそも太陽と月は我々に一方の面しか見せていないのですから。

 

一方向からしか見ていない。

なら別の面からみてみよう。

 

たまご。

 

 

たまごは一般的には「たまご形」と形容される容姿をしています。

しかし、そのたまごを真下や真上から見れば、その形は綺麗な円をしています。

 

ウ~~~~ン、見る角度~~~~~~~。

 

ですが綺麗な円をしているものは本当に少ない。

 

 

ところで、人間なぜか綺麗な円が好きです。

こんなにも円、まる、というものが世の中にあふれている。

 

それって螺旋が関係しているんじゃないのかなと考えます。

わたしは螺旋に対して非常に興味を持っていて、世界の謎が詰まっているとすら考えています。

DNAの二重(三重)螺旋や竜巻、渦、バネ、まっすぐに推進する作用など、ほかにもの色んなものがあります。

 

螺旋。

今回はバネを用いますが、たまごの時と同じようにバネも横から見てみる。

すると、それは長方形なり正方形をしています。

 

しかし、バネを真上から、あるいは真下から見た場合、その形は円になります。

 

 

螺旋。

それは、どうして?と思うほど我々の生きる世界に関係しています。

螺旋には神秘が隠されている。

 

その神秘の具現化、象徴として『綺麗な円』というものがあるのではないか、その神秘と美しさがあるから、我々人間は【円】に惹かれるのではないかと感じます。

 

 

まったくの自然物で円を持っているものって何がございますか?

 

 

 

 

ありがとうございました。

取るに足らないお話たちでした。

 

 

‪( ¨̮ )‬