頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

肯定されなければ存在できない

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

今回の記事はとてもスピリチュアルな話になりますので、それらのお話が不得手な方はお控えください。

 

 

 

 

 

肯定されなければ存在できない

まずはこちらの動画をご覧ください。


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まさにそうなのです。

この世に存在するものは、その存在が肯定されているから存在できている。

肯定されていなければ、存在することすらできていない。

 

なので、悪と言われている猟奇犯も、善と言われている道徳や慈善活動も同じ穴の狢。

存在を肯定されたから事象として顕在化したのです。

 

 

事前に善悪を設定しているのも自分だし、「善悪という設定」を構成してその価値観を受け入れているのも自分だし、善悪の価値観という手のひらの上でサンバを踊っているのも自分なのです。

それらをどう解くかは自分次第。

そんなこと言いたかったわけではないんだけどな。

 

 

ハーフやクォーター

上記のことを踏まえた上で。

 

この間こちらの動画を見ているときに思ったことがあります。

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この方はハーフというパーソナリティを持っています。

 

「さて?ハーフやクォーターという事象があるけど、それはどういった宇宙的な肯定があるのだろう」と思いました。

 

そして考えついた結論は『多数を混ぜる』ということです。

 

ハーフやクォーターは、それぞれ個別のパーソナリティ(血)が混ざった結果に起きた事象です。

 

 

それらの『個別のパーソナリティ』を渾然一体と混ぜるための事象として、『混血』が存在しているのではないかと思いました。

 

本来の魂は大きな状態(ワンネスとか言われるやつ)にあり、そこから物質界へやってきているとも言いますし、まず我々は地球の一構成要素であるわけです。

 

その『元々としてあった状態へ還る本能』としての行動が『混血という事象』として表現されたのかなと思いました。

 

元々の魂が"大きな一体"なのだとしたら、個別でバラバラな状態を愉しむために物質界へやって来ているとも捉えることができる。

 

 

宗教とか様々な多様

上記のことを踏まえたなら、この世に存在する様々な組織団体宗教や主張等々は、もともとあった状態へ戻るために、わざと細分化しているのではないか?と思いました。

もとの状態へ還るプロセスを楽しむために、わざと過程を難しくしているとも言えます。

達成までの道のりがより難しい方が、達成されたときにドラマチックで感動的だから?知らない。

 

 

とはいえ、増えすぎて複雑になりすぎた派閥を"新しい価値観"で統一して覆うのは違うと思うけどな。

それは自然じゃねえだろ。

多様がある地上を、コンクリートで覆い隠したとて、万物が渾然一体になったとは決して言えませんからね。

 

この説明はあってるのか?

 

でも『万物肯定されて存在している』のならば、その"新しい価値観"も理由があって事象として表出しているのか。それも自然か。

 

 

 

 

まぁ戯言として聞いてください。

 

 

『多様性ブーム』

ここ数年は『多様性ブーム』みたいになっていますが、あれだけ多様性を主張する「一様的な多様性」というのは、『渾然一体となることを魂は求めている、という視点』から考えた場合、真逆をいっているように思えます。

 

しかし「これまで隠れていた細部が出てくる時期」なのだとすれば、現在の『多様性ブーム』も、大河の中で予定されていた一時の起こるべき事象とも考えられます。

 

知らない状態では一緒くたになることは出来得ませんからね。

 

 

肯定されているから存在している。だもんで。

『自分には存在している価値ない』と思っている方は、一定数いらっしゃると思います。

ですが、存在価値が本当に無ければ生まれていないし、存在価値が無くなればすぐさま事故なり病氣なりでおっ死にます。

だもんで、「現在を生きている」ってのは意味があってのことなのです。

 

今現在を意味がないと思っていても、未来に今が意味を持ってくるってこともあるでしょう。

やってる意味のないことが大切。


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でもこういった考え方も、わたしが四半世紀以上生きて来て、ある程度の長期的思考を持てるようになったからできるようになったのか?

25年程度で何を偉ぶってんだか。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )