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知らん間にマーケティング時代
今の世は「知らん間に各顧客がマーケティングされていて、それぞれの消費者が興味を持つような商品がおすすめ(宣伝)される時代」です。
AmazonでもYouTubeでも、ブラウザ広告でも、以前見たコンテンツに関連した情報が陳列表示されます。
その選別はAIがしていると言われています。
ここら辺の話はそんなに詳しくありません。
何が言いたいかというと『自分の自由意思で決定したと思っていても、実は他者の意思が介入している』ということ。
違う言い方をすれば『自分の自由意思と思っているものは、知らない他者に操られている』ということです。ちょっと恐怖的に書すぎている氣もする。
マーケティング下と自覺
昔、人と夕食を食べようと待ち合わせ「何を食べるか」の話になりました。
その時に相手は「餃子が食べたい。最近テレビで王将を特集していて、それ以来食べたかった」と話しました。
この会話をしていて、わたしは個人的に『これは恐ろしいぞ』と思っていました。
まんま『自分の意思が他者に操られている』という話だからですね。
いかに『自分が決定した』とて、その"決定に至るきっかけ"を与えたのは、顔も知らない他人です。
「別によくね?」と言われたらそれまでなのですけどね。
『徹底されたマーケティング戰略により、我々、大衆の行動はコントロールされている』と考えられ、「なにをどうしようが民は権力者のコントロール下にある」と悲観的(人によって違う?)に受け取れます。
しかし、『今"餃子を食べたい"と思っている意識は、先日見たテレビの特集が理由だ』といったような『自覺』をしているか、していないかでは大きな差が生まれると思うのです。
むしろ、その「自覺をするか・しないか」という意識・行為でしか、マーケティングを執行している方々へ対して、我ら大衆が太刀打ちする手段は残されていないのではないか、と思います。
あれ?なんで対立構造みたいな意識で話しているんだ?
自覺した上で、「それでも餃子が食べたいから食べる」なら、まだ生の自由意志みたいなものが存在していると感じます。
自覺もなく「餃子を食べたい。食べよう」だと、それがもしマーケティング由来の欲求であっても"マーケティングの意思"に思い至ることができない。そうすると、知らないうちに『マーケティングの傀儡』になっている可能性があるのですね。
さて、直感?
わたしは基本的に直感だけで欲しい欲しくない、食べたいべつにいいかな、を決定しているのですが、直感で浮かんだ『欲しいもの』すらも、自覺なきマーケティングである可能性がありますよね。恐ろしい世の中だ。
しかしマーケティングは「いかに潜在意識に植え付けるか」が重要なのでもあるだろうから、『直感だと思わせること』も大事なのか?それすら念頭に置いて考え済みなのか?
そうするとわたしのフレンチトーストも…。。
でも最近フレンチトーストについての情報なんて目にしてないぞ…?
美味しかった( ¨̮ )
考えすぎは良くない( ¨̮ )
ありがとうございました( ¨̮ )