本日もご訪問ありがとうございます。
再三書いておりますが、わたしは六月二十四日の誕生日より冷笑主義を潰して世界を面白がろうという心づもりで生活をしております。
※【冷笑主義】は「揚げ足を取ること」や「最初から小莫迦にして話を真面目に取り合わないこと」を指します
冷笑主義を立ち入らないようにして生活すると、なかなかに世界を面白がれているように感じます。
別な表現をすると "世界がきらきらしている" とでも言えるでしょうか。
と、そのように生活していても、ふと以前までの性分が顔を覗かせてきます。
わたしはどうにも舐められやすいのか、しょうもない人間たちに目をつけられることが往往にしてあります。
嫌味であったり、その人自身の劣等感を慰めるためにわたしが攻撃される。ということがこれまでに多々ありました。
正直その人がわたしに対して嫉妬し発言していることなのでしょうから、相手にしてあげる必要もないので別に反応もしませんでした。
しかし言われっぱなしは腹が立ちます。
以前までは『そういった意地悪かつ劣等感が満ち満ちて詰まった人間の悪意に反応をするのは、相手の思う壺だから相手にしないのが吉』という意見がありましたが、どうやら昨今では『相手にしなかったら図に乗るからある程度の抵抗(?)も必要』という意見も力を持ってきているように感じます。
恐らくはどちらかが正しいとかっていうものではなく、相手が抱えている劣等感の種類によって都度使い分けるのが必要なのでしょう。
さて、なぜだかしょうもない人間に目をつけられやすいらしいわたくし。
嫉妬と劣等感由来の攻撃には無視を決め込んでいましたが、悲しいかなわたしも人間。腹が立つものは立ちます。
そしてそんなしょうもな攻撃に遭遇したその時に抵抗などをしていないと、非常に後を引きます。
マグマのようにふつふつと蓄積するのですね。怒りが。
その〈怒り〉に支配されていたりする未熟なわたくし。
先日の誕生日以来、精神面や暮らし方を変えて生活をしておりますわたくしですが、どうにも知らないうちに上記した〈怒り〉に感情が支配されていることがありました。
それもそうだとは思います。だって長らくわたしは過去の怒りに支配されていたわけですからね。
これまでの生き方の方が慣れているので、以前までの価値觀に戻って安心しようとするのは当然です。
人間はたとえ苦しいことでも慣れたものに居心地の良さを感じる生き物のようですからね。
そんな『冷笑主義をぶっ潰せ』の意識改革を行なって数日間、過去の怒りに支配されている場面も多くはないですが確かにございました。
その時にはっきりと自覺したことがあります。
「これって、自分を痛めつけて虐待しているじゃないか」
氣取った表現をするならば、自分が泣いている様子が心に浮かびました。
一番大切にしないといけないはずの自分自身が、当の自分を痛めつけてどうするんだ。
善くねえよ。
あんまり断定はしたくないですが、こればっかりは好ましくない。
「他者を傷つけたい」という欲求ならば別問題なので自己を抑えた方が良いですが、自分が過去受けた嫌なことをわざわざ自ら思い出して苦しむのは訳が違います。
それは自傷行為と何も変わらない。
これも《冷笑主義をぶっ潰せ》の意識改革を行なったから起きた出来事なのでしょうか。
なぜならば以前までは『自分自身を痛めつけている』なんてことは(耳にはしていたかもしれないけど)心からは思いやしませんでしたからね。
『自分で自分を痛めつけていないか?』を自覺した時、ある考えも同時に浮かびました。
「過去の怒りに支配されていた」と上記しましたが、その時、自分はどこにいたのだろう?
自分も過去に行っているのではないか。
その過去は過去として嫌なものですが、今その時に起きているものかというと違います。
だって怒りに支配されていた "その時" って一人でお風呂に入っていたし。
わたしはそこにいないわたしに憑依されていたのではないか?
わたしはどこにいたのか。
今ではだいぶマシになりましたが、わたしはもともと精神的に落ち込みやすい性格をしております。
そんな所謂繊細な性分ですが、メンタルヘルスを癒すには【自覺】はとても重要です。
今回《冷笑主義をぶっ潰せ》の意識改革を行なったからなのかは不明ですが、『自分自身を痛めつけている』という "一番やってはいけないことを行なっていたこと" を自覺できたことは事実です。
【自覺】の方法を意識化に持ってくることができたのは、とてつもない収穫です。
わたし自身の収穫でもあるし、わたしが知ったということは他所に還元できるということで他方の収穫でもある。それを知った他者がまだ別の他者に知らせることで、もっと多くに広がっていく。
良い経験だったな、今後に生かそう。
ちなみにわたしが深い憂鬱を脱した治療法は【自覺】でした。
嫌な思い出を振り返り『何がそんなに嫌だったのか』を自覺するのです。
しかしこの治療法は自分の核にあるものと対峙するため、とてつもなくキツくてしんどい荒療治になります。
正直なところ人も選ぶ治療法だとも思いますが、効果は大きいです。
これって以前も書いたっけ?書いていなければ氣が向いたら書きます。
と言っても上記したのが総てなので、補足として付け足すくらいになりそうですけどね。
今回の記事をお読みくださった、貴様は其処にいますか?
ちなみに今回の記事が総投稿555回なのだそうです。
いつもありがとうございます。
わたしのブログはあくまでも「わたしの脳内の出力場所」ですが、確かに読んでいただいていることで更新の意欲や励みにもなっていることは事実です。
そのむかし冷笑主義に支配されていた時分は、YouTubeで「高評価とチャンネル登録してもらえると更新の励みになります」と聞いた時も鼻白んでいましたが、愚かでしたね。
人の想いは大事だよ。
ありがとうございました( ¨̮ )