本日もご訪問ありがとうございます。
人間は会話をします。
きっと人間以外も会話は行っておりますが、少なくとも人間は会話をします。
以前よりこちらにも書いていると思いますが、わたしは会話という行為に対して「ったく面倒くせえなぁ〜」という想いを抱いています。
わたしは会話をする際に【なにをどう考えているのか】を明確にして話すように心がけています。
しかしこの間、上記のような話し方ってのはある意味『自分自身のエゴに相手を付き合わせている』という部分もあるのかも?と思い至りました。
「自分の知りたいことに対しての返答以外求めていない」という姿勢であるとも考えられるから、です。
もちろん考え過ぎという側面もあるのでしょうが、用心?自覺して認識しておくに越したことはありません。
わたしが【なにをどう考えているのか】を明確にして話すようにしている理由は、あまりにも自分の聞きたいことと相手の返答とが食い違っているという経験が多かったからなのですが、そういった食い違いや齟齬も含めて〈会話〉というものなのかしら。その揺らぎも樂しむのが会話ってものなのかもしれない?と感じた次第です。
たびたび当ブログに登場しております、こうもりの曙さん(仮)は「会話なんてグルーヴじゃん」と言っておりました。
その "グルーヴ" ってのは上記した揺らぎで、自分の意図していない返答すらも受け入れることが会話ってものなのかもしれませんね。
やっぱりmaji面倒臭いとは思うけれど。
しかし以前にも取り上げました『頭のいい人が話す前に考えていること』でも言及されていたように「相手が話しているときに自分の返答内容を考える」のはやっぱり良くないとは思う。
まぁ上記書籍にて書かれている内容なんてできていて当然の内容ばかりなのに、それを『頭のいい人がやっていること』として認識している人が多数派な現世では会話の成立なんてのは夢のまた夢なのかもしれません。
なので、わたし自身が今回自覺いたしました『自分自身のエゴに相手を付き合わせているという部分があるかもしれない』という要素も良くないし、会話相手が『話し途中なのに返答内容を考えていて実際の話を聞いていない』という要素もある。双方に非がある。と考えるのが一番よい落とし所でしょう。
喧嘩両成敗です。
正直わたしの質問に対しての返答が食い違っていたのって "相手が話している最中に別のことを夢想していたから" じゃないのかと思うし。
しかし惜しむらくは『相手が話している途中で自分の返答内容を考える』人は、それを "自分が行なっている" ということを自覺していないのですよね。
なので返答内容が食い違っていたとて、当人は自分の返答は適当でふさわしい内容だと思っているだろうということです。
正直救いようがないのかも、と感じます。
ちゃんと「話聞いてる?」と投げかけてみたところで「え?聞いているけど?」との返答があるだけでしょうし、そうなると水掛け論になりますからね。
会話・人間生活ってmaji面倒くせえわ。
ところで『互いのIQ値が20違うと会話は成り立たない』と言います(一説では30)。
もしかしてわたしが他人と会話しているときに「話が合わないなぁ…」と感じていたのってそれが関係している??
別にわたしは自分のことを頭がいいとは思っていないんだけどなぁ。
でも『頭のいい人が話す前に考えていること』にて書かれていた内容に対して、「できていて当然」と思っていた(むしろ「この程度で〈頭がいい〉という認識になるの…?」と驚愕した)ので、わたしは頭がいい部類になるのか?
本当にそうなの??
自分のこと頭いいとか思いたくないんだけど。そんなこと自覚している人ってダサいし。
はぁ〜会話面倒ですね。
ありがとうございました( ¨̮ )