本日もご訪問ありがとうございます。
参加してきました!葉月!極樂浄土キャンペーン!のお祭り!!

👇これまでの八十八ヶ所巡礼についての👇
【八+九 + 攻撃的国民的音楽 祭】
開演まで
辛い辛い労働を終え会場へ。
開場までは氣になっていた機材を試奏し、大丸地下にて世界を変えてる演奏を觀たりしました。
しかし暑くないですか??
「《猫の股ぐらより暑い日》ってこれのことだな…」と思いました。
酒呑みの友人と落ち合い入場。
「最近ギターが愉しい。アルコールギターを経て新しい練習方法を知った」などと話しました。
ちなみにその練習方法は『完全なクリーントーンで好きな曲を弾く』です。
おそらくこれくらいのこと、プロの方は履修済みだろうとは思います。
開演
いつものPharaoh Sandersさんが流れます。
毎回莫迦のひとつ覺えみたいに〈極彩色〉だのと言っておりますが、ステージ奥に置かれていたLED?の墓標みたいな照明って去年まで無かったですよね??(喩えどうにかならないのか)
そのビカビカと色々な表情に光る照明を見て「確かに怒りという感情や攻撃性は色々なものがあるもんな?」などと勝手に納得しておりました。
Kenzoooooooooさんが登場されてお立ち台に登った時の觀声がとても大きくて「あ、あったけえ…」などと思いました。
そしてマーガレット廣井さんですが、一升瓶を「ゴッ!」と天井梁へ当てて呑んでいらして「ウォォオオオオ!!」と觀声が上がっていました(天井梁に一升瓶を当てて觀声を得るバンドなんてそうそういない。というよりステージ上で一升瓶を煽るベーシストなんてまずいない)。
ちなみに開演してから氣付いたのですが、Katzuya Shimizuさんのお顔がめちゃくちゃ見れる位置でした。
IMNY
「ダダドッ!」の合図で『IMNY』を察して拳上げ貴様らに。
二年前?の八月八日も思いましたが、この『攻撃的国民的音楽』に収録されている曲って小さめなライヴハウスが映える?というか小さめな箱に連れてってくれる感じがありますね。
幾度となく例に出していますが、電車の高架下で "酒場かライヴハウスにするしか活用法が無い" みたいな場所で、二十年とか長く続いている老舗のライヴハウスって感じです。
〈ステージと觀客とがグッと近くなるような感覺〉が『攻撃的国民的音楽』の収録曲にはあるといつも思いますね。
緑と紫の照明に彩られ、風に髪を靡かせながらギターソロを弾いているKatzuya ShimizuさんがめちゃくちゃSteve Vaiさんに見えたし、むしろVaiさん本人でした(倒錯)。
奈落サブウーファー
超キャパの小さい箱でのLIVEかと錯覺させてくれる、そんな精神状態で聴く奈落サブウーファーはまた印象が変わります。
この日はKatzuya Shimizuさんのご表情もプレイもよく見れたわけですが、それを觀ていると作曲もやりようがあるよなと思いました。
わたしは細々と曲を作っておりますが、なんというか光明を得たという感じですかね。
ちょろいな〜と我ながら思いながらも「『誰かに圧倒されて辞めた』というのは嘘だね。上手くいかなくて行き詰まってる時に見つけた体裁のいい嘘だ。自分でも氣付いていないけれど、無意識で自分に嘘をついているんだ」という立川談志さんの辛辣すぎる言葉を聞いちゃったので、その手前好きなバンドで鼓舞されるのは順当だと思います。
でもやっぱりちょろいね〜、自分。
鬼畜
イントロのギターがね、なんだか層みたいでした。
音の層が順番にぱっぱっぱっと入れ替わって聴こえるのが摩訶不思議で印象的でしたね。
磔磔の時も思ったのですがバスドラムの音だったりが歪んでないのすごいなと思います。
LIVE音響周りのことは全く分からないですがバスドラムにディストーションかけたりとかしてないですよね?
曲始まりは「トッ」や「コトッ」という音像なのに曲が展開していくに従って「ドッ」といういつもの音色になり、曲中にビーター(バスドラムを鳴らすバチみたいなもの)でも変えたのかとすら錯覺しました。
あとベースソロの後でKenzoooooooooさんの音が次第に大きくなるところ、クレッシェンド具合とダイナミクスのかけ方がとてもかっこよかったです(「トトドド"ド"!」みたいな感じ)。
曲の印象は【四畳半】という感じ。
四畳半に正座で座り平常心で手紙を認めているように見えるも、怒りの念が脳波で放出されている的な感じです。
間奏で蒼白い照明がバチバチと明滅していたのですが、80年代スピルバーグ映画を彷彿としました(ゴロゴロしてる雲で雷が光る、みたいな感じです)。
恐らくスモークと明滅する照明での相乗的な演出効果なのでしょうけど、これすごくないですか?
だって『 "生で觀ている景色" が《映像》のように見えた』んですよ?
異次元すぎてくらくらしちゃいましたね。
エンディングフレーズの音像がこれまでで一番King Crimsonさんを感じました。
緻密なのにダイナミクスにもメリハリがあり、一音ごとへの敬意と『音をものにしてやろう』という氣概や野心を感じるというような感覺です。
都会の魔界
実は初めてLIVEで聴く曲。
とても樂しみにしておりました。
こちらの曲は変拍子盛り盛り+ギタータッピングも盛り盛りなのですが、見失ったりしないのかしらと思いました。
極樂浄土キャンペーンの各祭は御三方順繰りでセットリストを決められているそうなのですが、この日はKatzuya Shimizuさんがご担当?だったからなのか、いつもより多めにピロピロされている印象でした。
しかし思い返しても聴き手の立場でも見失いそうになるな。
ですがそういう見失いそうになることを繰り返すことが禅や至高の果てへとつながっていくのだろうな、、とも思いましたとさ。
この曲の最後でKatzuya Shimizuさんがゆっくりとアンジェロラッシュみたいなことされていたような。。
幽光
前回磔磔で聴いた時はバッチバチに仕上がったタイトなグルーヴでしたが、この日の演奏は良い意味合いでの若さを感じるものでした。
『攻撃的国民的音楽』の収録曲たちは〈ステージと我々觀客とがグッと近くなる効果がある〉と感じるのですが、それと同時に八十八ヶ所巡礼さん自身がこのアルバムを発表した当時にタイムスリップしたような印象もあります。
若い=良い/悪いと言っているわけでも、当時の若い八十八ヶ所巡礼さんがどうだと言っているわけでもないのですが、なんと言いましょうか「 "日々の遣る瀬なさを振り払うため" に、音を鳴らす」みたいな印象がこの日の『幽光』での演奏には感じ、そこにある "もがき" みたいな部分が前述しました《良い意味合いでの若さ》と表現した次第です。
HIPHOPという音樂の棲み分けがあります。
マーガレット廣井さんも造詣が深い音樂であるみたいですが、HIPHOPの強み?としてフレッシュさがあるそうですそう耳にしました。
「フレッシュさ」とは〈時代性〉かと解釈し、それって芥川賞と直木賞の違いみたいになって〈時代性〉を優先すると "その時代" が過ぎると古いものになるのではないのか?などと一介の音樂好きは思うのですが、どうやらそうではなくて《 "その時代" のこと》を思い出すための装置、タイムマシン的な役割をするのだそうです。
話は戻って八十八ヶ所巡礼さんの公演ですが、音樂は『自分がその当時へ行く』というタイムマシン的装置を持っていながらも『自分が知らないあの当時を体感する』という意味合いのタイムマシン的装置もあるのだなと【八+九 + 攻撃的国民的音楽 祭】の公演にて感じました。
酔狂。全く酔狂な考えでございますね。
浮楽浮楽
先のMCで「貴様らは十四年前何してた?」と質問され、「何をしていたかしら?」と考えましたが、!!、八十八ヶ所巡礼さんというバンドを知った年です!
『仏滅トリシュナー』のPVがYouTubeでおすすめされ、聴いたし先輩のスタッフとして当時出入りさせていただいてたライブハウスの樂屋周りでも「なんかすげーバンドがいるぞ」と話題になっていました。
しかしわたしはその当時ではなく2021年にハマることになります。
2014年に八十八ヶ所巡礼さんを知った当時にハマらなかった理由は、恐らくわたくし自身が持つ若氣の至りという《ある意味では健康的な愚かさ》が原因なのだろうと予想します。
そんで。
この日の『浮楽浮楽』を聴いて觀ていて思ったことがありまして、語弊を恐れず言うとそれは「今知れて良かった。あの頃若い時分の自分がハマらなくて良かった」です。
今、現時点でも全く愚かしい恥の多い人生を送っていると思っておりますが、2014年当時は今よりもっと愚かしい人間だったと思います。
その愚かさとは若氣の至りを起因とするもので、自らの不甲斐なさや考えの浅さなどを他者様へと責任転嫁するなどです。
現在のわたしはハーフ還暦を過ぎ数年経過した程度の若造ですが、十一年前ともなると正真正銘くそがきでしかないわけです。
『自分の弱さを認めないために認めている素振り』も今以上にしておりましたでしょう。
〈若さは愚かさ〉としての解釈もできますが、その愚かさを以てして八十八ヶ所巡礼さんを認識した当時にハマっていたとしたら『勝手に好きになって自分勝手に幻滅してファンじゃなくなってただろうな』などを確信しました。
この考えがあったので「今知れて良かった。むしろ今でこそ知れて良かった」と思ったのですね。
こういう考え方の変化?それを成長や大人になるなどと表現するのかも知れませんが、とにかく 『あの頃』はあの頃で『いま』はいまとして、なんだかその時期にも意味があったりするのかしらね。
そんなことを慮るようになれるっていうのは、歳を取るってのも悪いものでもないのかもと感じます。
これらのとてもしょうもない自分語りを『浮楽浮楽』を聴きながら走馬灯のように実感したのですが、いらんこと考えてねえでちゃんと曲を聴け。
そして歳を取ったことでようやっと知ったこともあります。
音樂とかって日々の推進力としてあると考えているのですが、こちらの『浮楽浮楽』はその推進力を多く積んでいる樂曲だと思います。
また『攻撃的国民的音楽』の曲は若さへのタイムマシン的な効果もあり、我々觀客とステージの距離を近くさせる効果もあることにより、『浮楽浮楽』が真横にいるみたいな感覺、パーソナルスペースの中にいて「同じものを見て・感じて・苦しんで」を共にしてくれる存在みたいに思いました。とさ。
ラストサビではミラーボールに光も当たって「昼間か?」と思っちゃうほど明るくて綺麗でした。
この日は本当に照明が素晴らしかった。
ラストサビが終わって照明もフェードアウトしていったのですが、その様子がさながら『冷静になる』みたいな感覺があり、昂まった感情が徐々に落ち着いていって「まあ、これからも生きるか」と好きなものによって日々の推進力を得た人のようだと思いました。
エイトビイトな人々
エイトビイトーーー!!!!!ッ!!!!
大好きですし大好きなので両手上げ貴様らになっておりました。
そんでもって歌い出しまでのサイズが倍じゃないですか!!!!!!!
そんなの両拳突き上げ貴様らになるに決まってます!!!!!!!!
そういえば初めて生で『エイトビイトな人々』を聴いたのもこの心斎橋Club JANUSでした。
「あの時は感極まって突発的に精神的不安的になってたな」などと回想し、「過去二回JANUSで聴いた時よりも原曲テンポに近いな、今回」とか思っていました(あれ?三年連続エイトビイト聴けてます?)。
長く愉しめて良い。
ちなみにほとんど曲中ずっと両拳突き上げ貴様らとなっていました。
Katzuya Shimizuさんがほとんどずっと手元を見て演奏されており、そういえば『都会の魔界』もそうで、『攻撃的国民的音楽』の収録曲たちは屈指の難しさなのでは?難しいからあまり演奏されない?などなど想像しました。
そして『エイトビイトな人々』は《コア貴様らさんが局所的にどっぷり好き》みたいな位置付けにある曲なのかな、とも思いました。
今聴き返しても素晴らしく好きな曲ですね。
この曲を聴いて日々の推進力にした日々がありました。
今もです!!
大好きな曲です!!!
因素音
もしかしたら『八+九』に収録されている曲の中でも一番好きなんじゃないか説がある曲。
聴きたかった!
この日はイントロの繰り返すフレーズ一音目をアタック強めで演奏されていたマーガレット廣井さん。
音源では「トルルトルル…」と音の大きさが揃った音像で演奏されていますが、この日は「トルルトルル…」みたいな感じのアプローチで演奏をされておりました。
素晴らしい照明は大きく括れば橙色ですがちょっとベージュというかクリーム色っぽい印象を受けました。
磔磔の日は朱色的篝火的なアプローチでしたが、この日はどこかクリーム色っぽい橙色で原曲が持っていると感じる "曖昧模糊とした、意図的に堅めようとしない" が表現されていたと受け取りました。
これはうろ覺えですが、Katzuya Shimizuさんのギターだけが演奏される決めの部分ではKatzuya Shimizuさんだけが逆光的に青色の照明が当てられていて「ワッ」と「はっ」としました。
つまりかっこよかった。
よく青色の反対色は赤色と思われがちですが、実は青色の反対色は黄色なんですよね。
クリーム色っぽい橙色の照明と青色の照明とで反対色を魅せる、色の妙にも拳突き上げ貴様らでした。
その後の演奏では蝶々さんや蝉の皆様が羽化をしている様な想起をして(遺伝子がゆったりと変容して次に向かってる感覺?)非常に神秘的な感情になりましたよ。
-超感覚的宇宙-
『因素音』が終わってバシャーン!と各樂器が轟く。。
「……、、、-超感覚的宇宙-じゃん!!!!!!!!!!」
景氣付けの音を一発かと思ったら曲の一音目じゃん!!!!!!!!!!!
「アオーン!」とマーガレット廣井さんが遠吠えを上げておられましたが、初めてブチ上がって感情を抑えきれずに「ウオォォォオオオ!!!!」と雄叫び上げてしまいました(これまではマーガレット廣井さんへの反応として「ウォォオオオ!!」と雄叫んでいた)。
実はこの曲もLIVEでは初めて聴く曲です。
『幻魔大祭』の特典DVD『日本万歳!!!』でしか演奏しているところを拝見したことが無かったので、よりブチ上がりました。す。
絶狂Now!
『-超感覚的宇宙-』の歌い終わり「ジクウヲコエテアイニキタンダ」の後で「ピキュウゥーーン!!!」とKatzuya Shimizuさんのギターが轟きました。
あまりにあまりだったので「ンが"っ"こ"い"い"!!!!!!!!」と感情が肥大しちゃいました。
攻撃的国民的音楽
イントロギターの音色で『水滴によって広がる波紋』を想起しました。
Slow Gearっぽい?コンプレッション感の強い音?でぴちょんぴちょんぴきゅんぴきゅんと奏でられておりました。
「wao!」のところでやつKatzuya Shimizuさんが『べっ!』と舌を出していらした。
エンディングではKatzuya Shimizuさんがよく段階を踏んで上体を後ろに反らしますが、ついに反りすぎて頭が見えなくなっておりました(笑った。あと腰ご無理されていないですか)。
照明は桃色が基調とされておりまして、この曲では新鮮な感情でした。
赤い衝動
「ラスト!」とマーガレット廣井さん。
『赤い衝動』終わりはかっこいい。
Twitter(ついったー)(ツイッター)にて「赤い衝動はKenzoooooooooさんがかっこよすぎるから見て!!!!」とのご意見を拝見し、実際にそのかっこよさを体験して以来わたしも『赤い衝動』では自然とKenzoooooooooさんに視線が向かってしまいます。
っていうかKenzoooooooooさんのドラミングがかっこよすぎる!!
二番サビのプレイが特に凄まじい!!!
打音の一つ一つが大きいのに粒が揃ってるし音符の長さも均一です。
『悟ri + time』のギターソロ終わりで叩かれるフレーズにしてもそうですけど、Kenzoooooooooさんのドラムプレイをじっくり凝視する機会がほしい。
いつもは『日本』で本編を終えることが多いですが、この日はまた違った熱狂で本編が幕を閉じました。
アンコール明け
Kenzoooooooooさんが登場し、しきりに小首を傾げたりドラムを空で叩く素振りをして首を傾げたり両手のひらを天に向けて「‾\_(ツ)_/‾」という素振りをして貴様らの皆さま諸氏らの笑いを誘っていました。
Kenzoooooooooさんがその素振りをしていた理由は『赤い衝動』のドラムフレーズを一瞬だけど忘れしたからだそうです。
「あんな曲知らない。知らない知らない」と頭を振りふりするKenzoooooooooさんがまた貴様らの皆さま諸氏の笑いを誘っていました。
マーガレット廣井さんがとある貴様らさんよりお手紙をいただいたそうで、曰く『人が死ぬと最初にその人の声を忘れるそうですね』と書いていたけど「そうですね、って書いているけど知らない、あと本当にそうかなぁとも思うし」と反応されておりました。
わたしも父を亡くしておりますが、父の声を覺えてはいる(思い出せる)ので、わたしとしても「そうかなあ」と思います。
「マガちゃんはカラオケCD出してるから記録に残ってるけどKenzoooooooooは全然喋らないから一番に忘れるかも。Kenzooooooooo歌唱のCD出すか」みたいな流れになって貴様らの皆さま諸氏大沸きしていました。
確かにKenzoooooooooさんの声って曲中の「…ヤッ!」みたいな掛け声とか「おかん」しか聴いたこと無いもんな。
あ、『でか猫で爆音視聴会と断髪式やります』の声は聴いたことがあるな。
『日本』での一幕
『八+九』のアルバムが発売されてから少年貴様らさんをよく目にします(今年頭までの『新曲召喚祭2024』ではあくまでも感度の鋭いオニーチャンオネーチャンの世代が最年少って印象です)。
「衣装にCOMING KOBE 2016の缶バッジが入ってたから将来のある子どもと老い先の短い老人に渡す!」と宣言してフロアに降りるマーガレット廣井さん。
磔磔公演もでしたが、少年貴様らさんが増えてきたのかこの日もわたしの近くに少年貴様らさんがいらっしゃいました。
危うくすれ違いそうになりながらもお二人は無事に出会い、少年貴様らさんがマーガレット廣井さんから缶バッジを受け取られていました。
マーガレット廣井さんの「無くさないように付けときな」とのお言葉に受け取った缶バッジをさっそくせっせとTシャツへ付けている様子が非常に可愛らしかったです。
曲の雑記
ユーレイ・ドライブ
何度かLIVEで聴いたことがありますが、イントロのギターってアーミングして「ウォーン」とさせているんじゃないのかしら?
この日見たらそうでもなかったっぽかったですね。
エンディングのハーフテンポになるところの入りが音源とも違うし他の曲でも聴いたことがないアレンジでした。
沙羅魔都
ノリノリで聴いていましたが「氣付いていなかったけど実はとてもとてもタイトなビートじゃない?」と思い、じっと止まって耳を澄ましますと『ハイハットの刻みがすばらてぃー』ということを知りにっこりdopeな音樂体験でした。
回転しながらぴょんぴょんと飛ぶKatzuya Shimizuさんの速度がどんどん早くなっていくのを見て半ば心配になりました。
あのまま速度が上がり続けてたら東心斎橋一帯の電力を賄えてたでしょうね。
不浄と我楽多の砂漠
フロア後方にある照明が常夜灯のように白熱灯めいた光を投げかけておりまして、この演出も『バンドと觀客とライブハウスとが近い』様子、攻撃的国民的音楽の持つタイムマシン感を感じてよかったです。
雑記
2014年頃はLIVEも四本とかしかやってなくて、暇なので先輩の方?とギターとベースとで弾き語りばかりしてた。
その経験があったことで生まれたのが『極楽いづこ』とのことです。
「そんなこと話してたら思い出したけど『今日のLIVE来てください』って誘ってたけどゲスト出すの忘れてた。ヨッピーさん来るのって明日だっけ?」とKatzuya Shimizuさんに聞いていましたが、問われたKatzuya Shimizuさんは「…知らないけど」という表情をされていました。
この八月に執り行ってる祭は各日で過去発表したアルバムの収録曲を全て演奏している。
実はそれってこれまでしていなかったことで(アルバムの発表ツアーであってもしていなかったらしい)、突貫工事のように曲とアルバムを作っていたから、恐らく演奏者的にもキツかったからできなかったのだろう、とマーガレット廣井さん談。
あとあれすね。
今の八十八ヶ所巡礼さんはお三方とも魔族ですが『攻撃的国民的音楽』が発表された時は人類だったはずで、だから怒りやタイムマシンで訪れた世界も我々に近いと思ったのかもしれません。
知りません。酔狂。
『摩訶摩訶摩訶』の時?にKatzuya Shimizuさんが右手を蕾にして口の前でふわっと花開かせるみたいなヨーロピアンの方々がするジェスチャーをされてました。
終演後
ノルマの一つである88咖喱を月斗し、箱から移動してお肉と愛媛酒場へ。








【八+九 + 日本 祭】

FUTSUKAYOI♡
酒はいけない(戒め)。
ドリンクチケットのビール、酒場での泡盛、瓶ビール、日本酒一合、ウオッカのロック、ジントニック二杯を呑み、しっかりちゃんぽんをしたので帰宅後しっかりと歯磨きを忘れて寝てしまいました。
酒は虫歯を促進させてしまう(自分の弱さからくる責任転嫁)。
普段食べない牛肉を食べたからなのか、お酒のちゃんぽんをしたからなのか、開演まで氣分が優れませんでした。
前日にマーガレット廣井さんより缶バッジを授かっていた少年貴様らさんを見つけながら入場。
この日は前日よりも百ほど整理番号があとだったので新設されたモニターよりちょいと前にいました。
結果的にマーガレット廣井さんのお顔はばっちり見える位置でした。
絶妙Σ
『prologue』→『亡月亡日』→『絶妙Σ』の流れで始まるのか?と思ってたのですが、いつもの始まり方でマーガレット廣井さんに拳を拝借されて『絶妙Σ』からLIVEが開始。
この曲の個人的に好きなところは一番と二番とでAメロのノリが変わってベースフレーズがすごい運指になるところです。
ラストサビの「ぜぇつみょうな」の歌い方に向井秀徳さんを想起。
それに連なって「そういえば去年の極樂浄土キャンペーン大阪二日目でマーガレット廣井さんが『本能寺で待ってる』って引用されてたな」と思い出しました。
沙羅魔都
沙羅魔都の曲は貴様らの皆さま諸氏に対して「貴様らの好きなものはなにかな?」と質問し探る部分があります。
「それはPVをYouTubeで見て知ったかい?」
「それはPVを見て知ってノコノコとライヴハウスまで行ったことがあるかい?」などの質問を重ねておられましたが、「そのバンドのPVは上半身が裸のメンバーの乳首が回っているかい?」との質問が出た時は思わず会場全体が大笑いに包まれておりました。
あれは多分誰もが奇妙に思う部分でしょ( ¨̮ )
乳首の万華鏡じゃん( ¨̮ )
同じく「好きなものにどっぷりとハマったことがあるかい?」
曲が終わる大盛り上がりでKenzoooooooooさんが「ドツドツドツドツ!!」みたいなLIVEアレンジでドラムを叩かれておりました。
その盛り上がりの音の練度というか的確さや、冷静と情熱の両方が強く滲んだ音がわたしの心にずばん!ときて両拳握りしめ貴様らでした。
わたしはギターを嗜んでおります。
その影響なのか、やっぱり『どうプレイをしているのか』が氣になります。
ですが奏者の表情だけしか見れない状況だと自然と視覺情報は閉じて耳だけで音を感じようとするようです。
なので前日のように『照明が云々』での記憶は多くないのですが、「前日の公演で毒氣のようなものが浄化されたみたいだな」と思いました。
大安ナイト
「ズクズク……」の轟きで『大安ナイト』を察知して両拳突き上げ大喜びなわたし。
「今日は大安じゃないけど、大安ナイト!」で曲が開始。
この曲は「ちゃんちゃんちゃん♪」と祭囃子を思い出す曲ですが、音を聴いて「ちゃんぽんだ〜!酒のちゃんぽんは勘弁だけど音樂のちゃんぽんは大歓迎だ〜〜!!」とひとり奇妙な心中にてはしゃいでおりました。
大阪にはだんじり祭りがございますが、我が郷里の伊代にもだんじり祭りがございまして、義務教育の時代に触れたお祭りの記憶が蘇りました。
そしてこの曲の語り手は寂しがりやさんなのかなと思いました。
前日に行ったシメの酒場で思ったのですが、わたし自身を含めて『わざわざ酒を飲みに行く人』って寂しがりやさんなんじゃないですかね。
「孤独にもう耐えらんない」とも歌っているし。
あとお祭り好きも実は寂しがりやさんが多いんじゃないのかと考えておりますが、そんな寂しがりやさんが集まって和氣藹々とどんちゃん騒いで寂しさを散らしている様子が浮かびました(伊予の話で恐縮ですが秋の芋炊き会みたいな)。
それと寂しがりやさんかはわかりませんが、ライヴハウスという場に集まって同じ音樂を聴いている我々みたいでもあるかもなとも思いました。
音樂は愉しいし( ¨̮ )
そういえば前々回の極樂浄土キャンペーン in 心斎橋Club JANUSでも開演数曲目くらいに『大安ナイト』が演奏されておりましたね。
幽光
前日23日にも演奏されていた曲ですが、この日の演奏では印象が違いました。
この "印象が違って聴こえること" こそ生演奏の醍醐味と思うのですが、【八+九 + 日本 祭】で演奏された『幽光』
荒々しさも無いというのか、ギターの歪みも少なかったように思います(聴いている場所の違いもある)。
"落ち着き" と表現いたしましたが、さながらそれは『表面上は "若氣の至りを小莫迦にしている" けれど、実は〈青臭さという純粋性〉への憧憬があり「
しかし前日の【八+九 + 攻撃的国民的音楽 祭】は『高架下の老舗ライヴハウスでの公演』という印象でしたが【八+九 + 日本 祭】は『地下にあるコンクリート打ちっ放しの箱でのLIVE』という印象です。
脳騒曲
脳が騒がしい曲です。
この曲は現代人への応援歌的な印象ですが、
ということで、23日の公演は學生さんだったりの『若さ』
24日の公演は『社会人数年目』という印象でした。
社会に出ると社会での立ち回りってものを覺えざるを得なくなりますが、社会人生活でヘトヘトになってる貴様への応援歌として歌われているように感じ、やることや仕事量も増えてヘトヘトのへとになっている社会人数年目に向けてという印象の強い公演だななどと思いました。
毎度言っておりますがAメロのグリグリユニゾンが大好きです。
Ale.!!
二日とも黄色っぽい照明でビールや発泡酒を連想しました。
しかもその色味が淡い黄色などと複数の黄色があったところがシュワシュワの炭酸に見えたような、、色味の違いって泡と液の表現だったりするのでしょうか?
いつもの通り考えすぎだろうかな。
ギターソロ終わりにぴょんぴょんと飛び跳ねるマー
マーガレット廣井さんよりもKatzuya Shimizuさんの方が一年先輩らしいのですが、
八十八ヶ所巡礼というバンドのバンドマスターは〈主犯格〉であるマーガレット廣井さんであろうと思いますが、実はKatzuya Shimizuさんが持つ抱擁力めいたものがあるからこそ八十八ヶ所巡礼というバンドが解散もメンバーチェンジもなく長年続いているのかもしれない、などとも思いました。
『日本』
「日々を生きる貴様らに!! Ale.!!」とか仰られて曲に入ったような…??
奇天烈レジャ〜
「昔々の可笑しな話〜」の前にマーガレット廣井さんがソロを取っておられました。
あとLIVEアレンジでメインのベースフレーズを着地の良い音にしていなかったように視覺で見えましたが正直曖昧です。
エンディングの決めでお三方の演奏が止まるところのキレが良かった。
この曲は語り手が『なんか世界おかしくね? 世の中おかしくね?』と氣付く内容であるとともに、曲を聴いている我々に対して、"社会人生活で齷齪汲々あっぷあっぷしているしている人間たち" に「そもそもなんで疲れきるまで働いてるんだよ」と《世の中のおかしさ》を氣付かせるような内容であるとも思いました。
亡月亡日
多分一年ぶり!
2022年末のダンスホール新世紀での『大・仏滅ナイト!!』で聴いた記憶が強い曲です。
『大・仏滅ナイト!!』で聴いた時にKatzuya Shimizuさんが両手を交差させてタッピングを行うという離れ業をされていましたが、この日は前方にいらっしゃる貴様らの皆様諸氏の兼ね合いでプレイ確認ができなかったのが心残りです。
毎度のことながら聴く位置の関係もあるのでしょうが、この日演奏された『日本』の曲たちは3ピース的な音をしていたように聴こえました。
「亡!月!亡!日!」のリヴァーブが前に聴いた時よりも深かった印象。
前日【八+九 + 攻撃的国民的音楽 祭】でいうところの『因素音』の位置に置かれた曲ですが、なんとなくですが両日ともインスト曲からLIVE自体の流れというか、篭った感情が変わったような氣がいたします。
というのもこの後に『奈落サブウーファー』が演奏されたのですが、わたしは以前この『奈落サブウーファー』という曲から「わざと疲れさせようとしているかのような現代社会のからくりと、そんな社会を健康に生きるための人生の過ごし方」を酔狂に見出しました。
この日の『亡月亡日』までは感情移入する曲。以降の『奈落サブウーファー』からは「じゃあその嫌な日常を少しでも嫌じゃなくするにはどうすれば良いか」を説いている曲たちで構成されていたように思ったりします。
摩訶摩訶摩訶
ギターソロ終わりの細かいフレーズがめちゃくちゃタイトで素晴らしかったですね。
「トクトクタラツト」が一つの塊だとすると、〈ツ〉の音が他の音と音量も同程度且つ暴れてもいないということで感動に拳を握りしめました。
あと23日24日両日ですが、
あとあと?
「さあ一発!」後のKenzoooooooooさんへの黄色い照明って二日で違う演出になってました?
幽星より愛を込めて
照明がかっこよかった。
24日は前日と比べ、照明演出に派手さはなかったように思いますが(
なんて御託を並べていましたが実際のところ「わーかっこいいー」くらいの感情しかなかったのでしょう。
音符の長さだとか休符の具合だとか。
脳がとろける街888
ドラムフレーズから始まる曲ですが一音目からKenzoooooooooさんの音に込めた覺悟めいたものをひしひしと強く感じて、深く力強く頷き、拳握りしめ貴様らになっていました。
二番サビ前で照明が暗くなったのが良かった。
あそこグッときました。
それと二番サビ終わりの照明が星の瞬きみたいでした。
やっぱりこの曲は宮沢賢治さんの『銀河鉄道の夜』を思い出します。
「貴様らの呪いが解けますように」とマーガレット廣井さんがおっしゃられておりましたが、それは裏声で歌われていた『こうやって叫べば』の部分が、曲の一番最後で地声の叫びとなっていることとも表現として繋がるのかもしれないなどと、今になって思います。
以前にも書きましたが「声を発することができる」とは自身の心を臆することなく表現できるようになった状態で、つまりそれは自分自身にかけられた(いつのまにか自分がかけてもいた)、"呪い" を解いたということとも通ずるのかもしれません。
わかんないですけどね。
雑記
『日本』というアルバムを発売した2015年は御友人宅のお台所にお住まいだったマーガレット廣井さん。
お台所にお布団を敷いて寝泊まりされていたそうです。
「その友達が最近カレー屋さんを始めてお店の名前が『キッチン・前田』らしいんだけど、台所に住んでいたマガちゃんの方が合ってるよね。『キッチン・マーガレット』」
ちなみにそのご友人のお母様から「マーガレット廣井さんへ」とビールの仕送りが届くそうです。
「貴様ら曲が始まってもなんの曲かわからず、一番とか終わったあたりで曲名思い出すみたいなことあるだろう。(ギクッ) 大丈夫、それ我々もあるから」
ちなみにこの日は『奇天烈レジャ〜』がわたしにとってそうでした。
「ここドラムも自分の声もうるせえ!笑 onドラムス!Katzuya Shimizu! 間違った笑 なんだonドラムスKatzuya Shimizuって笑」という一幕も( ¨̮ )
「貴様ら2015年は何してた?」と問われ「何しとったかしらなぁ」と考えましたら、あれっすね。死のうかと思って和歌山の崖に行った年ですわ。
まぁ怖氣付いて今に至るわけですけどね。AHAHAHA( ¨̮ )
太平洋に叱られてすごすごと帰宅の途についてるとき、駅で鹿を見て「愛媛より電車の本数少ないやん…」と思ったりしました。
「『変な声』とか『タトゥー怖い』とか『ヴォーカルの女は』とかみたいに表層だけみて判断するような人間じゃなくてライヴまで来てくれてありがとう。貴様らの願いが叶いますように!」
終演後、とある酒場と。 〜8,800円!!〜
終演後は雨でした。
「雨じゃん!」と思い、前からしたかったたこ焼き呑みを。
むかーし先輩に聞いたアメリカ村の味穂さんとタコタコキングさんとでどちらにしましょうか、と考えましたが、看板に『JAZZ&BLUES』と書かれておりタコタコキングさんへ。

美味しいたこ焼きと酒とタコの唐揚げでブチ上がりました。


酒場での会話内容は『昨日の酒場で感じたM.O.8』です(ほとんど一方的に聴いてもらってました本当にいつもありがとう友人)。
酒場で会った方とは「良い人生を」とか「おやすみなさい」だとかの氣取ったことを言いたい。お店の方には「美味しかったです」とか言いたい。
マーガレット廣井さんみたいにかっこいい大人になって、別れても『いい人だったなぁ』みたいに思ってもらえる人になりたい。
『反面教師にするしかないみたいな人』にはなりたくない〜!、、。。。
と、料理と酒にうめえうめえと感じ入ってお会計をお願いしますと、なんとお会計が8,800円でした。
「八八!」と感動していると店員さんも八十八ヶ所巡礼さんをご存知のようで、それもそのはず打ち上げでよくご利用されるのだそうです。
「もし今日もいらしたら二日とも最高でしたとお伝えください!」とお店の方へ言伝をお願いし、酒場街名物の【酔い潰れた人】にお水をお供えし(善行Now!!)、最寄りっぽいところでシメの酒を梯子して帰宅いたしました。
アードベック十年(ロック)・ダイキリ・ジントニック・オールドパー(ロック)を締めに。




ウヰスキーって苦手なのですが(でも好きな人が多いから良さを知りたい)オールドパーは大変美味しかったです( ¨̮ )
このブログでの八十八ヶ所巡礼さんについての記事ってあくまでも《一個人の感想》として書いてはいるのですが、《一個人の感想》とは言いながらもお読みくださった方の意識を固定しちゃう懸念があるわけです。
ですので(あくまで八十八ヶ所巡礼の御三方がお読みくださっているという妄想を前提として)『好きに感じ取ってくれ』という姿勢を取っているバンドからは「MAJIこいつ邪魔なことしやがって」と思われかねないのかも、などと悲觀的になり『ファンという立場において、バンドなり好きなものに泥を塗るような行動はしないように慎まなければ』と戒めと自戒の感情を覺えます。
もしバンドにご迷惑をおかけしておりましたなら誠に申し訳ございません。
本当に『あの人はちょっとね。反面教師にするしかないよ』と思われないように生きていきたい(もしかしたら『反面教師にするべき人間』として生きるというのがこの人生の価値なのかもしれない)。
じゃんぴょんうさちゃん。
愛國心はあるか
マーガレット廣井さんは「愛國心はあるか」と口にします。
【愛國心】と一口に言いはしても、
わたしは日本という國が好きなのですが、それは日本語や風土、
【愛國心】と聞いて "右" と反応される方もいらっしゃる様ですが、
そもそも "【愛國心】 = 政治的" と受け取って解釈しているのが、齟齬だったり「結局何すか」
【愛國心】と政治とは本来別れたものですよ。
【愛國心】と耳にして嫌惡感を覺えるというのも『洗脳』
【愛國心】
愛國心なんて『
わたしは日本が好きです。
かっこいい大人になりたいです
わたしは伊坂幸太郎さんの小説作品が好きで今年頭から発表順に読
『チルドレン』という作品では「
そのような原因もあると感じます。
日々の愚痴ばかりを口にしては昔は良かったと懐古ばかりしている
大人がかっこ良かったら子どもはグレない。
碌に意見も聞かずに頭ごなしに否定するような人間を見て「
マーガレット廣井さんはかっこいい大人であると感じますし、
マーガレット廣井さんは少年がどうやらお好きなようですが、
人間學ぶことが無くなることなんて無いと思いますが(
そんな重要な時期にマーガレット廣井さんの様な《
未来ある子どもや人々には笑っていてほしい。
(辛苦もそれはそれで大木を作る土や蓮の華を咲かせるための泥になったりもしますけどね)
かっこいい大人になりたい!
酒場で出会った一期一会な人がふと思い出した時に「
おーわり
由々しき問題です。
個人的に八十八ヶ所巡礼さんの次のLIVEが決まっていない。
由々しき問題ですよ…。。
郷里の死國公演、伊代公演が十一月とかにあれば良いのですけどね。
こればっかりは分かりませんですね。
なんとか生きます。
いいや、生きねば。
推進力!٩( ᐛ )و
もしここまでお読みくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございます。
良い人生が送れますように!
ありがとうございました( ¨̮ )
