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自己紹介と今読んでいる本の紹介
わたしは読書が好きです。
特に伊坂幸太郎さんの作品群が好きです。
ただのファンです。
今は『シーソーモンスター』という作品を読んでいます。
この作品は、伊坂幸太郎さんが発起人となって様々な作家を集め、その作家各々が決められたルールとテーマに沿って各々の作品を書く。その作品が時代の大河となっている。
という《螺旋プロジェクト》の一環の作品です。
以前もちらっとお話ししましたが、この『螺旋』というものは、この世界の秘密を内包しているように、やっぱり思います。
閑話休題。
そんな《螺旋プロジェクト》の中の一作、『シーソーモンスター』は「嫁姑摩擦問題」が主軸となって描かれている作品です。
製藥会社勤務の夫を持つ宮子は海族、宮子の夫である北山直人の母・北山セツは山族、その相容れないもの同士の嫁姑摩擦問題が描かれます。
舞台は日米貿易摩擦や東西冷戰の起こっている、1980年代後半(細かく言えば1987~'89年くらい?)です。
日米貿易摩擦が新聞を賑わせていますが、その一方で、我が家の嫁姑摩擦は巷間の噂になることもなく。
という書き出しから始まっているくらいですからね、『嫁姑問題がこの作品の主軸ですよ〜』と知らせてくれています。
そんな作品ですが、まだまだ読み始めてすぐ、そしてわたしはとても遅読なので、まだまだ2/6程度くらいしか読めていません。
そんな序盤でも我らが伊坂作品はとても面白いです。
これにはファンもにっこり。
踏襲
そして読んでいて思ったのですが、この作品は過去に作者自身が発表した作品を踏襲しています。
宮子は独身時代、國家機関に属して情報員として活動していました。
新幹線での一件から仲良くなった北山直人と結婚したタイミングで現役引退、そして寿退社(寿退社って今では死語?ともすればあんまり望まれる言葉ではない?)をしているそうです。
その情報員時代の宮子のことを夫の直人は知らないのですが、『配偶者が一切知らない』という構図は『AX』における兜とその妻と一緒だなぁと思います。
他の作品で言えば、わたしが再三引き合いに出している『モダンタイムス』とも似ています。
『モダンタイムス』は全編を通して、会社員である渡辺拓海の視点で描かれておりましたが、この『シーソーモンスター』は直人と妻・宮子の視点で描かれます。
『モダンタイムス』では渡辺拓海の妻・佳代子がかなり謎な存在として描かれておりましたので、そこと相違点とはなりますね。
佳代子は渡辺拓海の浮氣を疑ったがために、岡本猛という物騒な人物を拓海に寄越すのですが、どうやら、佳代子は得体のしれない?業界と交流があるようです。
その、佳代子の目線として『シーソーモンスター』では宮子の目線があると思っているのですが、これは過去作品の踏襲ではないでしょうか。
そう考えたら『AX』よりも『モダンタイムス』の方が近いのかも。
また、北山直人は先輩社員の綿貫からO病院の案件を引き継ぎますが、『モダンタイムス』でも渡辺拓海は先輩社員の五反田正臣から仕事を引き継ぎます(『モダンタイムス』の場合は五反田正臣さんの失踪が原因ですけれどね)。
他にも「國家が絡んでいること」や、「〈ある事件〉を追うことで危険に見舞われること」、「『知らないふりも、時には必要だ』と先輩社員から言われる」ことなども類似点として挙げられます。
でも、「よく考えている人間に対して、その配偶者はわりかし日常に焦点を当てて生活している太平樂な小市民的な構造」ということで考えた場合には、『AX』の兜と妻の関係性の方が近いのかも。
『モダンタイムス』の場合は、渡辺拓海はもっと考えていましたしね。
『シーソーモンスター』の舞台がバブル期であることなどを考えたら、「日本の好景氣がそんな簡単にすぐ崩壊するわけがないって」と思っている人の方が多数派だったのかもしれないのですけどね。
事実、この令和の時代でも長期的な視点ではなく、短いスパンでの生活しか考えられていない人の方が多いのでしょうし。
人生百年時代とかふざけたことを宣伝している現代で、本当に長生きをしたいなら食べるものを氣にした方が良いし。
まあまあまあ。
そんな過去作の踏襲を感じたので、もう十五年以上は伊坂幸太郎という作家の作品を追って読んでいるファンとしては、「いいねぇ!」と思いました。
が、しかしです。
これってともすれば『アイディアの焼き増し』とも言えるのではないのでしょうか。
言うなれば『セルフカヴァーばかり発表しているミュージシャン』といった感じでしょうか。
『アルバム再現ツアーばかりを行なって新作を発表しないバンド』とでも言えますでしょうか。
ともすれば焼き増し
アイディアの焼き増しって、している人を見ると「その人のアイディアの底が尽きた」と思ってしまうので、個人的にマイナスな感情を持ってしまうのです。
誠にいち消費者が身勝手な意見なのですけど。
なので、『シーソーモンスター』に込められた(と、個人的に感じた)セルフオマージュに、歓喜しながらも、もやもやを感じたのでした。
ファンだからとなあなあにして折り合いをつけるのか、否か。
理想を取るか現実を取るのか。
話はとっても面白いんですけどね。
ちょうどスパイものを読みたいと思っていたところだったし。
『硬派でハラハラするスパイものか』と問われれば、だいぶエンタメに寄っているとは思いますけどね。
まあ前提として、伊坂幸太郎さんの作品はすべからくエンタメ作品なんですけど。
でも思い返してみれば、伊坂作品は著書作品の登場人物が別の著書作品に登場したりします。
『重力ピエロ』では『ラッシュライフ』の黒澤が登場していますし、『グラスホッパー』の鈴木が『マリアビートル』に登場したりします。
そのカメオ登場と何が違うのでしょうか。
…やっぱりアイディアなのかな。。
133頁を読んだ時点で、予想しているその先のお話しですが、北山セツも独身時代は情報員だったんじゃないか、などと思っております。
余談ですが、伊坂幸太郎さんがスパイものを執筆されたそうなのですが、これって一条次郎さんの『さんねんなスパイ』に影響されたんだろうなぁ、と、個人的に思っております。
一条次郎さんの作品なら個人的には『動物たちのまーまー』が一番好きですが、原液特濃の一条ワールドを体験されたいならば『レプリカたちの夜』をお勧めします。
両作品とも、読んでいる間は「???」が脳みそ内を縦横ランニングし、苦笑としかめっ面が混ざった顔をしてしまいます。
アール!
この記事の残滓
ふと思ったのですが、デジタル全盛の今の時代では『焼き増し』という言葉って伝わらなかったりするんでしょうか。
フィルムカメラがきっかけで生まれた言葉ですものね。
どうやら『巻き戻し』も伝わらなくなってきているのだそうです。
老化、ですよ。
消灯ですよー。
ありがとうございました。