本日もご訪問ありがとうございます。
以前に伊坂幸太郎さんの『シーソーモンスター』を読んでいると書きました。
『シーソーモンスター』は、『スピンモンスター』という二つの中編が一冊となっている作品です。
「『シーソーモンスター』は作者の過去作を踏襲している」と、そんなことを書いたのですが、果たして『スピンモンスター』も同じく過去作を踏襲しておりました。
踏襲していた作品は『モダンタイムス』と『ゴールデンスランバー』です。
結構内容を引用していたので、どこがどう踏襲させていた、などは書きません。ネタバレになりますしね。
わたしはどうやら、システムや國家などの話が好きみたいなので、『スピンモンスター』の方が好きなのですが、その物語の中でこんな会話があります。
「安定は停滞だ。攪拌しないと新しいものは生まれない。攪拌は実験であり、どのような形であれ、実験から起こったことは進歩を生む」
上記の会話を読み、その時は『そんなものかぁ。確かに、攪拌で色々なものが生まれるだろうし、攪拌があるだけでもデータは取れるしな』程度にしか思っていませんでした。
『スピンモンスター』を読み、『スマホ脳』を読んだ後「久しぶりに『ゴールデンスランバー』を読み返すか」と思い、読み返しました。
『ゴールデンスランバー』は、〈ある男性が首相暗殺の冤罪嫌疑をかけられ、追っ手から逃げる〉というお話です。
作品の構成は、①事件が起きる→②その事件を一視聴者が観る→③事件の二十年後の報告書→④冤罪をかけられた男の逃亡劇→⑤事件の三ヶ月後という流れに作られています。
この三幕目にて、「『指名手配犯が捕まる』という出来事や、他にも色々な事件が起きたり、それに伴って解決したことも起きたよ」と記されている箇所があります。
これこそ、『スピンモンスター』にて言及されていた《攪拌》なのではないでしょうか。
つまり〈首相暗殺〉という攪拌によって、沈んでいた泥や澱が巻き上がって、認識できるようになった。
しかも、その攪拌によって新たな流れも生まれる。
攪拌したことで捕獲対象を発見した。それを捕獲するために基盤が減ったので新しい基盤を追加した。
これが新しい流れです。
例えたなら、攪拌したことで水が濁る。その濁った水の中から特定のものを捕獲したことで、水の絶対量が減った。その減った分の水を新しい水で補充をした。
これだけでも濁りの"純度"は下がるわけですね。
戰爭も、それが引き起こされることによって、軍需産業さんや医療屋さんや石油やさんなどの色々な業界が潤う。
この世は混沌である方が新しいものが生まれやすい。
混沌がないと、世界は発展しない。
『一九八四年』でも触れられていましたが、戰爭を行った方が為政者は権力を持ち続けることができる。
ご都合がよいのでしょうね。
別にもう人間は発展しなくて良いじゃん、とも思いますけどね。
ちなみに今はロアルド・ダール氏の『あなたに似た人』を母親から受け継いだので読んでおります。
そういえば、これも少し前にディスカバリーチャンネルで『元特殊部隊の方が各國の特殊部隊から逃げ回る』という鬼ごっこ作品を見ました。
その回は韓国の特殊部隊から逃げるという回だったのですが、逃げる側が雨水管という下水管から逃げる場面があり、この『雨水管から逃げる』という描写は『ゴールデンスランバー』の作中にも描かれていたので、なかなか興味深かったです。
ちなみに、その鬼ごっこ作品のコメント欄に、動画の投稿主が「逃げてる人、ぜひ参考にしてね♡」とコメントしていて苦笑いたしました。
素人がこの動画を参考にしたところで、本職の方々には屁でもないのでしょうね。
ありがとうございました( ¨̮ )