本日もご訪問ありがとうございます。
今回は以前に書いたこちらの内容を踏襲したものになります。
すっかり春めいてきました三月の中旬です。
やっと外套を着込まなくても大丈夫な陽氣になりました。
さて、そんな春ですが、春といえば芽吹きの季節でもあります。
たんぽぽ。
たんぽぽは土から出て、花を咲かして、そのあとに綿毛にした種を飛ばします。
その種は別の大地まで飛んでいき、知らぬ場所でまた芽をのぞかせます。
おや?
どういうことだ?と思いませんか?
大地から生まれたものが別の大地に降りて根をつける。
「大地から生まれたものが大地に還る」というのは、この地球上での原則です。
そこではなく、〈大地で生まれた種〉が〈大地に根を降ろす〉というのが、「おや?」と思ったところです。
わたしたちには『性別』というものがあり、雄と雌が交わることで子孫をつけますよね。
ということはどっちか片一方の性別だけでは子を宿すことができません。
ですが、種を生んだ大地が、その種を受け入れる器としても機能している。
これは雌雄同体ということではないでしょうか。
地球に存在するものの多くはどちらか一方の性を持って生まれてきます。
雌雄同体の生物を探した方が早いですからね。
たんぽぽのように、他の植物でも最終的には種をつける、という〈性別という不完全性〉を用います。
あれ?しかし植物の花というのは雄しべと雌しべの両方を持っていますね。
これを両性具有と称するのか、両性具有は=雌雄同体なのかはわかりません。
植物も雌雄同体なのか?
少なくともヒトなどという存在よりは、植物たちの方が高尚な存在であろうことは理解に難くないでしょう( ¨̮ )
地球は、すなわちわたしたちでもある。
神は自分でもある。というのは以前に書いたことですが、ということは、雌雄同体である地球から生まれたわたし達も、〈雌雄同体の完全性〉を持った存在になりえるということでもあると感じます。
ということは、わたしたちの行くべき先は『雌雄のない(有るは無い、無いは有るということだから)、同体の完全な状態』だということになりますね。
確かによくよく考えてみたら、全世界的に見て雌雄同体の神って多いですものね( ¨̮ )
もう一つよくよく考えてみたら『地球で生まれたもの』には〈性別という不完全性〉をほとんどが持ち合わせているけど、『地球自体』には〈性別という不完全性〉は持ち合わせていません。
つまり『地球は神である』という考えが当てはまるわけです。
ということは、「地球と同じ自分自身も神である」ということです\(´-`)/
とはいえ、わたし達には〈性別という不完全性〉を持って生まれましたし、そもそもわたし達はこの地球へ『不完全を愉しむため』にやってきているので、目一杯〈不完全という娯樂〉を愉しんで生きればいいと思います( ¨̮ )
つまりは、好きにいきてください( ¨̮ )
『いろいろな感情を愉しむ』のも、地球限定のご当地アトラクションですから\(´-`)/
ありがとうございました\(´-`)/