本日もご訪問ありがとうございます。
今回タイトルに引用しました言葉は、ドイツの哲學者であるフリードリヒ・ニーチェ氏が発したものです。
この『神は死んだ』という言葉ですが、これって〈宗教的な意味合いでの神〉ではなく、〈例えとしての神〉なのではないでしょうか。
つまりあの言葉は、価値観のことを指していたのではないかと思いました。
ヒトは生まれてから成長する時期において、色々なことを學びます。
その多くは「自然的にこうした方が効率がいい」といったようなことを、自然に學ぶ部分が多いとは思いますが、コミュニティや宗教観から學んでいったことも多いと感じます。
この生きることで身につけた価値観、それが無意識下に浸透した状態こそを『神』と形容詞し、自我を持って思考し生活することで次第にその価値観が絶対ではないと知った。
これまで無条件に信じていた価値観が自分の中では通用しなくなった状態。また、自分なりのルールや真理と感じられるような価値観を、自らの力で見出した状態にあるために『神は死んだ』と言ったのではないか、と思いました。
「常識とは、十八歳までにその人がコレクションした偏見の数々でしかない」というアインシュタイン氏の有名な言葉もあるとおり、思考や価値観に〈絶対的なもの〉などは存在しません。
「神は死んだ」と表現するのは非常にセンセーショナルなので、大衆の視線(意識)矢印の多くを集めることができます。
一般大衆の意識下において『神』というのは〈宗教性〉の中に存在する言葉ですからね。
おそらくニーチェ氏自身は、そういった『宗教内の一価値観としての神』しか理解しえていない大衆層に対して、宣伝するために「神は死んだ」と発言したのではないか、と考えています。
今でいう炎上商法ですね。
こんな程度のことはみなさんご自身の頭で理解できることだと思いますし、もうすでに理解済みだとは思いますが、往往にしてこういった考えというのは、自分で理解・解明し、腑に落とさないと意味がありませんので、今回認めることに相成りました。
思考というのは止めては、錆びつかせてはいけませんね。
抗酸化作用を持って( ¨̮ )
ありがとうございました( ¨̮ )