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今回は不老不死のお話です。
以前に書いたものの内容は踏襲していますが、それとは別見解になります。
以前の記事では『生物は二度死ぬ。肉体の死と、残された者の記憶から消えるという死とである』と書きました。
〈肉体の死〉はこの物質界に生を受けた以上は避けられない結末ですが、〈記憶からの死〉はやりようでどうにかすることができます。
この〈記憶の死〉を無くした状態を『不老不死』と表現したのではないか、と考えています。
であるから、昔に存在していたと言われている偉人らは不老不死に躍起になったのでしょう。
人々の記憶から消えた状態は、「本当の死」なのであろうから。
こういったことを以前に書きました。
この考え方は今でも変わらずあるのですが、また別な考えも浮かびました。
日本だけではないでしょうが、人物名が地名になったという場所は多くあります。
この『人物名が地名になった』というものも不老不死なのではないでしょうか?
有名な場所でいうと、半蔵門や乃木坂。東京の青山などです。
『乃木坂』は明治天皇の崩御を追って殉死した陸軍大将の乃木希典氏から。
『青山』は氏族の名前から。
土地に人の名前がつくと、「その土地の名前はこれ」と大衆の思考が固定されるのは当然ですが、ということは、不老不死の術が成立しているということになりえるのではないのか。
それとも、どこの誰が由来か知らない状態でその土地の名前を知っていても不老不死にはなりえないのかしら?
ここで、人物名が土地の名になるということを今一度考え直した時に、思うことがあります。
人の名が土地の名になるということが、自分は報酬みたいに考えているが、果たしてそれは本当に報酬なのか?
つまり、稀代の大悪党の悪名を後世まで残すための罰として、名前を地名にしたという可能性もあるのではないのか、ということです。
悪党へ対しての罰則か、呪いか。
大悪党だと「言われている」平将門氏の名前が現代にまで残っているのは、将門さんの"念"みたいなものがとても強いためという見方もできますが、後世まで将門さんがやった『蛮行、罪』を民へ伝えて、「憎ませるため」という見方もできます。
真意とかは知らないけど。
つまり何を言いたかったかというと、『不老不死というのは、多くの人間からの記憶に残ることであるが、その不老不死というのは人名が地名についた場合にも発動されるのではないか』ということと、『不老不死だとしても、それが必ず良いことや報酬であるとは限らない。永遠の責め苦や刑罰・呪いを与えるために不老不死を与える場合もあるのではないか』ということです。
日本の神社はみんながみんな『良い神様』ではないという〈御霊信仰〉の価値観ですが、その悪神や鬼を"あえて祀る"というのも、不老不死を利用しているとも考えることができると思います。
祀っているから『刑罰』ではないとは思います( ¨̮ )
現代のアーカイヴ時代においては、万人に不老不死が適応される状態にあるとも認識できます。
ちょっと面倒事を起こしたらインターネットの檻にアーカイヴされますからね。
あ、そんなアーカイヴ時代だからメタヴァースが生まれたのか。
まぁなんだとしても、わたしとしては不老不死とか絶対に嫌ですね( ¨̮ )
そこは変わりません。
生物、有機物は死んで風化して土に還るのが一番です( ¨̮ )
ありがとうございました( ¨̮ )