頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

抑揚・言霊・イントネーション

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

今回は言葉、もとい抑揚やイントネーションについてです。

 

 

 

『くるみに何かけてもその本質は同じ』とは書いたが…?

わたしは言靈信奉派です(本当にあるのかは不明)。

floodinhead.hatenablog.com

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最近ふと思ったことがあります。

「イントネーションが土地によって変わる言葉と、変わらずにどの土地でも同じ発音の言葉があるなぁ」

 

以前、「『鬼滅の刃』の吾妻善逸くんのイントネーションが違う人がいるが、イントネーションが違うだけで、その本質は決して変わるわけではない」という内容のことを書きました。

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しかし、今回はその言説を自らが覆しかねない話となります。

どっちにしろ直感から生まれたものなので、『科学的根拠』といったものはありません。

 

 

本題

抑揚。

同音異議語を正確に判断するために使い分けられる、発声時の強弱や音程。

「橋」や「箸」や「端」といった言葉を言い分けたりする際に用いられます。

 

広い意味で言えば、方言なんてのもそれに分類されるでしょう。 

「味噌」も関東と関西でイントネーションが違う、みたいなもんです。

 

しかし、このイントネーションが同じ言葉がある。

「巫女」や、「お坊さん」です。

 

「巫女」は、ほとんどの場合「水戸」と同じ発音をしています。

「緯度」と同じ発音をしている人はまず聞きません。

 

「お坊さん」は、大抵の場合「後藤さん」と同じ抑揚で発声されています。

「お父さん」の抑揚で発声している人は出会ったことがありません。

 

これらは頭に「御〜」や「〜さん」を付けるかどうでも変わってはくることもあると思います。

 

この二つの共通点は『宗教』だということ。

禰宜」や「神主」も考えましたが、まだイントネーションのばらつきがありました。

 

 

ここで言靈の価値観を用いると、「"発声した時のイントネーション"にもある種の力が働くのではないか」ということが考えられます。

『言靈が、"発言した言葉"だけにではなく、"発声する時の抑揚"にも影響する』のだとすれば、『巫女』や『お坊さん』が全國共通で同じイントネーションである理由も納得ができます。

 

その『言靈の真の力』とでもいうような力を、宗教を運営する側は知っていた。

だから、全國各地でイントネーションがばらつかないように、統一した。

 

 

なーんていう直感。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )