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今回は言葉、もとい抑揚やイントネーションについてです。
『くるみに何かけてもその本質は同じ』とは書いたが…?
わたしは言靈信奉派です(本当にあるのかは不明)。
最近ふと思ったことがあります。
「イントネーションが土地によって変わる言葉と、変わらずにどの土地でも同じ発音の言葉があるなぁ」
以前、「『鬼滅の刃』の吾妻善逸くんのイントネーションが違う人がいるが、イントネーションが違うだけで、その本質は決して変わるわけではない」という内容のことを書きました。
しかし、今回はその言説を自らが覆しかねない話となります。
どっちにしろ直感から生まれたものなので、『科学的根拠』といったものはありません。
本題
抑揚。
同音異議語を正確に判断するために使い分けられる、発声時の強弱や音程。
「橋」や「箸」や「端」といった言葉を言い分けたりする際に用いられます。
広い意味で言えば、方言なんてのもそれに分類されるでしょう。
「味噌」も関東と関西でイントネーションが違う、みたいなもんです。
しかし、このイントネーションが同じ言葉がある。
「巫女」や、「お坊さん」です。
「巫女」は、ほとんどの場合「水戸」と同じ発音をしています。
「緯度」と同じ発音をしている人はまず聞きません。
「お坊さん」は、大抵の場合「後藤さん」と同じ抑揚で発声されています。
「お父さん」の抑揚で発声している人は出会ったことがありません。
これらは頭に「御〜」や「〜さん」を付けるかどうでも変わってはくることもあると思います。
この二つの共通点は『宗教』だということ。
「禰宜」や「神主」も考えましたが、まだイントネーションのばらつきがありました。
ここで言靈の価値観を用いると、「"発声した時のイントネーション"にもある種の力が働くのではないか」ということが考えられます。
『言靈が、"発言した言葉"だけにではなく、"発声する時の抑揚"にも影響する』のだとすれば、『巫女』や『お坊さん』が全國共通で同じイントネーションである理由も納得ができます。
その『言靈の真の力』とでもいうような力を、宗教を運営する側は知っていた。
だから、全國各地でイントネーションがばらつかないように、統一した。
なーんていう直感。
ありがとうございました( ¨̮ )