頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

嘘は真実へのツケになる

 

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最近海外ドラマの『チェルノブイリ』という作品を觀ました。

 

この作品は題名の通り、旧ソビエト連邦にて発生した原発事故を元に作られた作品です。

 

わたし自身、チェルノブイリの事故については、昔の小學生時分に觀た『ザ・世界仰天ニュース』のドラマパートで事故の存在を知ったくらいです(余談ですが、このドラマパートでは『光クラブ事件』なども特集されていて、とても愉しく觀ていました)。

 

 

そんな当ドラマは2019年の作品。

英米合作の作品なのだそうです。

作品自体は早い段階(それこそ2019か2020年くらい)で存じておりましたが、觀るに至りませんでした。

 

その理由としては『かなりショッキングかつ壮絶』と聞いていたからです。

被曝をしてしまった方の様相なども映るとのことで、怖氣付いていた。

 

しかし、確実に傑作であると分かっていたので、レンタルはしたくなかった。

といった、ひねくれた理由などから觀ていませんでした。

 

 

ですが、この度Blu-rayを購入し觀ました!

 

現在ドラマ全五話を觀たあとで、鑑賞した感想ですが『想像以上の壮絶さ、ショッキングで痛々しい作品』でした。

 

原発の爆発による火事を消火していた消防士の方の最期は、目を向けるのすらも憚れるようなものでした。

 

現在2024年を生きている我々は、特に日本人は原発の事故や核に対して非常にデリケートな部分の想いがあると思います。

ですが、この事故が発生したのは1986年。

 

第一話で爆発が発生し、爆発事故による火事を見物する野次馬のような人たちが描かれますが、その様子を見ている現在の我々は「なに悠長に見物してるの!早く逃げて!」と思いますが、そう思えるのもチェルノブイリの事故と福島の事故があったからでしょう。

実際、わたしの母は『原発は安全ですよ』というキャンペーンの広告を、当時見ていたらしく、ドラマ内で描かれていた見物人たちも2~30代の人ばかりだったので1945年に原爆が日本へ投下された当時には生まれてもいなかった人々が、その危険性を軽んじていた(放射線というものの危険性を知らなかった?)のは当然であるのかもな、とは思います。

 

実際、原爆投下以降から『核の平和利用キャンペーン』が始まり(鉄腕アトム』もそのキャンペーンの一環だと思われます)、「核は使い方次第では平和利用も可能なのです」という認識を持って欲しい側からするとその危険性は隠されていたのかもしれません。

 

なによりも痛々しいのは、見物していた夫婦がベビーカーを押していて、そこに乗っている赤ちゃんが被曝してしまったことです。

 

『無知は怖い』とはよく言う言葉ですが、無知というのは時に一切洒落にはならない危険なのだと感じました。

 

 

無知といえば、わたし自身も核や放射性物質放射能についての知識はありません。

『あらゆる物質に影響があって、生命体はDNA単位で傷つき、子どもに悪影響が生まれる』くらいの知識しかありません。

 

このドラマにて、わたしが無知を実感したのは被曝についてです。

爆発事故によって発生した火事を消火するために消防士の方々が出動します。

その消火活動前に隊員の一人があるものを手に持つのですが、それによって、数分~十数分でその隊員の手が火傷で爛れていました。

 

最初、そのあるものは放射性物質あるいは放射性燃料か何かだと思っていたのですが、実際のところ、それは黒鉛でした。

また別の話では、被曝により街の病院が人で溢れかえります。

患者さんの対応をしている看護師の方は、入院している被曝患者の衣服を脱がせて、地下室に運ぶのですが、その理由が衣服も被曝しているからです。

被曝したものは、それ自身が放射性物質ではなくても放射線を発するのです。

 

だから、看護師の方々は衣服を地下に運んでいたのであり、本来放射線を出さない黒鉛で消防士の方が火傷したのです。

今現在も病院の地下ではその当時のまま、隊員の方々の服が置かれており、その服自体も凄まじい量の放射線を発しているそうです(医療行為でレントゲンを撮影した場合、検出数値は数ミリレントゲンだそうなのですが、地下にある衣服は五百レントゲンを超えて検知されていました。事故から37年経過した今でです)。

 

 

この事件の経緯は非常に人為的なミス、というより権威主義が招いたものなのだろうな、と思います。

 

現場監督をしていた方がクソ上司であることは変わりないとはいえ(あの場面だけ見てそう決めつけるのも時期尚早ではあるけど)、そもそもが欠点や注意点を知らされていなかったのならどうしようもないよねぇ…。

結局は権威主義というか、『國の面子』みたいなものが巻き起こした事故だったのかなぁ。

 

 

第二話の最後で排水バルブを開ける志願者を募る場面がありますが、あそこで志願してくださった方があるから、今日も我々は生きていると言っても過言ではないんだろうな、と思います。

あの志願者を募る場面は『ホテル・ムンバイ』を想起しました(『ホテル・ムンバイ』も傑作なので是非)。

 

また炭鉱夫の方々が覺悟を決めて働いている場面や、「掃討作戦」をしているチームリーダーの悲哀というか『やるしかない』と腹を決めている場面など、各々のドラマというか葛藤が感じられたのも特筆点です。

炭鉱夫のリーダーが「石炭商らしくなったじゃねえか」という場面はよかったですね。

 

 

この作品を觀て安易に原子力発電を奨められなくはなりましたが、かといって即刻稼働を停止しろという主張も簡単にはできないよな。と感じます。

今の人口上、原発がなければどうにもまかないきれないのだろうと思いますしね。

とはいえ、核というものは『人が手を出してはいけない範囲のもの』だとも思うので、難しい問題だな。と思います。

 

 

あと、レビューで『Fukushima 50』と比べられている方もいらっしゃいましたが、製作した國のことを考えたら仕方がないんじゃないの?とは思います。

 

この『チェルノブイリ』というドラマ作品を作ったのはアメリカとイギリスで、旧ソビエト連邦という國はいわば敵國であるわけです。

「民主主義と資本主義の國」と「社会主義共産主義の國」で、ソビエトが崩壊したのちのロシアとも現在もあんまり仲はよくないみたいですし。

 

ですが、『Fukushima 50』は日本で制作されている。

日本の事故を日本映画で制作したなら、そりゃあ従事していた方々への配慮から美化する部分もあるでしょうに、と、思います。

 

アメリカ・イギリス合作の映画で『フルメタル・ジャケット』という作品がありますが、あれは明らかにベトナム戰爭を美化して描いていましたからね。

 

國が作った映画が「あの対応、やっぱり今考えると間違ってたわ」と描くのは、おそらく対外の國に対しては好印象でしょうが、『あの対応』と言われている対応を行なっていた当事者とその親類からすると、ふざけるなよとは思ってしまうでしょうしね。

その当事者が『あの対応』によって体調を崩していたり、亡くなられていたのなら尚更。

 

 

 

この『チェルノブイリ』というドラマ作品、觀てよかった作品ですし、少なからず原子力発電による恩恵を受けている方は觀た方がいい作品だと感じます。

 

いっぱしのホラー作品よりもよっぽど怖いし。

 

 

 

事故の収束に従事された方々へ。

 

ありがとうございました。