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最近、平野啓一郎さんが執筆された『ある男』という作品を読みました。
2022年11月18日には映画も公開となります。
この作品のあらすじは、まぁ映画のサイトに飛んでいただきましたら分かるのですが、ある男性が仕事現場の事故で亡くなるのですが、その男性の実家へ死亡を伝えたところ、実はその男性は偽名を使っており、別人だった、という内容です。
お話の構成や流れは、塩田武士さん著作の『罪の声』っぽいな、と感じました。
主人公が謎と対峙して、その謎を捜査、究明していく。
クラシックなミステリ的探偵ではなく、現実世界で浮氣調査などをする探偵的な動きを、弁護士である主人公の城戸は行います。
そして、この作品は『ミステリの皮を被った哲學書』でした。
亡くなった男が〈別人だった〉ことで、城戸はその男の『本当の素性』を調べるわけですが、捜査をする際に「人間とは」が重要になってきます。
つまり"その人"とは何によって構成され、何をもとに説明されるのかということです。
『その人』を説明するものは何なのか。
戸籍なのか。DNAなのか。人種なのか。國籍なのか。親から不可逆に与えられる環境なのか。生活や経験などの自分でどうにかできる類の経験なのか。
親が成したこと、成さなかったことなのか。
戸籍だとしたら、そのデータがなければその人は存在していないことになるし、DNA
だとしたらDNAが解明されていない人は存在が透明的になる。
そういったことを読者である我々へ問いかける、そういった作品でした。
また、この作品はわれわれが『小説を読む』ということ(あるいは映画などを観たり音樂を聴いたりすること)の、一つの意味、理由、一つの答えを示した作品であるとも感じます。
小説を読んで、そこに描かれている人物の傷を知り、傷に寄り添い、読んでいる自分の傷を癒し救っていく。
自分のデリケートな部分を直視するのはしんどいし、エネルギーを使う。
でも、小説を読むことで、その登場人物と心情を同調させることで、自分のデリケートな問題と距離を保ちながらも対峙して向き合うことができる。
とても良い作品だなあと思いました。
以前の記事にて取り上げました、辻村深月さんの『朝が来る』も、登場人物の心に触れる作品でしたが、この『ある男』もそんな「実際に存在しているのかもしれない」と感じさせる人の一生に触れる、静かで優しさのこもった作品だと感じます。
根本からの生を肯定できないのは、辛いですからね。
でも、そんな生の自己肯定ができない人の半生を、知って、寄り添うだけでも『生の肯定』になり得るのではないでしょうか。
第三者の自己満足であるかもしれないけれど。
自己満足だとしても聞いたり知ったりすることで、その人の氣持ちが軽くなるならいくらでも聴きますよ。
この〈ある男〉の息子である悠人くんが俳句を読むのですが、その句が本当にとても良いので、そちらも是非触れていただきたいとも思います。
この作品は純文學の流れを汲んでいるそうなのですが、確かに純文學的な文章表現や風景描写の美しさ(太宰治著作『人間失格』の冒頭のような)も鮮明に感じながらも、『ある男とは実際誰なのか』というミステリ的要素・その強度が強いこともあり、すらすらと読めて、「続きが氣になる…!」とページをめくる手が止まらない。
と、そんな小説の本分であるところもこの作品の魅力であると思いました。
〈ある男〉の背中を見て、『何か語るべきことの多そうな背中だと感じた』といったような描写をされる場面があるのですが、"語るべきこと"ってなんなのだろうか、と感じました。
そんな、『考えるべきことを考えるきっかけ』を与えてくれる作品です。
これからの人生において、とても重要で大切な一冊になるのだろうな、と感じました。
未読であれば、是非読んでみてください( ¨̮ )
ありがとうございました( ¨̮ )