本日も閲覧ありがとうございます。
最近、辻村深月さんの『朝が来る』を読みました。
2020年の年末にこちらの記事で書いた、映画『朝が来る』の原作小説です。
読後の感想
この作品は女性にしか書けない作品だ、というのが作品を読んだ感想です。
日々の生活で引き起こされる様々な感情が交差する表現や、また子どもの頃のキラキラした思い出が、成長するに従ってひび割れ、色褪せ、幻滅していく過程の表現も非常に鮮明かつリアルで、自身の過去が思い出されるようでした。
「自分のものではない字」に自身の生活を狂わされたひかりが、むかし朝斗くんに向けて書いた手紙の「自分の字」を見て心が揺れるという対比(トリック)は、小説ならではの表現だと感じ、さすがだなと思いました。
対比という部分では「広島の寮で見た空と雲の景色」と、物語最後の「雨上がりに夕日が雲の切れ間から漏れている景色」とが、ついになっているように感じ印象的でした。
映画だと、やはり映像化されている分わかりやすくなっている部分はありますが、登場しているキャラクターがどういった心情かどうかは、ナレーションやモノローグが無い限り鑑賞者が憶測をするしかありませんので、原作小説を読んで新たに発見することができました。
あと、単純に映画の尺的にカットをせざるを得なかった箇所や、尺の都合で原作とは違った演出になったりも致しますので、映画だけではなく原作を読んでよかったと思いました。
「女性にしか書けない」その理由
「この作品は女性にしか書けない」と先述しましたが、その理由は二つあります。
一つは「子どもは結構周りのことをよく見ている」ということです。
物語は「佐都子・清和が朝斗と生活している今の生活(一幕目)」と、「夫婦が朝斗を養子として迎え入れるまでの過去の生活(二幕目)」と、「朝斗を出産したひかりの幼少期から21歳までの暮らし(三幕目)」の大きく分けて三幕構成となっているのですが、一幕目と三幕目の最後に朝斗くん目線のセクションが設けられているんですね。
朝斗くんは幼稚園の年長さん(6歳)の設定なのですが、その未就学の子どもでも周りのこと(特に場の空気感や親が出す緊張など)をよく見ていると丁寧に描かれています。
これは河瀬直美さんが監督をとった映画版でも同じように描かれており、作者の辻村深月さんと河瀬直美さん御二方ともお子様がいらっしゃるからではないかと思っています。
これは女性という性が「自身のお腹を痛めて子を授かり、出産した」という出来事を経験して生まれた、母性からくる結果なのではないかと思うのです(無配慮無自覺な母性信仰と取られたくないですが)。
その結果としての、『子どもも大人(親)の伺い知らないところで、色々と観察して氣を使っている』という表現だったのではないかと思います。
男というものの絶望的な想像力の無さ
そして二つ目の理由ですが、それは「男というものの、"絶望的な想像力の無さ"を徹底的に描いている」という部分です。読んでいて素晴らしいと思いました。
- 清和が佐都子に対して発した「(子どもが)いたらいいなとは思うじゃない」という発言や、クリニック内にある検査用の精液を採取する為の部屋に対しての「ショックだった」という清和の感想。
- 佐都子が同期の伊藤に特別養子縁組の相談をした時の『血』の話や「どうしようもない親」といった発言のひとつひとつ。
- ひかりを妊娠させた巧の中絶へ対しての認識など(巧に関しては中学生という設定でしたので、若さの面を強調したのかも知れませんが、だとしても認識の低さがひどい)。
「子どもがいたらいいな」程度の認識で子どもがいる生活を選んだ結果、生活を圧迫する上に自分の思い通りにならず、良いとは思えなかった。その場合は責任を全て子どもに押し付けるのでしょうか?
「いたらいいな」で迎えた子どもがいじめ被害に見舞われたり、加害者側になり被害者を自死へ追い込んだ場合はどうするのでしょうか。「うちの子に限ってそんなことは起こり得ない」と考えているのならば、それこそ本当に想像力が無い。
男は「いたらいいな」と思うだけですが、実際にお腹を痛めたり体調やメンタルが崩れたりするのは女性の方です。
清和の発した『ショックだった』に関しては作中でも言及されており、「男性の具体的な想像力の欠如が、不妊治療における男女の意識の差のようなものをそのまま表している氣がする」と書かれています。
伊藤の『血』の話については、「親が見ていない時に子どもが親を観察してそれを真似ている」だけじゃないのかと思います。
あるある話としてポピュラーなのは「寝姿が一緒」とかでしょうか。
その事象についても「親がとても氣持ち良さげに寝ているから、無意識的にその時の寝姿を真似ていた」と想像ができます。
その程度の想像もせずに『血』と言い切ってしまうのはどうにも利口だとは思えない。
あと、身体情報も遺伝するんだから寝姿が似るのは当然でもあるんじゃねえの?
実際に『血』の問題としか言えない出来事等もあるのでしょうが、その理由を想像したり考えたりもせずに『血』だけを理由に思考を放棄すんなよ。と思う次第です。
大体が『血が繋がっている』から支配的になり、「自分の経験は我が子にも(無条件で)通用するだろう」と妄執に似たアホみたいな勘違いをするんじゃないのか。それが理由で『毒親問題』や親子の齟齬や不仲が起きるんじゃないのか。
そんな勘違いする前に目の前の子を独立した個人だと認めろよ。
「どうしようもない親」と思うのなら、反面教師にできるチャンスですね。「すばらしい親」になるためがんばれー。
巧は中絶に対してこう言っています。
「中絶って、女の方が体の痛みはあるかもしんないけど、それがない分、精神的な苦痛は男の方がもっとだよな。オレ、何度も自分のこと人間失格だって思った」
ふざけんな、の一言ですね。
中絶が引き起こす苦痛は、女性には身体的なものと精神的なものがあるため、苦痛が分散すると思っている(わざとそう書いている部分はあるのでしょう)。
身体的苦痛がない分、精神的な苦痛は男性の方が女性よりも上だと思っている。
「何度も自分のことを人間失格だと思った」→この後に及んで自己保身か?
そんなことばっかり言ってるから「男はいつまでたっても子ども」だとか「女性の方が精神的に自立してる」と言われるんだよ。
『出産時の痛みを男性が経験したら、その痛みでショック死する』と言われているほど男ってものは体たらくのしょうもない生物なんだから、いい加減男ってものは立場をわきまえろよ。と、男のわたしは思います。
まず前提に、生物ってのは女性(メス)から生まれるんだから、そのことに対して尊敬と感謝を思い出せよ。
人間の男性を形作る染色体が欠損して長く経つという話もあります。
女性はXX、男性はXYです。
片方のX染色体が傷ついたとしても、女性の場合は両方ともがX染色体なので補い合うことができます。
ですが、男性を形作るY染色体が傷ついたとしても、もう一方はX染色体なのでY染色体は欠損したままになり、それが遺伝し遺伝してY染色体はどんどんとボロボロになっていきます。
あと、精子から卵子を作ることはできませんが、女性の卵子から精子を作ることはもうできるらしいですね。
それを忘れて(知らない?)、腕っ節が立つ程度の能力で偉そうにしているのは非常に愚かかつ滑稽に見えます。
そういえばこちらで書いた「グレタ・トゥンベリさんについて話す40代のサラリーマン」の方も男性でしたね。
と、ここまでフィクションに対して色々怒ってきました。
あくまでフィクションですので大袈裟に描いているのでしょうが、実際に存在している男ってのは想像力に乏しい方々が多いです。
想像力がちゃんと備わっているのなら、アダルトビデオなどの商業化されたファンタジー的なコンテンツで描かれていることが、どうして現実にも適応されると思っちゃうんでしょうか。
こちらの記事でも書きましたが、「フィクション」には「フィクションとなるために元になった現実」が存在するので、世に多く存在する『想像力のない男』と一緒にならないように氣をつけるしかないですね。
ま、他の男性のことを「想像力がない」と切り捨ててるのも、わたし自身の想像力がないゆえなのでしょうけどね( ¨̮ )
ちゃんと相手のことを思いやることのできる男性もいらっしゃいますし、そこらへんはグラデーションですよね。この世は二元論ではありませんのでそう簡単に二分はできません。
本題
さて、タイトルについての話です。
ちょっとこちらの動画をご覧ください(~4:30)。
ありましたね。
2020年の10月か11月くらいでしたでしょうか。子会社であるYouTubeも使えなくなりました。
わたしが話したいのは、スマートハウスについてです。IoTとかもそうですよね。
Googleがサーバー落ちしたから、ネットで管理していた家の暖房や給湯、鍵の開け閉めができなくなった。ということなのですが、その程度のこと、ちょっと考えたらわかるもんじゃないの?
鍵をネット管理に明け渡しているということは、ハッキングもできて入りたい放題になるということです。想像つかないのでしょうか?
似たようなことを以前にも書きましたね。
最近盛り上がりを見せている電子マネーに関してもそうです。
あのサービスのメリットは「現金を携帯しないため盗難の心配がない」や、「面倒な小銭の管理をしなくて済む」や、「飲み会などの清算時に起きる"大きいお札しかなかった時の面倒事"が発生しない」などでしょう。
ここで想像力を働かせてみましょう。
電子決済は今や多くの場所でできるようですが、思い出してください。日本は自然災害の多い場所です。
大型の地震が起きて、電子決済を管理しているシステムが壊れ、復旧の目処が立たなくなった場合はどうしましょう。
システムが壊れなかったとしても、各商店へ繋いでいる回線が損傷して電子決済が不可能になった場合はどうしましょう。
もし電子決済を運用するために必要な電力が、自然災害やEMPによる致命的な停電で供給不可能になった場合はどうしましょう。
「その時はその時で考える」のかもしれませんが、こういった『可能性』の話は常日頃から念頭に置いておくのは大事なのではないでしょうか。
それで、そういったことに意識がいかないのは単純に知らないからなのではないか。知らないから、想像できないのではないか。と思いました。
Imagine all the people
わたしは10歳の時に交通事故で車に撥ねられたことがあります。
膝の下を少し縫った程度で骨折などはしなかったのですが、その事故によるトラウマ?により、今でも車に乗っている時にトラックなどの背の高い車が近づいてくる状況に、とても強い恐怖心を抱きます。
アクセルをいきなり踏んだ時の急な発進に対しても、動悸が起きます。
あと0歳の時からアトピー性皮膚炎を患っているのですが、アトピーを口実にマクドナルドのアルバイトに採用されなかった経験もありますし、アトピーを理由に仕事の首を切られたこともあります。
交通事故のトラウマ(と仮定します)があるため、免許証を取得していないのですが、「免許証を持っていない=人間的に欠陥がある」とお考えになる方から見ればわたしは落伍者に見えるでしょう。
アトピーのやっかいさを知らない人からすると「とは言ってもかゆいだけでしょ?」と言われてしまいます。
常に痒さを感じている身からすると、一番拷問に最適なのは痒みだと思いますよ。
痛みは慣れるなんて言いますが、痒みは一向に慣れません。ひどい時は痒みで動けなくなることもありますからね。
それもこれも結局、その経験を体験したことがないから侮っていられるのではないかと思います。
いや、本人からすればその反応が適切だと思っているから侮っているとも思わないのかも?
とはいえ、相手を「理解しよう」だなんて思ってはいけませんよ。
以前「理解したい」と言われたことがありますが、それならばこれまでの生活でわたしが感じてきた苦しみ悲しみを全て追体験する覺悟が本当にあるのか?と問いたいです。
上記したアトピーで首を切られた経験も、心配している振りして揶揄される経験も、痒くてほとんど寝られず毎日寝不足で生活しメンタルが崩れていく経験も、全て背負って経験する覺悟が、本当にあるのか?と(わたしは0か100で考えてしまう癖があるので)思います。
私怨ですけどね( ¨̮ )
そういった経験があるため、ジョーカーのアーサーや鬼滅の鬼に対しても人ごとと思えないのでしょう。
人ごとにして切り離して切り捨てて考えた方が、生活は絶対的に楽です。
『理解』はできないけど、『知ること』と『知ろうとすること』はできます。
「そうか、こういう経験や受難があったからそう考えるんだね」や、「何かきっかけがあったから、ああいった口振りや性格なのだろう」と考えることはできます。そんなに難しいことかい?
わたしも、駅で車椅子でないのにエレベーターを使っている方に対して「階段使えよ」と思いますが、そのあとに「膝の調子があまりよくないのだろう」や「呼吸が乱れたらよくない病氣などがあるのかも知れない」と思います。
長々と書いてきましたが、わたしが言いたいことは「想像力と思いやりを持ってください。自分が持っていると思っている以上に持ってください」ということです。
わたし個人の考えなのですが、相手を理解できると本気で思っているから、話が合わなかった時に相手を非情かのように批難するんじゃないでしょうか。
まず大前提他人なんだから理解なんてできるかよ、目を覺ませ。
一応再度言ってきますが、男だけが想像力がないわけではなく、女性にも想像力が無い方もいらっしゃいます。ですが、男性はもっぱら想像力が絶望的に無い方が多いということです。
これからは心の時代ですよ。
ありがとうございました( ¨̮ )