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なんでもできるぜ高性能端末
皆さんは携帯電話をお持ちでしょうか。
お持ちでしょう。
日本におけるスマートフォン等の情報通信端末の保有率は、全体のおよそ8割に及ぶそうです。
今現在のスマートフォンには、元々の目的である通話機能に色々な機能がつけられ、まさになんでもできるぜ高性能端末になっていますね。
端末にインターネット機能が導入されてからめざましくその機能が発展し、アプリケーションというソフトウェア形式が採用されたことによって、より進歩したのだとわたしは思っています。
インターネットで検索できるブラウザ(Googleやヤフー)、メッセージの送受信、地図、ニュースサイト、新聞社、株などのマーケット情報、SNS、各種動画サイト、音楽系のサブスクリプションサービス、ゲームや漫画などの娯楽、ショッピングサイト(Amazon等)、乗り換え案内、天氣情報、色々な評価サイト(食べログやFilmarks)、レシピサイト、食事のデリバリー、ライフラインの管理、企業や商業施設、楽曲制作や画像加工、今では電子マネーで決済もできますよね。
いま挙げただけでもアプリの内容はかなり多岐に渡っています。特定のアプリ内に出る広告をブロックするものもあるみたいです(列挙してわかったのですが、もともとインターネット上にサイトがあり、それをアプリ化したものが多数のようですね)。
上記したものたちをまとめたものもあるみたいです(『報道系とエンタメのニュース、マーケット情報、クーポン』のように)。
その他でも色々なものがオンライン化しており、それは皆「便利」の名目になされています。
わたしはその社会的な流れに危惧を感じています。
本当に"便利"なの?
一度冷静に考えてみてください。それは本当に便利なのでしょうか?
今ではほとんどの人がAmazonなどで買い物をしたことがあるでしょう。通販サイトでは、まず住所の入力は必須です。決済方法はクレジットカード。
これだけでも個人の電話番号と住所、メールアドレスとクレジットカード番号はインターネットというビッグデータ上に明け渡したわけです。それも自分から。
また、SNSでは「セキュリティ(プライバシー)の強化」として『電話番号を入力してください』と表示されることもあります。その時に入力をすれば、それまで独立して動いていたSNSのアカウントと通販サイトのアカウント情報が紐付けられる可能性が出てきます。
SNSで『正確な位置情報』をオンにしていれば、GPSの機能でその人の現在地の特定が可能にもなります。SNSサイドとしては「より適切な地元のおすすめ情報を表示できます」と書いています。
もしGPS機能をオンにしていれば、「長時間滞在している場所」から自宅の特定も可能になることでしょう(実際に我がiPhoneでは「現在の位置情報」から『職場』などと表示されたことがあります)。
SNSの情報が流出し、もし携帯電話番号とGPS機能をオンにしていれば、またそのアカウント主が自身の顔を写真などで明かしていれば、個人の特定はより容易になりますよね。
また有名な話ですが、Amazonのおすすめ商品やYouTubeのおすすめ動画はAIが利用者の閲覧情報から割り出しています。
少し聞いただけでは危機感を覺えにくいかもしれませんが、簡単に言えば『ビッグデータ』と『資本主義』です。
検索の手軽さと危険性
インターネットでは非常に多くの情報が氾濫しており、「知らないことは検索」する方が多くいらっしゃると思います。実際わたしもその一人ではあります。
鳥類の刷り込みの話をします。
『鳥類は卵から孵化した時に初めて見た「動くもの」を親と認識する』いう、あれです。
これに対して我々"ヒト"は『刷り込み』と聞くと「あぁ、鳥が孵化した時のあれね」と思う方が大半かと思うのですが、それは"鳥類"というキャプションが付いているからではないでしょうか?
なにが言いたいかというと「ヒトにも刷り込みは適用される」
これはわたしの見解と憶測ですが、「ヒトも初めて仕入れた情報はそれが全く誤った情報であっても真実と信じてしまう」と思います。
インターネットでの検索の話に戻ります。
「知らないことにはまず検索をする」ことが癖づいていると、『インターネットの情報は正しい』というフレーミングがされている場合、新しく知ったその情報が正しいと刷り込まれてしまう危険性があります。
実際にインターネット上には有用な情報も多数あるので「インターネットの情報は正しい」と思ってしまうのは納得とも言えます。
しかし、その刷り込みがされたまま(氣付かないまま)でインターネットの検索を利用するのは非常に(非常に)非常に危険なことなのではないかとわたしは感じます。
まず、インターネットの情報が正しいと思っていると大衆(個人)が思考をしなくなる。
そして、根本からでまかせの情報ですら「正しい情報」として認識してしまう。
つまり疑うことを放棄するという状況に陥る。確かに疑って自身で考えるのはエネルギーを使うし疲れる。だから考えたくないという氣持ちもよくわかります。
しかし、その情報を一度疑って、自身で考える癖をつけていないと、為政者にいいように搾取されるだけになりますよ。そうわたしは思います。
無知を自覺
・無知は力なり
・自由とは隷従なり
と『一九八四年』には書いておりましたが、『無知の自覚』は必要だし大事だと思います。
以前、職場の後輩が、「知識はネット上にいくらでもあって、わたしたちはそれを見つければいいんです。必要な時に必要な情報を利用できる。知識のある場所さえ覚えておけばオッケーなんです」と言っていたことを思い出す。
なるほどそうかもな、と俺は感心したが、課長はすぐに大声で、「おまえ、パソコンがぶっ壊れたらどうすんだよ。外で、誰かが出血した時、『出血の止め方』とか携帯電話で調べるのか? その場ですぐ対処できる奴が本物なんだよ。ネットの情報でも何でもいいけどな、頭にちゃんと入ってなけりゃ知識でも知恵でもないぞ」と怒鳴った。
魔王 - 55ページ
わたしの大好きな伊坂幸太郎氏の『魔王』という作品でも、こう書かれています。
以上のことでわたしが伝えたいのは、「どうか、思考を他者に明け渡さないでください」ということです。
その手元のものは本当に便利な物でしょうか。本当に支配されていないと言えますでしょうか。
疑って。考えて。精査して。
ご自身で結論を出してください。その時だけの結論でも。
「自分で、自由に」の罠
5年くらい前でしょうか、電車に乗っていると乗客が皆一様に手元の端末を見ていました。
「あぁ、これはもはや支配だな。そして依存だ」とその時に思いました。
信号待ちの数分すら携帯電話を操作してしまう。
みんな"便利"だから「使っている」と思っているけど、その実は「使われている」
漫画村は"客"がサイトを利用することで、仮想通貨のマイニングが行われていたらしいですね。
漫画村、今度は利用者のパソコンやスマホを仮想通貨\"強制マイニング\"に使用し荒稼ぎか 【ABEMA TIMES】
以前にも書きましたが、「本当の支配者は、『自分が支配している』と相手に思わせる」
それの象徴としての一つがスマートフォン等の情報端末。
『スマホを落としただけなのに』という映画がありますが、「そりゃそうにもなるでしょうに」と思う次第です。一級の個人情報を持って歩いているという認識はあったほうがいいのではないかなと思います。
あの映画見てないですけれど。
ちなみにスマートフォンのホーム画面に「その人がどういう人なのか」が表されていると思います。
アプリをフォルダにまとめる人やまとめない人、まとめなくても同系統のアプリを同じページ(用語あってる?)に固める人や全く無頓着で雑多な人、そもそもアプリを必要最低限にして1ページで納める人。
十人十色。
ありがとうございました😎