頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

【八十八ヶ所巡礼】アルバム『八+八』わかった範囲で解説【わからん】

 

本日も閲覧ありがとうございます。

 

 

前回は八十八ヶ所巡礼さんの最新アルバム『幻魔大祭』を全曲レビューしました。

とても疲れました。なんせ10000字も書きましたからね。

おかげで一日一幻魔大祭しないと禁断症状が出る様になりました ミ☆

 

floodinhead.hatenablog.com

 

今回は流石にそこまで長くはならないと思います。

なんせ難解でしたもんで。

 

 

 

『攻撃的国民的音楽』と『凍狂』レビュー記事はこちら

 

floodinhead.hatenablog.com

 

 

 

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八+八

八+八

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初聴した時の感想は「わからん…」でした。

アルバムを二巡してやっとなんとかわかる箇所があったので、わかった範囲で解説します。

 

 

具現化中

 

闇にちょっとうっとり 光を知ってうんざり

 

───

 

具現化中 喧嘩中なのです

幻覚を 具現化中なのです

 

───

 

何も知りたくは無い

 

 

『闇にちょっとうっとり 光を知ってうんざり』

これは"にちゃんねる"の事か?もしくはインターネット?

この曲ができたであろう2008年か2009年くらいの時は、まだ世間的にはインターネットは浸透しきっていなかったと思うので、暗部という印象があったのではないでしょうか。

まだまだ2chがクローズな空間だったはずですからね。あくまで憶測です。

光は逆に持て囃されている当時の流行やらTVカルチャーでしょうか?知らねえ。

 

 

『具現化中 喧嘩中なのです 幻覚を 具現化中なのです』

具現化中なのは楽曲かな?構想がある楽曲を形にする過程で、脳内で「こっちのアプローチがいい」とかを喧嘩しているということだろうか?

幻覚を具現化中はあれでしょ、「思考は現実化する」というあれでしょ。

目の前に物があるから、"先にそれがある"と思いがちだけど、まず構想想像を創造してから物を作り出す。

その構想(幻覺)を具現化中(作曲中)ということだと思った。実際の真意は知らん。

 

 

『何も知りたくは無い』

知識が自分を縛る。知識という枷が純粋な感性を鈍らせる。

だから何も知りたくは無い。

 

 

日本

 

 

何となくで嘲笑うな

まずは冷笑主義を潰せ

 

───

 

洗脳から解き放たれろ

 

───

 

愛国心を燃やせ 愛国心を個々に持て

 

『何となくで嘲笑うな まずは冷笑主義を潰せ』

この歌詞を見た時細胞が打ち震えた。握り拳が三つできた。

やっぱり『具現化中』の"闇"ってインターネット社会なんじゃねぇか?

 

 

『洗脳から解き放たれろ』

日本人はあれですよね。最初に教えられたことは正しいと思いがちですよね。

いや、人間皆そうだろうな。

いわば染脳です。

 

「洗脳から解き放たれろ」と聞くと、宗教を想起する方は日本に多いのではないでしょうか。

以前のわたしがそうでしたもんでよくわかります。

しかしですよ、上記のような文言を聞いた時に『宗教』を自動思考するというのは、洗脳がされているからではないでしょうか?

 

全てを疑ってかかるのって案外重要ですよ。疲れますけど。 

floodinhead.hatenablog.com

 

「『人種差別をしないために』人種差別の過去、無情さを教える」という取り組みがありますが、本当に根絶したいのなら、そういった過去をあえて教育しないのが一番だと思うんですよね。

もちろん差別はダメだけど、差別の過去を知らなければ差別という価値観や行動は起こさないのじゃないの?

 

親や教育者は本当に「差別はダメ」だと思っているのだろうけど、その善意の教育差別を助長しているってのは知っておいた方がいいと思います。

『教育』っていうと体裁は良いけど、その本質は染脳と同じですからね。

 

 

愛国心を燃やせ 愛国心を個々に持て』 

握り拳が六つに増えた。

そうです。愛国心は必要です。

愛国心とか言っちゃって。右か?」とかいう寒い揶揄は無しでね。野次は受けつけません。

まずどこに生まれてどこで育ったのか、貴様らは何人だ。生まれ育った事実から見ただけでも、愛国心を持つには相応しいのではないか。

愛国心を持てない理由が政治家にあったりするのではないか。確かに彼ら彼女らに腹が立つのはわかるが、それは『政治家に対しての怒り』だ。國に罪はない。

 

そして、愛國心は人に強要するものではない。

個々に持ち、それを侵略せず、侵略もさせない。

個々を尊重し、強要はしない。強要をしてしまうと宗教と同じになってしまうからね。

  

 

仏滅トリシュナー


www.youtube.com

 

2014年?くらいから存じていましたが、くせが強すぎて相容れなかった。けど、今年の春くらい?にそのかっこよさに撃ち抜かれた曲。

沼にハマりました。音楽は最高です。

 

 

「よく嗤う君」

渦巻き状の無限ミネラルを押し付けることって

 

───

 

酔っ払い主義を叩き込む此岸

 

───

 

やるせない俺は呑めもしないのにAlc.ばかりかっ喰らった

覚えていない記憶なんかがそこら中に溢れてるpsycho

 

───

 

微笑で眠り狂えば彼岸だって辿るって云うのだ

 

───

 

清濁など必要ない

意識が要らない 

 

「よく嗤う君」

漢字という文化の妙が光る部分です。

一般的に広く使われる「笑う」はfunnyな状況や楽しい場で使われますが、歌詞に使われている「嗤う」は、嘲りや嘲笑の意味合いを含んだ漢字です。

つまり、直前の曲で歌われていた『冷笑主義』を差しています。

 

『渦巻き状の無限ミネラルを押し付けることって』

 わからん。

「渦巻き状の無限」はアルコールを飲んで酩酊の渦を表現しているとも感じるし、フィボナッチ数列の螺旋のことのようにも感じる。

フィボナッチ数列だとしたら、「ミネラル」がわからん。日本語の意味としては鉱物となるけど、となると水?Alc.?

そう考えると、『酩酊の渦に落とすためにアルコールを押し付ける』と解釈できることもできる。むずい。

 

 

『酔っ払い主義を叩き込む此岸』

此岸(しがん)は現の世、つまりこの世界のことみたいですね。調べました。

 

酔っ払い主義というのは、『阿呆らしいこの世』を生きる為に素面で過ごすのではなく、自ら意識的に酩酊してトリップした状態(あらゆることに不感症な不干渉な心持ち)で過ごすことを強要してくる現代という意味かなと受け取りました。

 

 

『やるせない俺は呑めもしないのにAlc.ばかりかっ喰らった』

やるせない俺から現実逃避するためにアルコールに溺れた。

 

『覚えていない記憶なんかがそこら中に溢れてるpsycho』

これは酒瓶でしょうね。

親戚に酒飲みの方がいるのですが、「朝起きたら、開けた記憶のない空の酒瓶が何本も転がっている」なんてことが実際にあったらしいです。

 

 

『微笑で眠り狂えば彼岸だって辿るって云うのだ』

彼岸(ひがん)、此岸の反対。つまりあの世。調べました。

 

これはとてもスピリチュアルな話になるので眉唾くらいに聞いていただきたいのですが、感情というのは地球特有のものらしいです。

 

『あの世に笑いはない。あるのは微笑みだけ』という言葉があるそうで、その意味は「常に平静を保てているので、感情に左右されることがない」ということらしいです。

その結果が仏像などのアルカイックスマイル(無表情とも微笑んでいるとも見える表情)ということらしいです。

モナ・リザ』とかもそうですね。

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んで、我々は現在地球に生きているわけですが、地球に生まれる前にはその「微笑みの場所」にいたんだけど、感情という物質的な流動を体験したいために、地球へ来る。

「感情は細胞の霊魂」 

 

そして、人が寝ている時はその「微笑みの場所」へ里帰りしていると言われており(集合的無意識も同じ感覚の表現)、「微笑みの場所」は言わば彼岸。

  

要約すると「『微笑みを湛えながら寝ていれば、あの世を旅行できる』ってことらしいぜ」という意味のことを歌っていることになります。

 

 

『清濁など必要ない 意識が要らない』

「清濁というジャッジ」は人というある種下等な生を生きている我々が、勝手に決めた価値観である。

まず意識なんてものがあるから『清濁』という阿呆らしい基準を頼るのだ。

 

 

インタビューでマーガレット廣井さんは「この地獄から抜け出すヒントを全ての曲に込めている」と発言されています。

 

 

 

とはいえ、難しかったんで何もわかりませんでした。

 

 

 

 

「one man LIVE 日本万歳!!」を観た感想

 

『仏滅トリシュナー』のオールインから楽曲全編を通して繰り返されるベースリフがありますが、あのプレイがとんでもなかった。

あんなに複数の弦を上下するフレーズなのに、8ビートでルート弾きしているようなドライブ感が出ていたんです。

これ言葉で説明するのは簡単ですけど、なかなかできる芸当じゃないですよ。本当。

 

8ビートでルート弾きするのは比較的簡単ですが、そこからグルーヴとドライブ感を表現するのはまた別の難しさがあります。

しかもルート弾き(一本の弦を弾き続ける)ではなく、複数弦を行ったり来たりするフレーズでそのグルーヴとドライブ感を表現しています。

しかも軽快なステップを踏みながら、です。

マーガレット廣井というベーシストの凄みを垣間見た瞬間でした。

生で体験したらどうなってしまうのかしら。

 

ちなみに初見時には両拳を握りしめて細胞が踊り狂うのを感じていました。

 

 

『日本』の曲中にマーガレット廣井さんが客席に降りて観客と目を合わすセクションがありましたが、あそこがとても良かった。

「貴様ら(ファンの呼称)を踏みつけにしたくないんだ」と口にしたとき、冗談ではなく泣きそうになりました。

この冷笑主義が蔓延し凍り狂った現代日本で、こんなにあったかい人が存在するんだと知れて、出逢った意味を感じました。

無意味に意味を見出す「人の性」ですね。

 

そして、マイクケーブルを観客が支える(どうやって説明したら良いの?)のも、『その場にいる全員がイベントを成功させよう』と一丸になっていたのも、捨てたもんじゃねえなと思いました。

 

あと、マーガレット廣井さんが客席に降りるときに言っていた「同じ目線に立たせてくれ」という心持ちも素晴らしいと感じました。

どうしても演者と観客の関係だと、ステージが高いため上から見下ろす構図になってしまいますからね。

そんで、今の世間は相手の立場になって考えようと思い至らない人が多い。そう思う。

 

 

しかしああいう場、状況を見て宗教臭いと感じる人が多いのも事実なのだろう。

あくまでわたしの主観でしかないですが、自分が許容できないものを宗教と形容して歩み寄ろうとしていないだけなんじゃないのか。

個人の見解ですが、音楽というのは宗教的な側面があって然るものと考えていますので、何か物理的被害や危害を加えようとしない限りは健全なものじゃないかと思います。

 

 

やっぱり「心の底から好きか」どうかが大事なのか?

その『日本万歳』で一番印象的だったのが、ギターのKatzuya  Shimizu氏の存在です。

わたしはギターを嗜むのですが、昔からギターの速弾きというものが苦手でした。

弾くのもですが、聴く方が苦手です。

その理由は「どこか自慢っぽく感じるから」

 

なんというか、速弾きに興じる方には「三次元的、物質的繁栄にこだわる人」みたいな印象を感じるんですね。

簡単に言えば「こんだけ早く弾けんだぜ?すごいだろ?タッピングもできんだぜ?すごいだろ??」と言われている様な。

 

もちろん被害妄想?なのかも知れませんが、そんな速弾きを自慢げに見せられても全然魅力的に感じませんでした。むしろ胸焼けがして「もういいや」と思う始末。

 

これまでの自分ならそうだったのですが、Katzuya Shimizu氏のギタープレイ(速弾きマシーン)には、そのある種の"嫌味"を全く感じなかったんですよね。

『幽楽町線』なんてギターソロだけで5分くらいあるんじゃないかと思うくらい長かったのですが、嫌味さを全く感じなかったのです。長えなとは思いました。

でもむしろ「速弾きっていいね」と思った。

しかも、同じくこれまでなら胸焼けがしたタッピングに対しても「良いね!」と感じた。

 

この人の速弾きはコピーしたいと思ったし、タッピングも苦手だけど挑戦したいと思った。

あと客席を指差したり、弾いた後に客席に向かってサムズアップするのも👍

 

今まで速弾きギターソロに胸焼けしなかったのは、9mm Parabellum Bulletの滝善充さんくらいです。

 

 

それで、どうして魅力的に思ったんだろうと考えました。

音作り?それとも圧倒的なテクニック?それか莫大な練習量に裏打ちされた無駄な力の排除?

それらはもちろん要因としてあると思いますが、結局のところ「それがどうしようもなく好き」だからなのではないかという結論になりました。

速弾きを、「これだけ弾けるんだぜ」というナルシシズムのために使うのではなく、純粋に「そのプレイスタイルが好きだから」という理由で弾いているから、胸焼けもしなかったし魅力的に映った。

 

9mmの滝さんも「純粋にギターが好き」という原動力で弾いているのが観ていて分かりますもんね。

 

 

Creepy NutsのDJ松永さんも話されていましたが、結局「好きで続けている」のが一番強いしパワフル。

お金儲けや「他者と違う自分」を表現するための手段として選択している人には、そこまでの境地にはいけないのかなと感じました。

 

単純に速弾き至上主義的なメタル系のアプローチがわたしの肌に合わないだけ、という可能性は大いにありますけどね。

でもDEAD ENDのYOUさんのギターは好きなので、情緒を感じるギタープレイが好きなだけかも。

 

 

カリスマと説得力

もう一つ、DVDを観ていて印象的だったのが『自分がアプローチしなかったであろう音』が耳についたことです。

その音を聴いて、「なるほど、こういう音作りのアプローチもあるのか」と思いました。

 

わたしは『輪郭のはっきりしたガツっとした音()』が好きなので、正直これまでの自分なら『あまり好きではない音』と処理していた音でした。

「ミッドローが強めで歪みをあまり強くせず、ボリュームを上げることで得られる全体的な倍音を用いた、ドシッと重心の低い"殴られるような"音」

 

ですが、その音を「こういう音もありだね」と思えたのは、その人が持つ説得力が影響したのではないかと考えました。

その「説得力」を強く持っている人が『カリスマ』と形容される。

そのカリスマをコントロールしたり、広く浸透できる人が時代の寵児(キング牧師X JAPANのhideさんなど)となるのではないか、そう思いました。

 

 

カリスマ云々については真偽不明ですが、八十八ヶ所巡礼というバンド、またそのメンバーが「説得力を持っていたから」わたしのような畑が違う人間にも「それもありだね」と思わせることができたという分析は、あながち間違ってはいないのではないかと思います。

 

 

まぁわたしは如何せん視野の狭い部分があるので、色々な音楽と触れて許容する範囲が広がったというだけかも知れませんね。大いにありえます。

 

 

 

6000字も書いちゃった( ¨̮ )ミ☆

 

 

 

ワンマンライブたのしみ( ¨̮ )ミ☆

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )ミ☆