頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

価値基準が変わる ~書いていることばかりが全てではない~

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

わたくし事で恐縮なのですが、わたしは六月に誕生日があります。

つまり歳を一つ食うわけです。老化するわけですね。

 

今年で成るわたし自身の詳しい年齢など今回の記事には関係しないので、書くつもりはありません。

十代、廿代、30代、四〇代、はたまた米寿になるのかもしれません。どうでもいいですよ。

 

わたし自身、年齢については興味がないという氣持ちが強いのですが、この十数年や数十年を生きていて、考え方?に変化が出てきているように感じます。

 

それは「自分の年齢がぱっと思い出せない」です。

 

 

昔はわりと「えーと、いくつです」と答えられていたのですが、今では「えーーーと、いくつだっけ?…あ、いくつです」といったように返答に時間を要するようになりました。

この理由を考えてみたのですが、人生や生活というものに対しての価値基準や重要とするものが変わったからなのではないか、というのが現時点での結論としての一つです。

 

 

その【価値基準】がなんなのだ、という話になるのですが、それは『自分・相手の年齢がいくつなのか』です。

 

わたしは以前より「自分より年食ってるからって大したことない奴は大したことないよな」と思っておりました(自身の好き嫌いで態度を変える者はいるし、後輩やそんな程度の理由で挨拶をしないなど)。

そんな『以前』から『現在』へ至るにつれ、上記の考え方が強固になり、わたしの対人関係やわたし自身の人生への価値基準が【その人自身の脳みそでちゃんと考えられているか】に変わっていきました。

 

その変遷があったことで《年齢》という要素が重要ではなくなってきたのですね。

 

 

もちろん年の功はありますが、儒教の腐ったような『無条件に年長者は敬う』なんてことはしなくて良いというか、その儒教の腐ったような価値觀があるからこそ、ただのうのうと生きて年を食っただけのボンクラが偉ぶっているのだとも感じます(多数の年長者が話していることは、ある種の真実があるはずなので耳を傾ける必要はあると思います)。

誕生日ごとに「レベルアップした!」と嘯いている方がいらっしゃいますが、その程度で人間として成長しているのならば、世界はもっと良いものになっているはずでしょう(あと年に一回しかレベルアップできないって、それは成長速度が遅いのでないのか、とも感じます)。

 

結局自分自身を肯定できるものがないから『年齢』という即物的なものに縋るのではないのか、と思いますが、その苦言は今回のお話とは関係しないのでほどほどに。

 

 

しかし思い出してみれば、わたし自身も年齢に拘っているときはありました。

特に小・中學生時分はそうでした。

 

ですが、それっておそらく『自分自身の誇れるもの』みたいなのが年齢しかなかったからだろうと感じます。

武器が一つだけしかなかったら、一本槍を過剰に大切にするのは納得です。

幼稚・稚拙とは思いますが、その幼稚さも時代によっては必要なことだと思いますので、ご愛嬌というところでしょうね。

 

しかし、わたしも少なからず年を食ったことで武器になるものを得ました。

このブログで書いているようなことや、様々なものに対しての考えというような視点です。

わたし自身の本質は『世界に対しての洞察である』と腑に持っているため(しかし、自信などを持つと怠慢に繋がるので、自負は持たない、あるい程々に抑えていないといけません)、年齢という要素に意味というか重要性がなくなったのでしょう。

ところで、わたしのプロフィール?をひっさしぶりに見返したのですが、一行紹介の欄にて『思想家があなたに話します』と書いていて、自分で書いたことながら「まったく大きなことを書いたものだなぁ」と苦笑してしまいました。

はたして有言実行はできておりますでしょうか。

 

 

他にも自分の年齢が咄嗟に出て来ない理由を考えたりもしました。

昔は環境的に「いまいくつ?」と質問をされていたけど、今現在自分自身がいる環境が「いまいくつ?」の質問をされる環境ではない、ということもわたし自身が年齢を忘れる理由になっているのだとも思います。

 

 

他の理由としては、単純に自分自身の現実を見たくないだとか。

「うわ、自分もうこんな歳かよ」と思いたくないとか。

深層意識ではそういう理由もあるでしょう。

思い出してみれば、その昔わたしの母へ年齢を聞いたときも「忘れた」と言っていましたが、それも現実を見たくない理由があったのかもしれません。

どうでもいいですよ。

 

 

ところで、わたしは昔からわりと早く年を取りたかった人間です。

その理由としては、『明らかに自分が正しいことを言っている』のに【年齢が幼い】程度のことで相手にされなかったからです。

ある程度年を食ったら発言も聴いてもらえる機会が増えますからね。

 

年長かどうか程度の薄っぺらい理由で『手前自身で物事の本質を考えもせず《自分で考えていると思わされていること》で考えたつもりになっている』人間が偉ぶっているのって我慢ならないですからね。

自分よりも若い方の質問や発言・言動が、自分の知らなかったことへのきっかけになることも往往にしてあるだろうのに。

 

ま、《明らかに自分の主張は正しい》と思っているあたりから、まだまだ幼いということの証明になるのですけどね。

 

 

 

そういった年齢についての記事でした。

『年齢は重要ではない』と考えているということは、『いつ死のうが大した変わりはない』ということにもなるのか?

いや、それとはまた話がべつかしら。

 

 

 

ありがとうございました。

どうぞお好きに生きてください。