頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

知らん間に発生してる思考誘導

 

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ジョン・ポール曰く

再三、記事のネタにしておりますが、わたしは現在伊藤計劃さんの『虐殺器官』を読んでいます。

 

もうあと五十頁を切っています。

 

 

虐殺器官』ではジョン・ポールという言語學者さんが登場するのですが(最初に見た時、「The Beatlesか??」と思いました)、そのジョン・ポールさんがある場面で下記のようなことを言いました。

 

『仕事だから』

十九世紀の夜明けからこのかた、『仕事だから仕方ない』という言葉が虫も殺さぬ凡庸な人間たちから、どれだけ残虐さを引き出すことに成功したか、君は知っているかね。

仕事だから、ナチはユダヤ人をガス室に送れた。

仕事だから、東ドイツ国境警備隊は西への脱走者を射殺できた。

仕事だから、仕事だから。

兵士や親衛隊である必要はない。

すべての仕事は、人間の良心を麻痺させるために存在するんだよ。

資本主義を生み出したのは、仕事に打ち込み貯蓄を良しとするプロテスタンティズムだ。

つまり、仕事とは宗教なのだよ。信仰の度合いにおいて、そこに明確な違いはない。

そのことに薄々気が付いているようだがね。誰もそれを直視したくない。

 

上記の文章を読んだ時、はっとしましたが、同時に「そりゃあそうだよな」とも思いました。

 

 

仕事は宗教

ジョン・ポールさんは「すべての仕事は、人間の良心を麻痺させるために存在するんだよ」とも言っています。

考えてみれば、詐欺のような営業をしている大企業でも、その詐欺とも認識できる業務を行なっている理由を問えば「だって、仕事だから」という返答がされるのだろうと思います。

 

 "仕事をする理由=自分(と自分の周囲)の保存のために行うこと" だと短絡的に考えることができますが、あれ?やっぱりこれは『自分を最優先する=自分自身に対して信仰している』になるのではないのか?

 

だとしたら自身の身を滅ぼすようなことになってまで、仕事に従事する理由がわからない、と思いましたが、その理由こそ【仕事】は【宗教】になっているからなのでないか、と考えられます。

 

【仕事】を《信仰》しているから(狂信?)、身を滅ぼすほど働く。

 

 

プロテスタント』はアメリカにて主流のキリスト教分派だとしか認識していなかったので、この度辞書で意味を引いてみましたら【プロテスタント】とは「キリスト教カトリック教会に対して反抗・勢力改革した一派」という意味なのだそうですが、つまりは『宗教組織の新派』ということですね。

 

であれば、【仕事】は『一神教宗教』においての《新興した教祖・信仰対象》ということになりますね。

 

思わずウーム、と唸ってしまう意見です。

 

 

実のところはとても深い信仰を行なっているが、近現代は宗教を否定している。

本当は【仕事】を信仰しているが、宗教や信仰を否定しているために、その事実を見ないようにしている。

 

ジョン・ポールさんが「仕事は良心を麻痺させる」と言っているように、人間の世界というのは『いかに莫迦でいられるか』の勝負なのではないかなぁ、と感じます。

 

 

ところで、このジョン・ポールさんが話している内容って伊坂幸太郎さんの作品でも言及されていましたよね。

どの作品だったか、失念しちゃっているのですが、その作品にも「戰場でどうして人を殺したんだ、と兵士に聞いたところで『仕事だからだよ』としか返答されない」的な内容が書かれていました。

 

そういえば『モダンタイムス』では「仕事を細分化していくと、良心が消える」とも話されておりました(上記にて大企業の例を挙げましたが、組織が大きくなるほどに部署などが細分化していくようなので、《大企業ほど良心が希薄》という構図は必然なのかもしれません。)。

 

やはり、まともに考えることができるのであれば、そこに言及するのは当然なのかしらね。

 

ちなみに、このジョン・ポールさん。

個人的にはかなりカリスマのある人物だとは思うのですが、主人公のシェパードさんが言っていた通り『狂っている』人物だとも思います。

 

 

知らん間に発生・進行してる思考誘導

ところで、わたしは小説にて登場する人物の容姿や風貌が細かく言及されていても、その容姿通りを想像するのではなく、話しぶりなどの印象から俳優さんなど、有名な人を登場人物に当てはめます。

 

上記にて登場しましたジョン・ポール氏ですが、わたしの印象的に俳優のジャン・レノさんっぽいなと思い、イメージしていたのですが、このジョン・ポールさんをジャン・レノさんの容姿で思い浮かべていたのって『ジョン』と『ジャン』とが見た感じの字面で似ていたから、脳が無意識にそうイメージしたのかな?と、今日思いました。

 

上記したようにジョン・ポールさんが『言語學者』であることと、ジャン・レノさんの落ち着いた印象が似ていると判断して、という意識下の理由はありますが、実は無意識で字の並びが似ていると感じたから、ジャン・レノさんを想起したのかしら?と感じます。

 

考えようによっては恐ろしいお話にもなりますね‪( ¨̮ )‬

 

ありがとうございました‪( ¨̮ )‬