本日もご訪問ありがとうございます。
前回は前々回の樂理の記事と合わせて、日本に置ける平均点教育の弊害を説きました。
書いている時に思ったのですが、これって均しているということですよね。
學校の机に座る子どもの吹き出しをハサミで切って四角形にするという風刺画もあります。
この「平均に均す」ということを考えた時に、念頭に浮かんだのは道路です。
現代の道路はアスファルトで舗装されてあるものが大半です。
ですが、本来なら地球はでこぼこしているものです。
そのでこぼこを均して、アスファルトで舗装したというのは、個性のある子ども達を平均にしようとするのと、とても似ている、あるいは同じなのではないかと感じました。
これらの舗装も、自由な考え方を刈り取る教育方針も、20世紀から盛んに行われました。
やはり物事はリンクしていくのですね。
コンクリートやアスファルトで一色にして平らに均して、個人の思想も同じようにしていって。
罪深いなと、わたしは思ったのですが、その罪も人が背負うべき業で、その業を担ったために先の存在になるのだとしたら、この罪は必要悪なのかも?
とはいえ罪は深いよな。
つぶさに観察していけば。
地球を隠し、靴の汚れない街
ありがとうございました。