本日もご訪問ありがとうございます。
五年ほど前にこんな出来事がありました。
ラーメン屋で食事をしていた時のこと。わたしはカウンターに座っておりました。
もくもくともぐもぐ食事をしていると、隣に座るカップルらしき二人の会話が聞こえてきました。
「……デブの三段活用ってのがあって、それがデブ、デバー、デッド」
「なにそれ〜!おもしろ〜い」
きゃっきゃとお二人ははしゃがれていました。
しかしです。この話は『タイムマシーン3号』という芸人さんのネタなのです。
他人が作ったネタを得意げに話して何が樂しいのか。
これは愚痴です。
五年の間「理解できない」とプンスカしていました。
が、どうしてその出来事が起きたのか。
タイムマシーン3号さんのネタだとわかったのはなぜか。
「特定の芸人さんのネタだとわかった」のは、そのネタに具体性が高かったから、です。
では抽象性の高いネタなら良かったのでしょうか?
では『抽象性の高いネタ』とはなにか。
ベタといわれるもの?
一旦、ベタ=抽象性の高いものと仮定します。
お笑いにおいての「ベタ」と言われるものは、同じことを重ねて繰り返す『天丼』というものや、バナナの皮ですってんころりん転ぶ、なんてのがあると思います。
ですが横山やすしさんがギャグにした〈メガネメガネと探すジェスチャー〉も『ベタと言われているもの』に含まれると思います。
しかし、『ベタ=抽象性が高いもの』というには〈メガネメガネ〉はあまりに具体性が高すぎる。
もしそのジェスチャーをしていたら『横山やすしさん』がイメージされるでしょう。
これはどういうことなのでしょうか。
ということは、です。
ベタというものは『イコール抽象性が高い』ということなのではなく、『数多の具体例が集合した結果』ということなのではないでしょうか。
一つ一つの具体が集合して、大きな『ベタ』という存在になっている。
この状態ってのはモザイクアートと似ている、あるいは同じだなと思いました。
モザイクアートってのは「人の顔写真を集めて別の顔を作る」などといったものです。
つまり『具体を集合させて別の具体を創生する』ことですね。
この活動が〈ベタな笑い〉と一緒なのではないか、と考えた次第です。
具体が集合する際に、色々な状況に対応する具体へと変化します。
それはつまり『具体の抽象性が上がる』ということでもあります。
この『具体が集合することで抽象性が発生する』というのは水でも起こっていますね。
水の分子というのは水の分子(具体)でしかありませんが、それらが『集まることによって氣体にも液体にも個体にもなることができる』という抽象性が発生します。
全く面白いですね。
「Aという具体の集合は、ただAが集合した具体」なのではなく、「具体Aの集合はまた別の具体」であったり「具体Aが集合すると、具体Aに抽象性が発生する」なんてことは、これまで思いつきませんでした。
本当に面白いです。
こういったことも、過去にカップルが話していたことがたまたま耳に入り、プンスカし続けていなければ思い至っていないかもしれないわけです。
そう考えるとありがたいと思う。
他人の話していたことばっかり引用してんじゃねえぞ、とは思いますけどね。
お前自身の頭で考えたことを話せ。
たとえその話が既に他人が話していたことであったとしても、自分なりの結論を見出したことが素晴らしいのです。
常に他人の話を引用していたのならば、その脳みそは他人のものということになりますからね。お氣をつけなさって、
引用をするなら「これはでれそれからの引用なのだけど」と注釈をしましょう。
ありがとうございました( ¨̮ )