頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

シンボル

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

ふと思ったことですので、軽く書くだけにします。

 

マクドナルドというファストフード店があります。

 

マクドナルドだけにかかわらず、ファストフード店は大抵そうなのですが、持ち帰り用の袋は紙袋です。

 

これは『食べ物から出た蒸氣で蒸れてべちゃっとしないように』といったような理由から、紙袋が使用されているのではないかと考えているのですが、我々大衆は『紙袋』と聞いた時に『ファストフード』が紐付いて連想されることはよくあるのではないかと感じます。

 

 

これは思考を操作されていることなのではないか?と思うと同時に、一つの企業やものにおいてもシンボルが複数つけられているということでもないかと感じます。

 

マクドナルド』というものの中にも「ファストフード」や「ハンバーガーチェーン」や「アメリカ由来の企業」という複数のシンボルが内包されているということですね。

これは〈タグ〉と言い換えることも可能だと感じます。

 

また『ファストフード』のシンボルの一つに「マクドナルド」がありますが、『マクドナルド』の中にも「ファストフード」のシンボルがあるということです。

 

 

この〈シンボル〉を一つでも見たら、自動思考でそれに関連した企業やものが想起され、その結果消費につながる場合は多いでしょう。

 

『紙袋』を見ただけで「マクドナルド」を連想する、ということになるわけですからね。

これを洗脳と言わずになんと表現するのか、と、わたしは思います。

 

洗脳でなければ、染脳ですね。

 

 

そして、新しいファストフード店がオープンする際にも『持ち帰りの袋といえば紙製』という固定観念と自動思考によって、紙袋が採用され、『ファストフードにおいての紙袋のシンボル化』と『大衆への染脳』が強固になっていくのです。

 

 

 

しかし、我らが大衆として生きる上では、この『洗脳』と『自己染脳』から逃れるのはまず無理だろうと思われます。

少なくとも『自覺している』だけでも、結果は違ってくるとは思います。

 

 

まったく『洗脳ゲーム』な世の中であるな、と感じる次第な時代であると感じます。

 

ばかばかしいと思いながら踊りましょう\(´-`)/

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )