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バァイオハザァァード...
『バイオハザード』というゲーム作品があります。
CAPCOM社より発売されており、三十年近く続く超人氣作品です。
わたしはこの作品が好きです。
好きですが、まぁライトユーザーくらいです。なんてったって実際にプレイしたのは『バイオハザード5』と『リベレーションズ』くらいですからね。
ですが好きです。
物語としての最新作は八作目である『BIOHAZARD VILLAGE』です。
このタイトルですが、ローマ数字で8を表す「VIII」が表現されているのがとても粋です。イカす!
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この『BIOHAZARD VILLAGE』はバイオハザードシリーズには珍しく〈家族愛〉を題材にした作品です。
七作目にて初登場したイーサン・ウィンターズ氏の続編として物語が進行していきます。
~以下、若干のネタバレが含まれます~
主觀視点
お話の内容は『娘が生後半年で誘拐され、娘を取り戻すためにイーサンが闘う』というようなものです。
めちゃくちゃ家族愛を題材にした作品なのですが、製作陣に変化が生じたのかなぁとか想像します。
要は製作陣に子どもが生まれた、って感じです。
別に七作目と八作目の間で生まれたとかっていうわけではないでしょう。
もっと早い段階から生まれていたという可能性の方が高いと思います。
バイオハザードシリーズには魅力的で人氣なキャラクターがたくさんいます。
クリス・レッドフィールド氏やレオン・S・ケネディ氏、ジル・バレンタイン氏はやっぱり人氣でしょう。
第六作目までは上記人物が主人公としてお話を紡いでいたのですが、第七作目では突如現れたイーサン・ウィンターズ氏が主人公を務めています。
しかも第七作目からは主觀視点でゲームが作られています。
だからなのか、イーサン・ウィンターズ氏がどのようなお顔をしているのかが不明です。
ゲームプレイ時は絶妙に見れないようになっておりますし、人物紹介の画像では顔がわからないよう黒塗りにされております。
第六作目までは三人称視点でプレイできたこと、また主人公の顔が見れないということで不評などあったのではないかと思います。
この主觀視点と主人公の顔がわからないという演出?ですが、これは『BIOHAZARD VILLAGE』があるがためなのではないか?と思いました。
それが今回の内容です。
家族のお話 愛のお話
バイオハザードシリーズの七作目と八作目は家族のお話です。
第七作目は主人公のイーサン氏がある家族にお邪魔する内容で、第八作目はイーサン自身が自身の家族を持っております。
先述の通りイーサン氏は誘拐された娘のローズマリー氏を取り戻すために闘います。
最終、イーサン氏は娘を守るために自ら命を落とします。
その十数年後、成長したローズマリー氏は自身の力のために闘うのですが、その内容はダウンロードコンテンツ(本編の物語補完やその後の内容などが描かれた作品)にて描かれています。
そのダウンロードコンテンツにてイーサン氏はローズマリー氏を助けるのですが、どうしてそうしたのかといえば、イーサン氏が父親だからなのでしょう。
『BIOHAZARD VILLAGE』の本編にて自身の命を投げ打ってまで娘を助けたものの、ローズマリー氏にはいわゆる "親らしいこと" ができなかった。そして生後半年のお祝いの時にイーサン氏が交わした約束を果たすため、娘を護った。
まさしく愛ということでしょう。
わたしには子がいないので、そこにある〈親から子に対しての愛〉という感覺はわかりません。
イーサンの想いは家族愛で紛うことないと思いますが、ラスボスであったマザーミランダ氏の想いも家族愛が故の行動なのですよね。それを忘れてはいけません。
もちろん、自分の大願を果たすために他人を利用したというのは惡しきことです。
しかしそこの根底には家族への愛があった。それは認識していないといけません。
罪を憎んで人を憎まず、ということです。
そして第七作目の元凶も愛を求めていた結果、暴走をしてしまいました。
この世の本質は愛といいますが、善惡どう転じるかも愛の扱い方次第ということでしょう。
イーサン・ウィンターズの顔が描かれていない理由
イーサン氏の顔が描かれていないとは前述しましたが、その理由は先に書きました愛が理由ではないかと思います。
ローズマリーに向けられたイーサンの想いは間違いなく愛です。
その愛は本来であれば全てのものに与えられるべきものです。
家族というものの愛、それを最大限に感応させるためにイーサンの顔は描かれていないのではないでしょうか。
もしイーサン氏の顔が他のキャラクターと同じように完全に描かれていたら。
もしそのイーサン氏に似た顔の父親に虐待された過去を持つ人がいたら。
そういった可能性を考慮すると、愛を説く人は顔が明かされていない方が良い。
なぜならば「顔を描ききってしまうと必要な人や場所にその愛が正しく届かない可能性があるから」です。
イーサン氏の顔を見るたびに嫌な記憶が呼び起こされたりすることもあり得ますし、純粋な愛を説いたところで過去の記憶から鼻白んでしまう可能性もあるからです。
バイオハザードシリーズはアメリカなどの海外を舞台としております。
もしこのゲームシリーズが日本限定で発売されていたのだとしたら、そこまで氣にする必要はないのかもしれませんが(氣にはしたほうがいいけど)、バイオハザードシリーズは今ではハリウッドで実写映画化されるほど全世界で人氣な作品となっています。
そのため、注意と配慮は最大限した方がいい。
もしイーサン氏の顔を鮮明に描いたとして、その顔とそっくりな人から虐待や暴力を受けた方がいたとしたら、その人はバイオハザードという作品群自体にもトラウマが関連付けられてしまったり嫌惡感を抱いてしまう可能性もありますからね。
正直そこの損得勘定よりも『愛』に対してのノイズにならないための配慮ではないのかと思いますが、これもあくまで憶測です。
7→8だけど、元々は8ありきで7?
イーサン氏の初登場はバイオハザードシリーズナンバリングタイトルの第七作目です。
しかし、もしかしたら第八作目のお話や構想が先にあったのか?とも思ったりします。
『BIOHAZARD VILLAGE』は家族愛のお話ですが、いきなりそのお話が繰り広げられて完結されても、プレイヤーとしては「はあ、そうすか」と思ったりしかねない。
そうなったら「第七作目って異質だったよね。なんか一部ファンからはカルト的な人氣があるみたいだけど」と評価される位置付けで噂されていたりしたのではないか?と考えます。
愛の本質というのか『伝えたいこと』を最大限プレイヤーに伝えるために、イーサン・ウィンターズの初登場作品を作った。のではないかな?と考えたりしています。
しかもこれまでの作品は〈國や警察の特殊部隊〉が主人公でしたが、イーサン氏は一般人です。
いち一般人が狂った家族(実は被害者)に巻き込まれる、その設定だけで我々大衆が感情移入しやすい。
〈特殊部隊〉は企業などでさらりまんをしている人からすれば非日常だからです。
もちろん非日常を体験するという強みと面白みはありますが、結局自分と似た境遇の人の方が感情移入はしやすいですからね。
しかも第七作目はシリーズ初のVRプレイが可能ということで、より《没入》が必要であると感じます。
そのため、心理的要素として主人公を一般人で設定した。
その一般人が次作も主人公として登場。しかも子どもが生まれている。
第七作目だけで初登場の主人公が家族愛を説いて終わる作品よりも、2作品続けて主人公を務めた主人公が愛を説いた方が感情移入するとは思いませんか?
そのような人間心理を用いて、作られた流れだったのではないのかしら。という、仮説です。
3作品ごとに
なんだか聞くところによると、バイオハザードシリーズは3作品ごとにゲームシステムが変更されているらしいです。
1~3はサバイバルホラーの要素が強いゲーム性、4~6はドンパチ重火器登場の世紀末的ゲーム性、そして7~ はホラー要素の強い作品。
となると第九作目は前の2作品と同じようにホラー要素が強くなる作品なのでしょうか。
どうやら過去作主人公のレオン・S・ケネディ氏とジル・バレンタイン氏が主人公っぽいです。
そして上記の通り第七作目、八作目と家族のお話だったので第九作目も家族のお話になったりするのか?とか思っております。
ということはレオン氏かジル氏のどちらかが子どもを授かり、それをきっかけに物騒な世界から引退。とかのお話になったりするのでしょうかね。
ジルさん引退しなさそう。
ジェイクさん再登場しないんすかね
『BIOHAZARD VILLAGE』のダウンロードコンテンツにて、ローズマリー氏は自身の能力と共生している選択をしました。
その結果、クリス氏が所属している機関の保護下に置かれているみたいです。
ということはローズマリー氏は今後も登場するんですかね。
イーサン氏の想いも汲んで物騒な世界とは無縁な生活をしてほしいんですけどね、個人的な意見としましてはね。
それに対してアルバート・ウェスカー氏の息子であるジェイク・ミューラー氏には再登場してほしいです。
三浦く〜〜ん、頼むよ〜〜〜〜〜。
『BIOHAZARD VILLAGE』のダウンロードコンテンツではローズマリー氏が主人公としてプレイできます。
そのゲーム内でハーブのセージを回復アイテムとして用いるのですが、セージの花言葉は【尊敬】や【家族愛】なんですね。
こんなの泣きますよー泣く泣く。
ありがとうございました( ¨̮ )