頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

【機動戦士ガンダムSEED FREEDOM】二人の魂は救われたのだろうか【鑑賞後の感想】

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

先日、映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』を観てきました。

 

www.gundam-seed.net

 

 

元々は觀るつもりではなかった

ガンダムシリーズは好きなのですが、正直なところSEEDの映画は觀るつもりではありませんでした。

しかし、友人より「ファンサービスの嵐」「二十年待った甲斐があった」「過去に公開されたガンダムの映画の中で一番かも」と話を聴いて興味を持ったので、觀た次第です。

 

『当初この作品を觀るつもりではなかった』と書きましたが、というのもテレビシリーズが二十年前の作品です。

その当時はわたしは少年で、一応全話観たはずですが内容が難しく覺えていなかったので公開日時が発表された時も「劇場版ね…」と、半ば後ろ向きな氣持ちでした。

 

友人より「どの程度の認識具合??」と聞かれたため、上記や『名シーンや印象に残っているシーン(ニコルが殉死する場面やイージスの自爆、イザークの傷)』などを友人に言うと、「わいもそんな感じやったで。でもそれくらいの知識でも娯しめるやで」との返答。

 

「そやったら觀てみるかぁ」と思い、今回鑑賞した次第です。

 

 

鑑賞後の感想

先に書いた通り、割と後ろ向きで作品を觀に行ったわけです。

 

上映開始~中盤までのわし

「なんやこれ、ファンの二次創作か?」

 

上映終了、鑑賞後のわし

「しっかりと《ガンダム》だった…。。過去觀たガンダム作品の中でも一番《ガンダム》かもしれない…」

 

エンドロールの最初で【原案 矢立肇 富野由悠季】と表示されますが、「えっ、、これ本当に富野さんが脚本に参加していていないの…??」と思ったくらいです。

 

 

ガンダムライトユーザー

わたしはガンダム作品が好きですが、全アニメシリーズを觀ているわけではありません。

 

初代(テレビシリーズ全話)

Z(テレビシリーズ全話と劇場版三作)

ZZ(テレビシリーズ全話)

逆襲のシャア

0080 ポケットの中の戦争

0083 STARDUDT MEMORY

F91(たしかこの作品にて言及されていたのですが、「戰爭は勝者も敗者も生まない。生むのは戦災孤児だけだ」というセ台詞に痛く感銘を受けました)

∀ (劇場版のみ)

SEED

SEED DESTINY

OO(一応両シーズン見ましたが忘れました)

UC

THE ORIGIN

NT

ククルス・ドアンの島

閃光のハサウェイ

 

上記がわたいがこれまで觀てきたガンダム作品です。

全作品觀ているわけではないので、ライトユーザーですね。

 

それに足してゲームで作品のお話を補完、という感じです。

 

 

そんなようなライトユーザーに、二十年前のお話うろ覺えなSEEDです。

及び腰にはなっちゃいますよねー、どうしてもね。

 

ですが、そんなライトユーザーでも「あ!あれ!」とわかるような小ネタ、ファンサービスの嵐だったのが、今回の『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』です。

 

 

ガンダムシリーズファン』へのファンサービスの嵐

まず、ファンサービスの一つとして「!」と思ったのが、コンパスの船だったかが入港する際に白鳥が飛んでいたところです。

この場面で「ファーストのあそこじゃん!!」と思いました。「諸君、艦の右手を見てくれ、白鳥が飛んでいる」のところです(細かいニュアンスはうろ覺え)。

 

他にも最終決戦が終わってムウさんにマリューさんが抱きつく場面は、劇場版Z三作目のカミーユとファが抱きつく場面と格好が同じでしたし、分かり易すぎる小ネタとしてはヒゲハロが催眠ガスを噴霧する時にギンガナムが叫んだりとかがありました(「『甘ったれ』は『修正しないと』な」とかもですね)。

 

そういえば、ガンダムSEEDって過去のガンダム作品で主要人物の声を当てた声優さんが勤めている場合が多いみたいですね。

イザーク関智一さんや子安武人さん、三石琴乃さんに関俊彦さんとかもそうですね。

 

 

その他、ファウンデーションの頭であるアウラさんが幼い子どもの容姿をしていたのは、Z~ZZのミネバさんが脳を掠めますし、この『SEED FREEDOM』にて初登場したアグネスさんは『逆襲のシャア』にて登場したクエスさんに酷似していますし、寝返るのはレコアさんも行っております(というよりもガンダム作品では寝返りはお家芸か?)。

 

あと、マリューさんが戰死しなくてよかったな、と思いました。

マリューさんの声を担当されている三石琴乃さんは、ガンダム作品ではないですが『エヴァンゲリオン』でも、同じ艦長という役職の葛城ミサトさんの声を担当されています。

『シン・エヴァンゲリオン』では艦ごと突っ込んで殉死されておりますしね。

同じようにならなくてよかったです。

 

 

そうそう。

最終決戰でフリーダムが使った刀って、アストレイレッドフレームが持っていたガーベラストレートですか?

 

 

あ!!!!!

ミーティアのスラスターが発進準備をするカットと、ルナマリアさんがインパルスで発進する時のカットってテレビシリーズのものですよね???!!

わたしはあれにめちゃくちゃ興奮したので、最高のファンサービスでした!!!!!!!

 

 

優生思想 対 愛

この『機動戦士ガンダムSEED』という作品は、自然分娩で生まれたナチュラルという種族と、遺伝子改変にて生まれたコーディネイター(試験管ベイビー)という種族との対立に端を発して爭いが起こっております。

 

テレビシリーズ二作目の『SEED DESTINY』にて、そのナチュラル・コーディネイター間での爭いは終わったように思えていたのですが、コーディネイターの上位種族の《アコード》が登場して、もう一度革命(『DESTINY計画』)を起こそう!とするのが、この『SEED FREEDOM』のお話です。

 

要は「『SEED DESTINY』にて否定された考え方の正当性をもう一度知らしめたい!と思った残党が巻き起こした戰爭のお話」が『SEED FREEDOM』なのですが、この残党が一揆する構図とかも『逆襲のシャア』からの引用・小ネタか?とも感じます。

 

 

本作にて登場する《アコード》の七人ですが、その内の何人かの人物設定(性格)も過去のSEED二作に登場した強化人間の性格をオマージュしていましたね。

 

 

さて、ファウンデーションが行う『DESTINY計画』ですが、これは要するに、、

遺伝子の情報からその人の得意不得意がわかるよ!

だから誰もが必要とされる理想郷を作れるんだ!

でも遺伝情報で決まっていることだから、自由意志とか遺伝子的に向いていないことをするのは禁止だよ!

自由意志なんて持とうものなら、國家反逆罪になりかねないから気をつけてね♪

ということです。

 

そして、遺伝子改変をされてスーパーパワーを身につけた《アコード》を作り出し、それを引き連れてもう一度『DESTINY計画』っちゅう革命起こすやで!!と奮起するファウンデーションをキラたちが叩くのが今作ですね。

 

 

つまり、この『DESTINY計画』は選民思想や優生思想を根っこにして構築された価値觀ということです。

その価値観に対して「NO、人間は愛だから」と真っ向から相対すのが、テレビシリーズからの主人公たちです。

 

 

SEEDのシリーズを通しての主人公であるキラさんと、ファウンデーションの大将であるオルフェさんが一騎打ちをします。

オルフェさんはアコードであるがゆえ、キラさんの恋人(妻?)であるラクス・クラインと許嫁の関係を元から与えられておりました。

しかし、ラクスさんに自己を拒まれた(ラクス「あーしキラの方が好きやっちゅうねん。なんで何度も言ってんのにわからへんねん。無能やなぁ」)ため、自己が拒まれたことによる嫉妬と、『(ある意味、物として)必要とされたから産まれた』という自分自身の出生・生存理由の否定とでオルフェさんは激昂します。

最終的にオルフェさんは敗れますが、複座席に座っていた、同じくアコードであるイングリットさんからの『物としてではない、その人が必要だから』という愛を知った後に機体は爆発。アコードの二人は死を迎えます。

 

二人の機体が爆発する時、「オルフェさんとイングリットさんの魂は救われたのだろうか」と思いました。

どうか救われていたらいいな、と思います。

 

 

全てのガンダム作品に向けての作品

「結局愛だよ〜」という結末で幕を下ろした『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』

前述した「二人は救われたのかな」という感想を以って考えていましたが、その時に『この終わり方は全てのガンダム作品への想いが篭っているのではないか?』と思いました。

 

ガンダム作品には、戰爭の都合によっていいようにされた人々や戰爭の影響で人生を狂わされた人々が多く登場します。

 

ファーストのララァさんは偶発的なニュータイプなので、そこまで非業だとは感じませんが、ZのフォウさんやZZでのロザミアさん、DESTINYのステラさんなどの強化人間や、生活のためにジオン軍を手伝っていたファーストのミハルさんは戰爭に利用された人だと思います(テレビ版で精神が壊れていたカミーユも被害者の一人ですね)。

 

そんな『戰爭によって翻弄された方々』の鎮魂をしていただけではなく、実社会生活上で『物として必要とされている(ことを氣づいている)人々』さえをも癒しているように感じました。

 

実際、現代の世では《いかに使えるか》や【利用価値】遵守的な時勢に傾いておりますが、もうそろそろ本当にそういった物質的な価値觀では立ちいかなくなっているんだろうな、と思います。

 

キラとラクスが主張していたことは確かに綺麗事にも聞こえますが、綺麗事だと諦めてもがいたり声を上げていかなければ、向こうの都合がいいように利用されるだけでしょうしね。

 

 

そうだ。「ファウンデーション外資的な西洋の価値觀なのだな」と思ったところとして、オルフェさんが機関砲の発射を指揮する時に「Fire!」と言っていたところと、『DESTINY計画』の再提示を行うところでやたらと横文字(だったか?)を使っていたところです。

 

あの演説をしているときは「ねむて〜〜〜〜こと言ってんなぁ。カリスマがないね。ちゃんと "伝えないといけない" のに、『できる人アピール』をしたいかなにかで小難しい言葉を使ったとしても、無能バレバレやで」と思っていました(人のふり見て我がふり直せ)。

そらアスランさんに煽られるわ。

 

まぁでも、そう言った話し方をした方が一般的には騙しやすいってのもあるだろうし、『小難しい言葉で攻めた方が大衆扇動にて効果的だよ』と教えられたという側面もあるかもしれないので、やっぱり氣の毒だな。。とは思います。

どうか泣いていないでね。

 

 

ところで

すーーーーごく今更なのですが、『機動戦士ガンダムSEED』の《SEED》って遺伝子のことですか?

 

このブログでは「脳内に浮かんだ小難しいことを、自分の脳がパンクしないように発散するため」に色々と考えていることを書いているのですが、いつも書いているようなことを考えるようになったのは二十歳を過ぎたころからだったのですね。

なので、リアルタイムで『SEED』や『鋼の錬金術師』を觀ていた頃は、その表現や意味には脳が向かいませんでした。

そのため、この度「は?っ『SEED』って遺伝子のことか?」と思いました。

 

 

『ファンの二次創作と感じた、そのノイズ』について

この記事の冒頭にて、『鑑賞中は「なんやこれ、ファンの二次創作か?」と思っていた』と書きましたが、その理由について最後に書きます。

 

まず「あれ?こんな顔だったっけ?」と思ったこと、『イケメンサービスのシーン』や『ロマンスのシーン』がやたら多かった(と感じた)こと、『キャラクターの体が細すぎる』こと(ちゃんとご飯食べてる?と心配になる)、『そこってそのギャグ要素いる?』と思ったこと、などです。

 

最後の《ギャグ要素》についてだけ言及いたしますが、今作の内容って結構現代にも通ずる問題が根っこになっています。

それをZやUC並みにシリアスに書くと『重すぎる』となって胃もたれというか敬遠されかねないために、作品のバランス的に軽いギャグが散りばめられていたのかな、と感じます。

このギャグ要素、演出には『機動戦士ガンダムZZ』を想起するので、これもオマージュや小ネタのファンサービスなのかな、とも感じます。

 

 

確かにファンの二次創作だとは感じましたが、SEEDのテレビシリーズでファンになった方がサンライズに入ったのかもしれないことを思えば、念願として好意的に受け止めることもできますね。

 

声優さんの面から見ても、過去のガンダム作品に感銘を受け、声優業に足を踏み入れた人が、のちのガンダム作品に出演して《ガンダムの意志》を後世に繋げるという流れも、まさしく今作にて描かれた愛そのものだと感じますし、"種" を継承していると受け取れば終わりが良いのではないかと思います。

 

 

おしまいに

以上が今回『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』を初回鑑賞にて感じた感想です。

 

ちなみに、劇中歌の『Meteor-ミーティア-』を聴いた時に「あれ??!これ歌唱再録??」と思い、その確認に必死だったので、エンドロールでラクスさんが話している内容を聞き忘れています。

歌唱は再録でもなかったです( ¨̮ )

 

ということでYouTubeにてテレビシリーズ全話の総集編を觀て「あー懐かしい!」「あっ、そうだったんだ!?」「あーニコル…。。」などなど復習したので、二回目行ってきまーす( ¨̮ )

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

少しでもいろんなことで癒される人が多くいればいいな、それによって他の方が傷つくなんてこともなければいいな、と切に思います。

 

 

 

追伸  おい!!!!!

イザークの出番少なすぎるだろうがよ!!!!!!!!!

もっと銀髪おかっぱを登場させてよ!!!!!!!!!!!!

 

 

「いい時代」なのだろうか

 

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最近『蛸地蔵』というバンドさんを知りました。

www.youtube.com

 

かっこえ〜〜。

 

出会いは突然。

例によってYouTubeのおすすめにて、でした。

 

サイケロックを冠しているためにホイホイと耳が先行して行ったので、はぐれないように脳と頭が追随したって感じです。

 

この '70年代感というかバブルで浮かちゃう前な感じがたまらなく良いですね。

八十八ヶ所巡礼さんはプログレッシヴ・ロックを基調にしていますが、この蛸地蔵さんはストレートなロックを基調にしていて、またこれも良いです。

 

 

ライヴ行ってみてぇ〜〜〜〜!と思ったのですが、惜しむらくは現在は活動を休止されているそうです。

八十八ヶ所巡礼さんの時も思いましたが、どうして当時に知らなかったのだ。。と後悔を感じてしまうばかりです(八十八ヶ所巡礼さんは現在も活動されているので、有難いの一言でしかないのです)。

 

しかし、そんな活動休止しているバンドさんの音樂も触れることができる。そんな状況を鑑みて『とはいえ、いい時代だ』と思いました。

が、その一秒と半秒の半分あとに「果たして本当にそうなのか…?」とも思いました。

 

確かに、昔のバンドの音樂や色々なコンテンツに触れることができるアーカイヴ時代の現代は恵まれているとも言えますが、当時にしか活動していなかった、記録も残っていないものは今触れることはできないのです。

 

その当時にいた圧倒的な傑物は、その当時にしか触れることができないのです。

 

つまり、何を言いたいのかというと、現地で体験する以外にないということです。

報道されていることなんてのも、本当に起こったことなのかなんて不確か不透明でしかないのですし。

 

百聞は一見にしかず、いくら『あの当時はすごかったのだよ』と聞かされたとて、その当時の空氣は体験できないのです。

 

無情というか、何というか。

 

 

こういったことを考えだしてしまえば無限に迷ってしまいますね。

昔も覗き見ることのできる現代(社会保障はクソ)の方が良いのか、圧倒的なものを体験できたその当時の方が良いのか。

 

 

結局は今あるものを真摯に触れるということしかできないのでしょうね。

そして、必要なものはちゃんと所有をして。

floodinhead.hatenablog.com

 

 

そういえば、大阪メトロでは『顔認証改札』の運用試験が始まるのだそうです。

試験モニターが募集されておりました。

 

 

 

無情〜〜〜〜〜〜。

 

 

 

 

ありがとうございました。

平和利用キャンペーン?

 

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先日『チェルノブイリ』という海外ドラマについての感想を書きました。

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ドラマの劇中にて《放射線被曝したものはそれ自体が放射性のものではなくても放射線を放出する》ということを初めて知った次第なのですが、この特性って『スパイダーマン』で言われていることと同じだったりしますか?

 

というのも、『スパイダーマン』って放射性の蜘蛛に噛まれたことでスーパーパワーが身につくという設定なのですが、無知なわたしは「 "放射性の蜘蛛" ってなんだよ、わけわかんねえ」と思っていました。

 

しかし、《放射線被曝したものはそれ自体が放射性のものではなくても放射線を放出するという特性》を以って考えてみれば、"放射性の蜘蛛" という存在も無きにしも非ずなのかしら?と感じます。

 

放射線は遺伝子に作用するそうなので、何かしらでスーパーパワーも身についたりしたりもするのか?ということです。

 

しかし、"放射性の蜘蛛" が噛み注入された体液がヒトの遺伝子を改変したのか、それとも "放射性の蜘蛛" 自身が放出している放射線で遺伝子が改変したのかは不明ですね。

 

 

ところで、わたしの母は幼少期に『核の平和利用キャンペーン』ポスターを観たことがあるとは『チェルノブイリ』の感想記事にて書いた次第ですが、この "放射性の蜘蛛" も平和利用キャンペーンの一環でもあるのかな、と思います。

 

 

しかし、ある存在が脳みそにザラザラと登場します。

 

同じく『スパイダーマン』シリーズにはサンドマンというキャラクターがヴィラン(悪役)として登場しますが、彼は核実験巻き込まれたことで体を砂にする能力を手に入れます。

 

のちにヒーロー側に転身したりもするらしいのですが、そもそもが悪役としての登場ですので、核や放射性物質に対しての危惧をしていたのか?とも思います。

 

というよりも、アメコミの世界って結構科學的なものの影響で悪の世界に入っていく描写が多かったり、科學的なものを使って犯罪を犯している描写が多いので、「あんまり科學を礼賛しすぎるのもよくないんじゃない?」という意図があったのかもしれません。

とはいえ、その意図というのも世代的な特徴かもしれません。

 

資本主義大國であるアメリカ発の作品が、科學に対してのアンチテーゼをしているように感じるのは意外な部分もありますが、大抵の受け手はただのフィクションとして認識して、危険性は『フィクション』として処理するのでしょうね。

実際、わたし自身も「核実験の影響でなんで体が砂になんねん」とは思いますしね。

 

でも核や放射線に対して無知であるので、知ったように『あるわけがない』などとは言えませんけれどね。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

壁に耳あり 障子に目あり

 

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わたしはオカルトとかそういったものが好きです。

 

YouTubeにて活動されている『THC オカルトラジオ』というチャンネル様も、登録をしてよく拝聴しています。

 

先日こちらの動画がアップロードされ、最近聴きました。


www.youtube.com

 

『ある未解決事件ブログ記事』という話を聞いていたのですが、思わず「こっっっっわ!!!!!」と声が出てしまいました。

 

その部分は『ある日、メールが届く』という場面なのですが、考えてもみれば、IPアドレスってものもあるので、筒抜けなのは当然だよなと思います(だとしても怖い)。

 

このはてなブログも、コメントした人のIPアドレスが表示されますしね。

 

 

昔はインターネットは逃げ場的な印象だったりもしていましたが、今の世では逃げ場なんてないのかもしれませんね。

 

むしろアナログな場所の方が逃げ場なのかもしれないし。

 

 

ちなみに、IPアドレスなどは1980年代から一般利用されていたらしいので、そもそも逃げ場なんてなかったのかも。

昨今の誹謗中傷云々にて、「IPアドレスの開示」などをよく耳にするようになりましたが、まだまだ知らないことはたくさんありますね。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

『「鬼滅の刃」絆の奇跡、そして柱稽古へ』の感想

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

『「鬼滅の刃」絆の奇跡、そして柱稽古へ』を劇場へ觀てきました!

kimetsu.com

 

過去に書いた『鬼滅の刃』についての記事👇

floodinhead.hatenablog.com

 

 

この劇場版は『刀鍛冶の里編』最終話と、『柱稽古編』の第一話をくっつけて編集したものです。

 

上映時間の前半は『刀鍛冶の里編』の最終話が流れ、後編に『柱稽古編』の第一話が流れます。

 

 

『刀鍛冶の里編』最終話を改めて觀て

『刀鍛冶の里編』最終話の『繋いだ絆 彼は誰時 朝ぼらけ』にて、禰豆子が太陽を克服します。

 

それを知った鬼舞辻無惨さんは悦び?に打ち震えますが、その際に「増やしたくもなかった同類をこれ以上増やさなくて済む」と言っています。

 

この時に、「もしかしたら、鬼舞辻無惨さんも自身の苦悩を他人に感じて欲しくないと思っていたのかも」と考えました。

太陽を浴びることができない、とかの要素です。

 

そんなことを考えて、氣の毒だな…。。と思っていたのですが、『太陽を克服したら不死不滅の存在になれる』とか言っていたので「あっ、やっぱり小物だわ。他者のこととか考えてねえわ、しょうもな」と思いました。

 

 

ところで反天狗さんって、人間として生きていた頃から頭に瘤がありますが、あれって生前の粗相によって怒られてできたものだったりするんですかね。

 

 

『柱稽古編』の第一話

『柱稽古編』は、不死川実弥さんと伊黒小芭内さん、また二人の鬼殺隊士が登場し、鬼の目撃情報を元に調査をする場面より物語が開幕します。

 

維新を期に打ち捨てられた城で、鬼を発見した。

鬼が町の人間を攫って城へ入ったが、見失った。

などが二人の隊士より柱の二人へ報告されます。

 

不死川実弥さんが報告をした隊士に対してお小言を言いつつも、実際に鬼を認めたので、城へと乗り込みます。

 

 

この場面では不死川実弥さんと伊黒小芭内さんの戰闘を紹介する場面となりますが、風柱の不死川実弥さんは刀を振った時の音がすっきりとして軽いものになっていました。

 

刀を振った時の効果音なんてのは色々あるはずで、その効果音で各々の個性を表していたりするんだな、とはこの時に感じた次第です。

 

伊黒小芭内さんの効果音が結構高音の強めな音で、音も大きかったので、そことの対比で上記のように感じたのかも、とも思います。

 

そして、何よりも「なるほど」と思ったのは表現です。

 

不死川実弥さんの音が軽く感じる、すっきりした音だとは上記した次第ですが、名前のついている型技を不死川実弥さんが繰り出した時は、大きい音が鳴ります。

これで、通常の振りと型技を出した時との違いを表現しているんですね。

 

思い返してみれば、伊黒小芭内さんは型技を中心に出していたので、通常振りの音と型技の音とが違うのは不死川実弥さんだけではないのかもしれません。

 

不死川実弥さん曰く『三下』を斬っている場面がフォーカスされていたのは不死川実弥さんですしね。

 

 

お城の頂点にて鬼を追い詰めた柱の二人。

鬼は瓦の向こう側に落ちるように消えます。

それを追う二人ですが、その先にはかの《無限城》と評される空間が広がっていました。

 

わたしは原画展に行っただけで原作を読んでいないのですが(アニメが終わったら読むつもり)、《無限城》って比喩とかじゃなかったんですね。

『鬼舞辻無惨さんの根城』という意味で【城】の字が使われていると考えていたので、まさか古城を使っているから《無限城》というのだとは思っていませんでした。

 

 

さすがに言葉が足りない富岡さん

場面は変わり、緊急の柱合会議が開かれます。

 

その際、上限の鬼と対峙した際に発現した "痣" について、時透無一郎さんと甘露寺蜜璃さんにその時の状況が問われます。

はじめに甘露寺蜜璃さんが「鬼の攻撃がを交わしている時には体がなんだか軽くて、心臓もドキドキー!ってしてて、耳もキーン!ってなってて!」みたいな説明をするのですが、他の柱が一様に『わけわからん』って表情をしていたので面白かったです。

 

(原画展にて見たのですが)この場面の際、原作では不死川実弥さんが伊黒小芭内さんに「なんって言ってんだ?通訳してくれ」と台詞ではない台詞で語りかけ、伊黒小芭内さんは「ごめん、これは流石に無理」と困り果てる件があるのですが、アニメでは《表情だけでの演技》になっていましたね。

あの場面結構好きだったんですけど、これもアニメーションのならではの良さというところでしょう。

 

その甘露寺蜜璃さんの擬音的すぎる説明のあと、時透無一郎さんの正確な説明が行われます(わかりやすい)。

 

痣の説明があったあと、太陽を克服した禰豆子の話になり「鬼舞辻無惨は禰豆子を奪おうとしてくるはずだから、鬼殺隊士の能力向上が急務になる」と話題が展開します。

ですが、水柱である富岡義勇さんは会議に参加せず場を去ろうとします。

 

その行動に意見する不死川実弥さんに対して、富岡義勇さんは「俺はお前たちとは違う」とだけしか口にしません。

胡蝶しのぶさんが注意した通り、あまりに言葉が足らない説明であったため不死川実弥さんは怒りを表現します。

 

一触即発の空氣になりましたが、岩柱の悲鳴嶼行冥さんが行った一喝により、なんとか場は撮り直します(富岡さんは結局場を去る)。

 

この場面から岩柱の悲鳴嶼行冥さんは他の柱からも一目置かれているんだな、とわかりますね。

こちらも原画展からの知識ですが、悲鳴嶼行冥さんってもともと教員か何かだったみたい?なので、そういったことも一目置かれる理由(且つ富岡さんを頭ごなしに糾弾しない理由)としてあるのかな、と考えます。

 

 

さて、流石に言葉が足らなすぎる富岡義勇さんですが、富岡さんの口にした「俺はお前らとは違う」の真意って、『俺はお前らのような程度の低い者たちと一緒にはいられない』ではなく『俺はお前らのように立派な人間ではないから一緒にいることはできない』なのではないのか?と考えます。

 

圧倒的な至らなさとかを心に抱えているから、です。

自己否定と似た感情ですかね。

そうなると、柱という立場に対しても重圧を感じていたりするのかも、と思います。

 

しかし、富岡さんの性格的に口下手そうだし、言葉の真意を、内訳を話すにも過去あったこととかを反芻しないといけないから、それもしんどいんですよね。

つらいなぁ、富岡さん。

 

 

みんな可愛い

柱合会議から場面変わって、蝶屋敷の炭治郎。

隠の山田さんは確定で出現です。

 

蝶屋敷でのお話は基本ギャグパートなので、あんまり言及することはないかな、って思います。

 

嬉しくて髪の毛がぴょこぴょこなってる善逸がわんこみたいで可愛かった。とか、

うるささに迷惑がっている不死川玄弥さん可愛い。とか、

門から顔を覗かせる禰豆子かわいい。とか、

自分の名前を刷り込ませようとする伊之助可愛い。とか、

「いもすけ」になってる禰豆子可愛い。とか、

炭治郎に感謝されて満面の笑みになってる善逸可愛い。とか。

 

 

鎹鴉より『富岡義勇は柱稽古不参加』の報を受け取った後に、元音柱・宇髄天元さんによる基礎体力向上の稽古場面が流れ、いよいよ柱稽古が始まるのを感じさせます。

 

岩柱の悲鳴嶼行冥さんによるお稽古で滝行を行なっている様子が描写され、脱落した隊士のみなさまが川を流れて行きますが、それがなんとも面白い。

しかし、それって柱自身の「鬼を討つ」や「鬼舞辻無惨を討つ」という想いが、一切嘘がなく純粋で深いものだからこそ、その対比で面白みを感じるのかな、と思いました。

 

 

しかし産屋敷さんの鎹鴉の声かっこよすぎじゃないですか??

 

 

 

あ、あと "痣" についての説明をしている時の時透無一郎さんと甘露寺蜜璃さんの鎹鴉がえっへん!としていてとてもとても可愛かったです。

 

そういえば時透無一郎さんの鎹鴉って結構高飛車というかお高く止まっている性格をされていましたが、時透無一郎さんが過去の記憶を思い出したことで鎹鴉の性格も変わったりしているのでしょうか。

 

しーらね。

 

 

先のお話も愉しみですね( ¨̮ )

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

 

 

追伸

上映後に見かけたのですが、劇場にいらっしゃった方はご婦人や旦那ばかりでした。

觀に行った時間もあるのでしょうけどね( ¨̮ )

嘘は真実へのツケになる

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

最近海外ドラマの『チェルノブイリ』という作品を觀ました。

 

この作品は題名の通り、旧ソビエト連邦にて発生した原発事故を元に作られた作品です。

 

わたし自身、チェルノブイリの事故については、昔の小學生時分に觀た『ザ・世界仰天ニュース』のドラマパートで事故の存在を知ったくらいです(余談ですが、このドラマパートでは『光クラブ事件』なども特集されていて、とても愉しく觀ていました)。

 

 

そんな当ドラマは2019年の作品。

英米合作の作品なのだそうです。

作品自体は早い段階(それこそ2019か2020年くらい)で存じておりましたが、觀るに至りませんでした。

 

その理由としては『かなりショッキングかつ壮絶』と聞いていたからです。

被曝をしてしまった方の様相なども映るとのことで、怖氣付いていた。

 

しかし、確実に傑作であると分かっていたので、レンタルはしたくなかった。

といった、ひねくれた理由などから觀ていませんでした。

 

 

ですが、この度Blu-rayを購入し觀ました!

 

現在ドラマ全五話を觀たあとで、鑑賞した感想ですが『想像以上の壮絶さ、ショッキングで痛々しい作品』でした。

 

原発の爆発による火事を消火していた消防士の方の最期は、目を向けるのすらも憚れるようなものでした。

 

現在2024年を生きている我々は、特に日本人は原発の事故や核に対して非常にデリケートな部分の想いがあると思います。

ですが、この事故が発生したのは1986年。

 

第一話で爆発が発生し、爆発事故による火事を見物する野次馬のような人たちが描かれますが、その様子を見ている現在の我々は「なに悠長に見物してるの!早く逃げて!」と思いますが、そう思えるのもチェルノブイリの事故と福島の事故があったからでしょう。

実際、わたしの母は『原発は安全ですよ』というキャンペーンの広告を、当時見ていたらしく、ドラマ内で描かれていた見物人たちも2~30代の人ばかりだったので1945年に原爆が日本へ投下された当時には生まれてもいなかった人々が、その危険性を軽んじていた(放射線というものの危険性を知らなかった?)のは当然であるのかもな、とは思います。

 

実際、原爆投下以降から『核の平和利用キャンペーン』が始まり(鉄腕アトム』もそのキャンペーンの一環だと思われます)、「核は使い方次第では平和利用も可能なのです」という認識を持って欲しい側からするとその危険性は隠されていたのかもしれません。

 

なによりも痛々しいのは、見物していた夫婦がベビーカーを押していて、そこに乗っている赤ちゃんが被曝してしまったことです。

 

『無知は怖い』とはよく言う言葉ですが、無知というのは時に一切洒落にはならない危険なのだと感じました。

 

 

無知といえば、わたし自身も核や放射性物質放射能についての知識はありません。

『あらゆる物質に影響があって、生命体はDNA単位で傷つき、子どもに悪影響が生まれる』くらいの知識しかありません。

 

このドラマにて、わたしが無知を実感したのは被曝についてです。

爆発事故によって発生した火事を消火するために消防士の方々が出動します。

その消火活動前に隊員の一人があるものを手に持つのですが、それによって、数分~十数分でその隊員の手が火傷で爛れていました。

 

最初、そのあるものは放射性物質あるいは放射性燃料か何かだと思っていたのですが、実際のところ、それは黒鉛でした。

また別の話では、被曝により街の病院が人で溢れかえります。

患者さんの対応をしている看護師の方は、入院している被曝患者の衣服を脱がせて、地下室に運ぶのですが、その理由が衣服も被曝しているからです。

被曝したものは、それ自身が放射性物質ではなくても放射線を発するのです。

 

だから、看護師の方々は衣服を地下に運んでいたのであり、本来放射線を出さない黒鉛で消防士の方が火傷したのです。

今現在も病院の地下ではその当時のまま、隊員の方々の服が置かれており、その服自体も凄まじい量の放射線を発しているそうです(医療行為でレントゲンを撮影した場合、検出数値は数ミリレントゲンだそうなのですが、地下にある衣服は五百レントゲンを超えて検知されていました。事故から37年経過した今でです)。

 

 

この事件の経緯は非常に人為的なミス、というより権威主義が招いたものなのだろうな、と思います。

 

現場監督をしていた方がクソ上司であることは変わりないとはいえ(あの場面だけ見てそう決めつけるのも時期尚早ではあるけど)、そもそもが欠点や注意点を知らされていなかったのならどうしようもないよねぇ…。

結局は権威主義というか、『國の面子』みたいなものが巻き起こした事故だったのかなぁ。

 

 

第二話の最後で排水バルブを開ける志願者を募る場面がありますが、あそこで志願してくださった方があるから、今日も我々は生きていると言っても過言ではないんだろうな、と思います。

あの志願者を募る場面は『ホテル・ムンバイ』を想起しました(『ホテル・ムンバイ』も傑作なので是非)。

 

また炭鉱夫の方々が覺悟を決めて働いている場面や、「掃討作戦」をしているチームリーダーの悲哀というか『やるしかない』と腹を決めている場面など、各々のドラマというか葛藤が感じられたのも特筆点です。

炭鉱夫のリーダーが「石炭商らしくなったじゃねえか」という場面はよかったですね。

 

 

この作品を觀て安易に原子力発電を奨められなくはなりましたが、かといって即刻稼働を停止しろという主張も簡単にはできないよな。と感じます。

今の人口上、原発がなければどうにもまかないきれないのだろうと思いますしね。

とはいえ、核というものは『人が手を出してはいけない範囲のもの』だとも思うので、難しい問題だな。と思います。

 

 

あと、レビューで『Fukushima 50』と比べられている方もいらっしゃいましたが、製作した國のことを考えたら仕方がないんじゃないの?とは思います。

 

この『チェルノブイリ』というドラマ作品を作ったのはアメリカとイギリスで、旧ソビエト連邦という國はいわば敵國であるわけです。

「民主主義と資本主義の國」と「社会主義共産主義の國」で、ソビエトが崩壊したのちのロシアとも現在もあんまり仲はよくないみたいですし。

 

ですが、『Fukushima 50』は日本で制作されている。

日本の事故を日本映画で制作したなら、そりゃあ従事していた方々への配慮から美化する部分もあるでしょうに、と、思います。

 

アメリカ・イギリス合作の映画で『フルメタル・ジャケット』という作品がありますが、あれは明らかにベトナム戰爭を美化して描いていましたからね。

 

國が作った映画が「あの対応、やっぱり今考えると間違ってたわ」と描くのは、おそらく対外の國に対しては好印象でしょうが、『あの対応』と言われている対応を行なっていた当事者とその親類からすると、ふざけるなよとは思ってしまうでしょうしね。

その当事者が『あの対応』によって体調を崩していたり、亡くなられていたのなら尚更。

 

 

 

この『チェルノブイリ』というドラマ作品、觀てよかった作品ですし、少なからず原子力発電による恩恵を受けている方は觀た方がいい作品だと感じます。

 

いっぱしのホラー作品よりもよっぽど怖いし。

 

 

 

事故の収束に従事された方々へ。

 

ありがとうございました。

卵が先か、鶏が先か。なんて大仰な話か?

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

今回は『電脳はいずれ裏切る』シリーズです。

とはいっても、直接的な内容ではなくて間接的な内容ですね。

 

去るはお正月、実家に帰省した際に、弟よりお財布の話が持ちかけられました。

「兄よ。兄はどのような銭入れを用いておるのか。長財布であるか」

 

その問いにわたしは返答します。

「そうだよ。朕は長財布を使っているんだ。そういう君は何を使っているんだい?」

 

それを聞くと弟は矢庭に自身のお財布を取り出します。

 

手に乗っていたそれは、小さかった。

 

 

いわゆる『小さいふ』と呼称されているものでした。

quatrogats.com

 

曰く弟は「最低限のものだけで良いし、支払いは基本的にバーコード決済だから、現金を持ちたくないのじゃ」ということなのだそうです。

 

 

世の時勢に疎い生活を自ら望んでしているわたしでも『小さいふ』は存じています。

期間店なども方々で開催されているみたいですしね。

 

さて、この『小さいふ』

我が弟もそうであったように、キャッシュレス派の方々から強い支持を得ているそう。

 

昔から三つ折りとかの小さいお財布は生産されていたのだと思われますが、ここ数年でムーブメントになったのは、多くの人々の支払い方法がキャッシュレスに流れたからでしょう。

 

小さいお財布が流行ったからキャッシュレス決済が流行ったのか、キャッシュレス決済が流行ったから小さいお財布が流行ったのか。

「卵が先か、鶏が先か」なんていう以前にきっと後者なのだと思います。

 

とはいえ、このムーブメントは自然発生的なのでしょうか。それとも、なのでしょうか。

 

そんなことはわたしのような一回の一市民には知る由もないところです。

 

 

 

今『小さいお財布』の概要などを見たのですが、これって基本右利き用ですか…?

わたしは生来左利きであり、ギター以外全部左利きの生活をしているので『小さいふ』系のものは使いにくそうだなぁ。

やっぱりわたしには長財布があっているのでしょう。

 

しかし、こういう右利きによる無自覺なエゴによって、左利きは日々細かいストレスを感じるのである。

 

しかも無自覺であるがゆえに「ないない 笑 考えすぎでしょ 笑」と言い切れる能天氣さもストレスを感じるポイントですね。

文字が右利き用だと知った時の絶望と虚無感と言ったら…。

 

ああ無情。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )