本日も閲覧ありがとうございます。
『タダより高いものはない』という慣用句があります。
意味は「タダで何かを貰うと、それを理由に別の物事を頼まれたり費用が高くついたりして、結果的に高くつく」というものです。
『安物買いの銭失い』と似たような意味合いですね。
こちらの意味は「安い物を買って得をしたと思っても、すぐ壊れたり不調が頻発して、修理に多くのお金を使ってしまう」です。安かろう悪かろうと同じ意味でしょう。
ちなみに「タダ」を漢字で書くと「只」となるそうです。知らなかった。
それで、先日思ったのが本記事のタイトルです。
こちらの記事の最後にちょろっと書きましたが、やはりインターネットは危険。
というより、「タダ(手軽なもの)」が危険。
そう思った経緯ですが、YouTubeで他人様の動画のコメントを見ていました。
そのコメント欄にて「自分はこう思っている。これが信条である」という方が、「自分の信条に反する方」を口撃されていたのですね。
よくある「おまえらみたいなバカがいるから」的な意見で。
Twitterでも同じような主張がありました。
Twitterにおいてはまた別のあげつらい方をしていていました。
かくいうわたしもしていましたし、今現在も無意識のうちにしていたりするのでしょう。自戒です。
とりあえず偏見ですが、顔の絵文字(🤪 😱 😂 このあたり)を多用される方はお行儀があまりよろしくないなと個人的に感じます。
そこでふと思いました。
「タダだからこのような所行ができるのではないか。いや、無料というより手軽だからなのではないか」
世の中に存在しているものにはお金という対価を払います。
美容院にしてもご飯屋さんにしても本屋さんにしても、お金という対価を払うことでサービスやその物品を受け取り享受しています。
しかしインターネットは通信料さえ払えば、いろんなサービスを受けることができてしまう。
ニュースにしても音樂にしてもエンタメにしても。
これらは本来、個々に対価を払わないと受け取ることのできないものです。
そして、これはテレビにも通用すると思われます。
もちろん初期投資は必要です。ですが、初期投資に対しての見返りが大きすぎる。
健康情報や料理のノウハウ、エンタメやその他の"各種情報"
恐ろしい。
ですが、だからこそ昭和平成の時代に大衆洗脳の装置として猛威を奮ったテレビが、インターネットに取って代わるのかと思いました。
『1996年生まれ以降の世代は「ネオ・デジタルネイティヴ」と呼ばれ、「何かを得るためには対価を支払う」のが当たり前では無い時代になっている』と書いている記事を見たのですが、その無料で得たコンテンツに、無料で表示されたコンテンツに、『意思が働いている可能性』があるということは念頭に置いていてほしいと思います。
やはり、対価を払ってこそ受け取れるものというのはあると感じます。
しかし「金を払っているんだから許されるだろう」と思っている方がいるであろうというのも想像に難くはありません。
タダより高いものはない。
タダで得た情報が嘘であっても、タダで受け取っている以上は文句など言えない。
そして、手軽より危険なものはない。
手軽であるが故に危険性を察知する感覺が弱くなり、無用かつ無益で陰惨な出来事を引き寄せかねない。
「"エンターテイメントをエンターテイメントとしてではなく、真に受けている人"もエンターテイメント」と飲み込めていない時点で五十歩百歩、どんぐりの背比べじゃないのかなと思う。
無料の恐ろしさというのは、体験してからじゃ遅いのではないのか。
という内容を無料のブログに残すというジョーク。
JOKE JOKE
ありがとうございました( ¨̮ )