本日もご訪問ありがとうございます。
最近の生活でふと思ったことです。
個人には特定のことを成したいという「目的」があります。
その「目的」を成すためには「手段」が必要になる場合があったりします。
しかし、その「手段」を実行することに対しても賛否両論があった場合は、「目的」を成す以前に「手段」すら行えないという状況になります。
その場合、なんだか「"本来の目的"じゃなくて、『目的を成すために必要になる手段を実現すること』が目的になっている」場合が多いように思いました。
つまり、「理想(この言い方であっているのか?)」や「成したいこと」としていたものが、いつの間にか本来の形ではなくなって異形のものに変わっているということです。
しかし、その「手段」であるはずのものが「目的」になっている、ということって往々にして起こり得るのでしょうか?
わたしには一切の學というものがないもんでよくわからん。
わたしとしては特定の対象に対して発言していますが、こちらをお読みの皆様方はご自由に対象をお決めくださって結構でございます( ¨̮ )
この『手段が目的にすげ変わっている』というのは、以前に書いた安部公房さんのお話とリンクするものがあるように感じますね。
ありがとうございました( ¨̮ )