本日もご訪問ありがとうございます。
わたしは本が好きです。
少しでも時間があれば本を読んでいます。
労働場の休憩時も基本的には携帯電話を触らず本を読んでいます(そもそもデータ通信できる端末を手元に置かない)。
そんな時、この間、労働先の民に「何読んでんすか?」と聞かれました。
素直に読んでいる本を見せたのですが、このときに興味深いなと感じたんですね。
本を読んでいるときに「何読んでんの?」と話しかけられること、結構あります。
ですがよ、携帯電話を触っているときに「何見てんすか?」と話しかけられたことって、一切ないんですよね。
わたし自身が他人に対して『何見てんすか』を聞いたこともない。
そりゃあ関係性の近い人からは言われることがあったりするでしょうが、労働先の人間から「何見てんすか」を話しかけられたことって、皆さまにはございますか?
はて、これは不思議です。
読書も携帯電話も、言ってしまえば時間を潰すために行っていることなわけですよね。
でも物によって接し方が違うのです。そりゃあ物が違えば接し方が変わるのは当然ですが、面白いと感じます。
わたしは本が好きなので、公共交通機関の中で本を読んでいる人を見かけたりすると「何を読んでいるのかしら」と氣になります。
ともすれば顔見知りであれば『何読んでんすか』を実行することもあります。
しかし、携帯電話の場合はそれが起こることがほとんどありえないようです。
わたしは携帯電話系の娯樂に対して距離を取っているので、『何見てんすか』を実行したところでソーシャルゲームなどと返答されても対応に困ります。
そもそも興味がない分野でもありますし。
ですがこの現代社会は携帯電話系の娯樂を享受する人の方が多い世の中です。
であれば『何見てんすか』コミュニケーションが頻発してもよいはずではないのかとおもうのですね。
そのコミュニケーションが発生しない理由として《携帯電話系の娯樂》自体が多岐に渡りすぎるが故、話しかけたところで話を先に続けられない可能性がある。というものが想像できますが、それよりもなによりも、結局のところは携帯電話が超一級の個人情報端末であるから、でしかないのだろうと思います。
そして、超個人的な空間としても機能しているから。
いわば自分自身の部屋という感じでしょう。
別に『何見てんすか』をされたところで「え?恋人とLINEで喧嘩してる」と答えたっていいわけですよ(「ねえ、ちょっと聞いて?!」が発生する可能性もある)。
しかし、それは発生しないし、発生するかもしれないの前提にも立たない。
それはそれぞれ、お互いが『携帯電話はプライベートな空間』ということをはっきりとした無意識的に自覺しているからなのだろうと思います。
言ってしまえば、容易に『何見てんすか』をするのは相手のお部屋に土足で上がる行為にもなりかねないから、そもそもそういったことはしない。って〜なことなのでしょうな。
なぁ〜んて思いますですよ。
そんな、取るに足らないお話でした。
ちなみに、わたしは「何読んでんすか」を言われるのはちょっと苦手です。
今読んでいるものを見せたところで「知らんわ」としかならないからです。
‾\_(ツ)_/‾
ありがとうございました‾\_(ツ)_/‾