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本年2026年4月にわたしが好きな『とんがり帽子のアトリエ』がアニメーションにて放映されます。
祭!
『とんがり帽子のアトリエ(8)』にて「大人はけして子どもを侮っているわけじゃない。ただ世界を信用していないだけなんだ」と言っているシーンがありましたが、やっぱり痺れるなあとの感慨です。
魔法は"かける" のではなく、『描く』
主人公は魔法に憧れを持つうら若き少女・ココさんが主人公として物語が進んでいきます。
物語の冒頭でキーフリーさんという魔法使いと出逢いますが、その出逢いがきっかけでココさんの人生が変化していく…というお話です。
アニメーションのティザー映像というものを拝見したのですが、キーフリーさんの声優さんが『鬼滅の刃』にて竈門炭治郎さん、『ダンダダン』ではオカルン(高倉健さん)を演じられている花江夏樹さんでございましたので、青年の年頃であるキーフリーさんとちぐはぐさを感じてしまいました。
が、それも本編が放映されたら氣にならなくなるのでしょうね( ¨̮ )
わたしはオルーギオさんが好きです( ¨̮ )b
さて、こちらの『とんがり帽子のアトリエ』ですが、作者の白浜鴎さんの信念?や矜持に近しいと感じる "絵を描くことは魔法だ" との内容が描写されます。
非常に素敵な考え方で、わたしにはなかった考えでした。
確かにただの紙に線を描いただけで物語を生み出し、人の生活や一生を影響を与えたり見た人に風を吹かすことができるというのは、さながら魔法であると感じます。
そしてそう思うと同時に、物語を紡ぐという行為や音樂を奏でるという行為も同様に魔法であるとも思います。
わたしは音樂がとても好きなのですが、手練れの奏者が奏でた内容で情景が浮かぶということは往々にしてございます。
『歌』という觀点からみても、多くのポップスソングがそうであるように聴いた人の心を癒したり鼓舞したりすることもよくよくよくあります(ほとんどのポップスが恋愛や努力について言及しているのもその理由だと思っています)。
一つの捉え方として、音樂を奏でる。それによって聴いた人に情景を浮かばせたり、人の心を癒したり鼓舞したりする。ということは、音樂も魔法たり得るのではないか?と思っています。
わざわざ説明する理由はないと思いますが、絵と音樂と、どちらが優位で優れている、などというくだらないことを言いたいわけではありません。
さて。
物語を紡ぐという觀点であれば映画などが代表される映像作品や、まったく二次元的でありながら読者脳内に宇宙を広げて旅をさせる小説世界も、さながら魔法です。
こうやって書くと、「藝術的なものは魔法に近い。とどのつまり『藝術家』は《魔法使い》か?」というように思えてしまいます。
確かにその觀え方は当然あり得るものだと感じますが、わたしとしては果たして本当にそうなのか?と感じます。
やぁ、潜在的魔法使いの諸君。
わたしたちは言葉を使います。
身振り手振りを用いて感情表現を行います。
色々なご事情をお持ちの方もいらっしゃいますが、多くの方は音声発信で対話を行います。
自然界で生活をなされている多くの尊敬すべき生物たちも "声" を使って各々が連絡を取ります。
わたしは、この "声" というものは、それ自体魔法なのではないか?と思いました。
「これって、どうしてこうなったのですか?」という一文でも冷たく言うのか『どーしてこうなったんですかあ?』と小馬鹿にする言い方にするのかでも印象は大きく変わりますし、もっと誠実に「相手の話をちゃんと聴こう」という意識で発した言葉であれば世界への響き方も違ったものになるでしょう。
別の例を一つ。
発した本人に他意はなかったが、その人はつっけんどんで、ともすれば冷たいとも受け取られかねない話し方をする人だった。
その人が発した言葉には別に相手を傷つけてやろうというつもりはなかったが、生来の癖と、受け手その人の精神状態により受け手は想像以上の痛手を負った。
こちらの例につきましては事故の要素が強くあると感じますが、全く不注意な起こるべくして起こった事故だったかといえば、決してそうではないと私は思います。
上記した一例はわたし自身が経験した実話で結構長いこと苦しんだわけですが(今は決着をつけて決別しています)、この場合、話し手は受け手に負の魔法、さながら呪いや呪詛とも表現できる言葉、つまりは "魔法" をかけたのと等しいのではないか?と思うのです。
「これって、どうしてこうなったのですか?」の例においてもそうです。
冷たく言い放てば恐縮、小馬鹿にすれば憤怒、誠実に口にすれば期待という感情をもとに受け手は説明を始めるでしょう。
わたしは、言葉、というよりも言靈というものも原初的魔法の一つなのではないかと思います。
前述のことですが、幼少期に親や教師・友人から言われた言葉を長年引きずって生き続けているという方は思いの外いらっしゃるでしょうし、その呪詛を苦に自死という決断をなされることもあったりします(満たされない日々の鬱憤晴らしから行われているらしい個々人に対しての誹謗中傷も然り)。
これらは言葉や言靈が魔法となったのと等しいのではないかと思いますし、まあほとんどそうでしょうと思います。
わたしが今こうやって文章を紡いでいるのもそうですが、言葉・言靈は魔法に等しい。
別に音樂や絵などに象徴される藝術表現はできずとも、言葉を発したり言靈を表現したりする時点で我々やあなた様は魔法使いなのではないか?きっとそうだろう、とわたしは思います(なので、たとえ声が発せなくても思いやりを持って接していたら他者に魔法をかけることができますし、逆もまた然りで不平不満を発散させ他者を恐縮させるような接し方をしていれば呪いや黒魔術をかけるに等しい行いだと考えられます)。
ということで、我々は行動次第で相手様をどうとでもできて仕舞える素質を持っている。
潜在的魔法使いの我々、諸君はどうやって他者様と接しますか?という話でした。
青臭いなあ。
全く青臭い。
そういうわたしは、呪詛を口にし世界と自分自身を呪うことは二十代時分にしこたまやっちゃって飽きたので、これからは呪詛や黒魔術に呪われた方を解放していきたいなと思っています。
草の根活動。
たとえ一見では莫迦らしくても、行い続けることで誰かの何かしらは変わるでしょう。
別にそれはわたしが認識できる形じゃなくてもいいし。
青臭いなあ。
全く青臭い。
ぷーさん。
お好きに生きてください( ¨̮ )
わたしは誠実に生きます( ¨̮ )
ありがとうございました( ¨̮ )