本日もご訪問ありがとうございます。
わたしは音樂が好きです。
好きな音樂家は数多くいます。
以前にも書いたように思いますが、わたしの音樂好きが萌芽したのは父が所有していたThe Beatlesさんの赤盤青盤のレコードです。
知っているのはその二作に収録されている曲くらいなので謂わばにわか程度です(そんな俄かでも『Strawberry fields forver』が特に好きです)。
最近伊坂幸太郎さんの『ラッシュライフ』を読み返した、とは数度書きましたが、作品内で主人公の一人が『Here Come The Sun』を聴いて何度となく勇氣づけられる場面があります(すげーびっくりした公共交通機関で乗り合わせてる見知らぬ方が今まさに『ラッシュライフ』を読んでらした)。
それがきっかけで上記曲を聴き直した次第なのですが、いやぁ、普通に良いわ。
今の時代、The Beatlesさんはもはやクラシックだと言われています。
納得できますね。
わたしは音樂が好きです。
好きなミュージシャンは数多おりますが、その中でもKRAFTWERKさんは特に好きです(当ブログでもたびたび書いておりますしね)。
KRAFTWERKさんは「エレクトロダンスミュージック界のThe Beatles」と評されていたりもするらしいのですが、そんなように言われるだけあって活動自体も半世紀前から行われております。
つまりKRAFTWERKさんももはやクラシック。
The Beatlesさんの方が色々なものに曲が使われているので一般認知は広いでしょう。
KRAFTWERKさんは今の時代ではもはやニッチの域です。
さてさてこういった古くからあるものってのは【古典】と言われます。
【古典】という言葉は基本的に書籍に用いるものですので、音樂に対して使うのは適切ではないのかも知れません。
今回はそういった "正確さ" よりも『昔から残っている文化的なもの』という意味合い、広義でそういった意味合いを持つものを【古典】と定義いたします。
以前わたしは『ノートル=ダム・ド・パリ』を読みました。
あの作品は本来の意味合いでも古典ですし名作でもあります。
それを読んだ時に「古典って強いな」と感じました。
The BeatlesさんもKRAFTWERKさんも、最近わたしがハマった方々でいうとKing Crimsonさんもそうですが、やっぱりね、古典ってのは強いんですよ。
褪せることがないというか、その表現よりも『時を超えても受け手をぶっ殺してやろう、刺してやろう』という氣概、ともすれば狂氣すらも感じます。
そのような力から『強い』と感じます。
名作というものは必ず《力》を内包しているものですが、【古典】として残るものはその《力》がより強いのでしょうね。
し・か・し
【古典】には難点があります。
題名にも書いた通りですが、古典は敷居が高い…。
如何せん難しかったりもしますしね。
本来の意味合いで【古典】と呼ばれるものは『読み書きは知の象徴』とされていた時代に執筆されているものがほとんどです。
小説とは『作者の価値觀、思考・思想を物語に閉じ込める』ものですが、古典として現世に残っている作品は、その "思想" の部分がほどんど主題になっていたりします。
もうそれこそ『ノートル=ダム・ド・パリ』はそうでした。読んでなかったらパリの街の成り立ちとか知らなかったと思うし。
そういったように【古典】には知が詰め込まれています。
そして昔にも書きましたが『昔からあるもの』や『長く残っているもの』には "真実が込められている" と考えています。
普遍的で不変なものであるから淘汰がされない、ということです。
そういった〈真実〉 が閉じ込められているからこそ【古典】には《力》があるのでしょう。
納得です。
しかーしまぁ、如何せん古典は敷居が高い。
長い間『モンテ・クリスト伯』を積読しているのですが、どうにも手が向かいません。
一作品が六巻立てで構成されていることもあり、中身を見ても難しそうに感じるため、ということも理由としてあります。
じゃあなんで買ったんだ。
それは幼少期に読んだ児童書向けに編纂された『がんくつ王』が面白かった。そして内容を全て読んだわけではない、からです。
読まねば。
あと基本的に小説は一冊で完結するものですが、前後編どころか全六冊もあるので、それも理由となって尻込みしていますね。
岩波文庫版を購入したので、一冊千圓とかもするし。
でもどんどん物価は上がる。消費税も上がる。
なので、さっさと全巻買っといたほうがいいんです。
わたしは非常に遅読でございますので、わりと本氣で読破までに半年とかかかるんじゃないか?とすらも思っています。
あぁその他読みたい本が多すぎる。
これも五年近く積読していますしね。
『ある男』の単行本版も読みたいですしね。
『一九八四年』も読み返したいし。
古典は強い。
The BeatlesさんやYesさん、John Coltrane氏など、ある程度のポップさが担保されているミュージシャンなら踏み込みやすさはありますが、KRAFTWERKさんやKing Crimsonさんなどのより深い部分にいる古典はすこし(結構)敷居が高い。
しかし、その敷居を「えいやっ!」と飛び越えてみれば、知らなかった素晴らしい世界に殴られる。
いいじゃないか、知らない世界を知るというのは、知った分だけより知らない世界が広がるということでもあるけれど、それで。
古典に殴られるというのもそれは良い経験だと思う、というよりも必要な経験でしょうね。
現代はあほがほとんどであると思う(他者のことを「あほ」と言っているわたし自身も、あほ)。
しかし、今も過去も『あほ』の割合というのはそうそう変わらないのだろうなと感じます。
過去の賢人が考えたこと、記されたこと、それが時間の淘汰を超えてまで残っているだけ、ということではない?と考えています。
【古典】は強い。
名作とは名作として残る理由がある。
敷居は高いので参っちゃったり尻込みしちゃいますけど、【古典】触れてみましょ
ーね!
ありがとうございました( ¨̮ )
そういえばわたしは現在【伊坂作品発表順に読み返しシリーズ】を行なっているのですが、期せずして今年2025年は伊坂幸太郎さんがデビューしてから二十五周年らしいです。
なんというタイミングでしょう( ¨̮ )
【伊坂作品発表順に読み返しシリーズ】は『一ヶ月に最低一冊伊坂作品を読む』くらいのゆるさでしますので、一年で十二冊以上は読めてたら良いかなって感じです。
幽流〜







