頭の中の洪水

観察と思考と分析の日記ですよってね。たまに思想家が顔出します。よってね。

過程を愛そうぜ!!!!

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

 

 

わたし今日(きのう(一昨日))思ったことがあります。

 

よく「『これをしたらこのように変わりますよ!』ってあったのに実際には変わってないじゃない!むきー!」って意見?不満?を見たりいたします。

ですが、それについて思ったのです。

 

もしかして、重要なのって【結果】じゃなくて《過程》の方なんじゃない??

 

『これをしたらこのように変わりますよ!』で表現されているのは【結果】です。

『このように変わりますよ!』なのですからね。

しかし、何においても【結果】の前には《過程》が必須です。

 

その前段階にある《過程》の時点で様々を學ぶことにより、【結果】が醸成される。

 

つまり?

『これをしたらこのように変わりますよ!』をイ⇒トと解釈して、それをすっ飛ばしているから望む【結果】を得られない。然もありなんというか、当然ですね。

しかし『これをしたらこのように変わりますよ!』を、イ⇒ロ⇒ハ⇒ニ⇒...トと段階や《過程》を踏んで受け取っていれば望む【結果】を得られる。

たとえ望む【結果】じゃなくても、「別に自分あれできたし」という経験から裏打ちされた自信めいたものだったり、元々望んでいた以上であり自分だけの【結果】を得ることができる。

 

 

わたしは昔から割と結果よりも過程のおもしろさを重視していたのですが(わたしは貝類が苦手なのですが、「今は克服してるかも!」と思い食し「あー!まだあかんかったー!」という、一見愚かにも思える行動をしばしば取っていたり)、その選択は間違っていなかったのだな、と、この度思いました。

 

 

そして昨今の日本國は結果論が幅を利かせていますが、そりゃ《過程》を蔑ろにしてしまう世界では殺伐としますよね。

そりゃあ「たいぱ」やら「こすぱ」など、《過程》をすっ飛ばした方々が成長なんてできやしないよな、と思いますが、これはどうにもわたしが「たいぱ」「こすぱ」を敵視し過ぎているきらいがあるからです。

まだまだ未熟ですね‪‪( ´¨̮ )‬

floodinhead.hatenablog.com

 

 

 

となると、「苦労は勝手でもしろ」という昔からある言説については、"『苦労』とは【結果】に見えるけど、その実《過程》も豊富に内包されているから" という仮説が成り立ち、同時に『【結果】は具象ですが《過程》は抽象であり、抽象は抽象であるが故にさまざまな事象に転用が可能であることから、《過程》という『苦労』は財産になるから買って出てでもしろ、ということなのかも?と考えたりもできます。

 

 

あと忘れちゃいけないのは『目で見える部分は【結果】だけど、それまでに必ず《過程》がある』ということですね。

 

 

ということは『人生は要約できない』ってハナシだ。

今回のことを考えた時に思い出した言葉があります。

それはわたしがファンをしている伊坂幸太郎さんの『モダンタイムス』で登場する井坂好太郎さんが『人生は要約できないんだ。要約した途端に必要なものがこぼれてしまう』と口にしていましたが、その事象と今回の【結果】《過程》の話は親和する部分があるように感じました。

 

今回のこの知見を得たのでわたしはこれからも《過程》を通じて自分が感じた感情を大切にしてまいります。

とはいえ、正直昔から結果を見て安全な方を選んだことはないんですけどね。

じゃなかったら創作に呪われてなんていねえし。

 

死ぬときに金は持っていけない。

てか死ぬ前に見ると話題の走馬灯も、色々な《過程》を経ていないとだいぶ味氣ないのではないか、と思ったりしますが、それは平凡な人生に物足りなさを感じてしまうわたしの性格に由来するものでしょう。

 

わたしは後悔のないように生きるのみです。

とか言いながら最近早速後悔していますけど( ¨̮ )

 

そんな先に立たない後悔ですが、未来に対策を立てることはできますし、そもそも今回は後悔してもいいやって思ったのですから、後悔でうろたえるのもわがままでしょうね。

その後悔や狼狽も大切な感情なので財産なのですけど( ¨̮ )

 

 

お好きに生きて( ¨̮ )

 

 

『浮楽浮楽』の新しい解釈 ~もちろん真意は不明~

わたしが好きなバンドさんの八十八ヶ所巡礼さんに『浮楽浮楽』という曲があります。

八+九

八+九

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その曲の歌詞の中に『お掃除なんて後にしてさ』という部分があります。

わたしはこの部分の意味がいまいちわからなかったのですが、もしかしたら?の解釈を思いつきましたのでここに記します。

いちファン解釈ですので真実とかはしりません。

 

さて、この部分ですが "お掃除" を「憂鬱の排除」だと仮定したら説明がつきます。

昨今ってネガティヴが忌まれる社会になっているように感じます。

それが故に憂鬱感を発散できにくい事態になっている時代だと考えており、そうなれば『憂鬱感情を排除しようとする動き』になるのは当然ですよね。

 

その動きこそが『お掃除』として表現されていたのかも?と考えます。

 

しかしです。

感情は宝です。

様々な想いを感じるためにこの世に生を受けたと言っても過言ではない、と考えております。

floodinhead.hatenablog.com

 

 

つまり、感じる感情は全て必要なもの。

憂鬱感やネガティヴも必要であるから、"今" 感じている。

であれば、今感じている感情を目一杯感じて、愛おしい感情を感じ切ってやりましょうよ。ということで、今は感情を感じる時期だから憂鬱を排除しようとするお掃除は一旦後でもいいんじゃない?という意図の歌詞だったのかしら?と昨日思いました。

 

もちろんわたしの勝手な解釈です。

 

 

言うなれば、今は【結果】だけど、死ぬときの未来からすれば今は《過程》ってことですね。

わたしの二十代は大メンタルヘルシー時代で様々な音樂に寄り添っていただきましたが、そのメンタルヘルシーな《過程》を経たことで『感情は宝』だという地点、【結果】に現在あるのですし。

ただ『感情は宝』という考え方も変容しますけどね。きっと。

 

大化けするかも。

 

しーらない。

知らん領域ですし( ¨̮ )

 

 

好きに生きてください( ¨̮ )

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

 

 

 

変なこと言いますが、わたし齢ハーフ還暦マラソン完走とフル還暦マラソン半歩にして人が脳内で考えたこと聞こえるようになっちゃったかも( ¨̮ )

これは色々と大変な人生になっていきますよ( ¨̮ )

統合失調症の検査受けようかしら。

 

人生最高!٩( ᐛ )و