頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

バイバイン

 

本日も閲覧ありがとうございます。

 

 

皆さんは『バイバイン』というお話をご存知でしょうか。

 

藤子・F・不二雄氏の漫画『ドラえもん』に出てくるひみつ道具のひとつ。また、それを扱ったエピソードのひとつです。

液状の薬品で、増やしたいものに一滴垂らすことにより、垂らしたものが5分ごとに1→2→4→8→16→32と倍々に増え、増やしたものが食べ物の場合、食べてしまわないかぎり永遠に増え続けるという代物です。

 

のび太が好物の栗饅頭にバイバインをかけたはいいものの、食べきれなかったために膨大な量になり、宇宙空間に栗饅頭を捨てるというのがオチです。

 

 

ふと思ったのですが、この栗饅頭って人間のことなんじゃないでしょうか?

 

よく「神様」と形容される存在が、ペットとして人間を創って観察をしていたけど、繁殖力が異常に高かった為「うわきもちわるい!!!」と畏れて、地球という檻に閉じ込めた。そういうことなのか?とお風呂に入っている時にふと思いました。

今も人類は増え続けていますよね。2020年12月12日現在で77億人もいるそうです。いつか宇宙にコロニーでも作るんですかね。

 

地球は宇宙人と言われる存在の畑であるとも言われているらしいですね。

 

 とうもろこしのお話。youtu.be

 

コーンシロップというのは「果糖ブドウ糖液糖」という食品添加物の一つで、清涼飲料水には大抵入っており、他の食品(ドレッシングなど)にも多く使用されています。

 

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https://kininal.me/fructose-corn-syrup/

 

「多くのものに使用されてんなら安全なんじゃね?」と思われたりもするかと思いますが(わたしがそうでした)、案外そうでもないですよ。

これは『赤信号 みんなで渡れば怖くない』の理論と同じです。

 

 

youtu.be

 

youtu.be

 

前後編あるのでちょっと長いですが、こちらの動画もなかなか面白いですよ。

 

 

バイバインの栗饅頭考察」は、ただの"非科学的"な思いつきなので、"非科学的なもの"に否定派の方はまぁ笑い飛ばしてください😎

 

 

ありがとうございました。

 

 

刷新

 

本日も閲覧ありがとうございます。

 

 

 

皆様はこちらの書籍をご存知でしょうか。

 

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https://www.kadokawa.co.jp/product/321911000487/

 

わたしは先日ツイッターにてこちらが流れてきて知りました。

 

ツイート添付の画像を試し読みした時点で「買おう…!」と思い、いざ買って読んでみたのですが、とてもよかったです。

今年ベストです!

 

以前から「知っていかないとな」と思っていたけど、「まだタイミングじゃない」などと怠慢に任せて後回しにしていた女性の生理についてなど、とても詳細かつ優しく、そしてとても分かりやすく書かれていました。

男のわたしとしては全く未知の「女性の生理」についても、本当に優しく柔らかく描かれていました。

生理の期間に起こる、女性の体の基礎体温やホルモンバランスのバイオリズムなども記されており、知れてよかったと感じました。

 

この一冊で、過去のトラウマやずっと抱えていたモヤモヤなどが解消して、救われる方はいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 

子を授かった家庭には一冊あってほしい書籍

かなり目から鱗のお話も多く、「大人」と言われる年齢の方々や親となった、お孫さんがいる世代の方が読んでも為になることは多いと思います。

 

個人的には用を足した時のトイレットペーパーでおしりを拭く方向や、心と体、脳との性が違う理由(考え方)などが衝撃的でした。

 

また自慰の名称も、一般的な『マスターベーション』はラテン語で「手を汚す」という意味が語源になっていて、『オナニー』は旧約聖書に出てくるユダの子・オナンから来ているらしく、本来は「中絶性行・膣外射精」という意味だとこちらの書籍では記されていました。

 

floodinhead.hatenablog.com

 

こちらにも書いた通り、わたしは言靈肯定派なので、無意識の意識が知らぬ間に"性"に対してマイナスイメージを植えつけたのかなと、とても衝撃的でした。

 

 

またこちらでは性器やおしりなどの下腹部のことを「恥部」や「陰部」といったように形容をしたことで、マイナスイメージが広まり、性教育やセックスに対しても『後ろめたさ』を感じるようになったのだろうと記されていました。実際テレビはそういった表現の仕方がされているので、納得だと思います。

 

こういった「性に対しての印象」をクローズなものにするのも一九八四年には描かれていましたよね。流石に飛躍しすぎですかね。

 

floodinhead.hatenablog.com

 

 

プライベートパーツ

あと、この書籍では本当に基本のことから書かれています。

「口・胸・性器・おしり」はプライベートパーツといって、お世話や看護が必要な時以外は「例え親であっても」不用意に見せたり見せようとしたり、触ったり触らせたりしてはいけないそうです(理由はその人の命に直接関わる場所だから)。

 

親が好意としてやコミュニケーションとして、そういったプライベートパーツをどうして触ってはいけないかというと、子どもがそういった「"プライベートパーツを勝手に触ったりすること"が好意を表す行動だと思ってしまう」からだそうです。

それによって、悪意のある人物から体を触られても「これは好意表現だから断ってはいけない」と拒否できなかったり、結果、犯罪に巻き込まれて心に深い傷を負ってしまったり、ある時には加害者側になったりしてしまうからだそうです。

 

実際わたしも同性の友人へ好意表現としておしりを触っていました。同性だから良いってものでもない。本当に申し訳なかった。

この本を知って、その友人へそれまでのわたしの愚行を謝ったけど、「これも自分の罪意識を薄めたい為に相手を利用する自己満足な行動だよな」と自己嫌悪したというのはまた別のお話⭐️

 

これは『おうち性教育』とは関係ありませんが、よく言われる「自分がされて嫌なことは相手にしてはいけない」も大事ですが、それよりも「自分がされて嬉しいことでも、それが相手も嬉しいとは限らない」の方が大事じゃないかと思います。

ちょっと難しいので、子どもに教える時はまず前者からの方が良いとは思います。

 

 

良くないと感じたなら、伝統などという言葉に逃げず、対峙を。

やっぱり親が「茶化したり」、「怒ったり」、「からかったり」することで、子どもが「聞くべきではないこと」と思うそうです。

あとやっぱり上の世代の弊害が現状にも受け継がれているそうなので、いくら「伝統」などともっともらしい言葉を使ってこようと、『駄目なものは駄目』と言える正常さを持っておかないとなと思います。

 

人は変化を嫌う(エネルギーを必要とする)から、年を取るにしたがって変化に対して否定的になるそうです。まぁ理解はできますが、保身ですね。

あと変化した際に「自分が善と信じてきたものが悪に変わることで、自分の過去の人生が失敗になる(否定されたと思う)」と思っている方が一定数いらっしゃるようにわたしは感じます。

なので、年を重ねると、より時代遅れの価値観に縋るんじゃないかなと思います。

 

時代や価値観はいつでも若い世代が変えるものなので、必要と思ったことは毅然と主張しましょうと思います。

家事は女性だけの仕事ではないし、男性も泣いたって良い

 

 

小さい子が「うんち」や「おしっこ」をよく口にする理由も書いてあり、その理由もとても目から鱗でした👀✨

よくあることですが、理由や仕組みがわからない状態だと拒否反応を感じますが、「どうしてなのか」を知れば案外すっと腑に落ちるものです。

「へぇー!なーるほど!」となりましたよ😚

 

『おうち性教育はじめます』は本当に為になる良い書籍でしたので、皆さんぜひ一度お手に取ってみてください。

回し者ではありません😉

 

ありがとうございました。

 

本日も閲覧ありがとうございます。

 

昨日ツイッターでこんなコラ画像リツイートで回ってきました。

 

 

わたしはラルクが好きです。

 

しかし本筋はそこではなく、吾峠さんの描く線についてです。

 

 

 

線とその人

floodinhead.hatenablog.com

 

こちらにも書きましたが、わたしは鬼滅の刃をアニメから知りました。

ちゃんと作品に触れたのは、劇場版特典の漫画です。

 

わたしも昔から絵を描くのは好きでしたが、今年に入ってからより本腰を入れて描くようになりました。

 

 

こういったものを描いています。

 

より真面目に絵に向き合ってからなのですが、描く線に描き手その人の心情や性格などのパーソナルな部分がわかるようになったんですよね。

 

『ブルーピリオド』の山口つばささんには「しなやかさ」と、「自分の中に潜るための線

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https://afternoon.kodansha.co.jp/c/blueperiod.html

 

『とんがり帽子のアトリエ』の白浜鴎さんには「強さ」や「自信」、鴎さんは「自分の内を組み上げるための線

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https://morning.kodansha.co.jp/c/tongariboushi

 

あくまで主観ですよ。

どちらもおもしろいし素晴らしい作品です。

『とんがり帽子のアトリエ』は本当に読んでほしい。印刷物の単行本からでさえも"強さ"を感じます。原画を実際に見てみたい。実物のパワーを感じたい。

 

線のパーソナリティに氣付いたのも、鴎さんの絵を見てからです。

もちろん去年まではそんなことわかりもしませんでした。

 

 

そんで吾峠さんの線の話ですが、劇場版の特典漫画を読んで色々と符合しました。

吾峠さんの絵(線)には「繊細さ」と「憂い」 がすごく含まれていると感じたからです。

 

特典冊子の最初の扉絵は「すこし俯いた煉獄さんの左半身」なんですが、その俯いている角度や線の置き方、緻密さ、中心の主人公を引き立てる描き方(構図や画のサイズ割り)をしているけど、主人公が背景から浮いているように見えない。描かれた絵一枚で、絵が上手いというのを感じさせる

しかし、それが決して目立っておらず、絵が上手いのを鼻にかけた描き方もしていない。

ずっと見ていられる絵を描いていっしゃったので、上映までの10分で読み終わるのが大変でした 。

 

そういった「繊細さ」を強く感じたので『鬼滅の刃』のような作品を描いたのも納得しました。炭治郎が敵の鬼にも憂いと思いやりを持っていたのも、漫画を実際に読んで、絵を見て、納得をいたしました。

それと同時に、作者自身も描いていて相当に辛かったんだろうな、とも思いました。

鬼滅が完結して、田舎へ帰るのかもという噂もあるそうですが、あれだけ心を絞る作品を作ったのだから、疲れるのも当然だろうと思います。どうかしっかりとお休みくださいね。

 

 

大いなる母としての器。憂い。

柱合会議のコラ画像の話に戻ります。

 

このツイートを見ながら「やっぱり繊細だなぁ」と思っていたんですが、全員が『おでこの広い子どもの顔』 として描かれているということに氣付きました。

煉獄さんが特に顕著なんですが、みんな少女や少年ではなく子ども、幼児の顔として描かれている。しのぶさんも「お姉さんの顔」ではなく、「幼い女の子の顔」として描かれている。

 

つまり作者である吾峠さんは自分の子どもとして、お母さんの視点としてキャラクター

を描いたんじゃないかと思いました。 

 

 

こちらの動画でも同じことを話されています。

nico.ms

あと、同じ動画の20:03~でも言及されていますが、登場人物みんながPTSD(心的外傷後ストレス障害)になっているのではないか。

それを抱えたまま大人になった、アダルトチルドレンばかりの現代社会へ憂いの目線を吾峠さんが持っており、『鬼滅』の作品自体がそんな社会全体への癒しになっている。セラピー効果としての鬼滅の刃ではないのかと思います。

 

 

youtu.be

 

この動画でされている「少年漫画を読んでいる人は弱い人で、強くなりたいから少年漫画を読む」という分析にもあるように、『ジャンプを「いい大人」になってまで毎週買っている人』というネタが銀魂にて揶揄されていましたし、実際に毎週買っている人と遭遇したこともあります。

 

その「現実」も、重軽問わず心に影を背負い、PTSDになったまま成長をしてアダルトチルドレンとなったから、生まれたのではないでしょうか。

アダルトチルドレン毒親問題については西洋思想的な「所有」の思想が起因していると感じます。所有はよくない。足るを知ろう。

 

そういった病的な社会が肥大し、もう限界!!!となってきた頃に『鬼滅の刃』が登場したので社会現象になるほどのヒットをしたのだと思います。

 

癒しとしての『鬼滅の刃』が読者のセラピーになって、作者の吾峠さんは読者の「大いなる母」になっている。

 

女性性ですねー。

 

 

あと、炭治郎と善逸と伊之助を見ていると、あの3人に対して非常に「我が子」っぽい氣持ちになる。

炭治郎は長男できょうだい想いのいい子。赤ちゃん(禰豆子)のお守りもしてくれる。

善逸は引っ込み思案だけど、いざという時には頼りになる芯の強い子。

伊之助はなんでもやりたがりの勝気な末っ子タイプ。

 

柱の皆さんも含め、読んでいてすごく「我が子」を感じる、『母性』をくすぐる作りをされているので、女性人氣が高い作品だというのも納得します。

 

 

あと、最初はなにも感じませんでしたが、煉獄さんの『杏寿郎』というのは、「先代からの教えを享受し(受け取り)その教えを自分より下の世代に教え伝えていく(教授)存在」としての『杏寿郎』という名前なのかなと、ふっと思いました。もしそうなら初登場時からとんでもないネタバレをかまされていたんですね。

それを考えた上で描いていたのならば、そりゃあ売れるよねって思います。

 

 

深読みがすぎると思われるかもしれませんが、深読みを多岐に渡って行える作品ほど素晴らしい作品だと、わたしは思います。

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

空氣は吸うもの

 

本日も閲覧ありがとうございます。

 

 

「空氣を読む」という言葉があります。

12,3年前くらいに登場してから、なぜか今まで生き残っていますよね。

 

わたしは「空氣を読む」の意味がわかりません。

タイトル通り、「空氣は吸う」ものであり、「読む」ものでは無いと思っているからです。「読む」のは”流れ”ですかね。

 

 

 

空氣を『読む』?

youtu.be

 

こちらの動画で西野さんが話しているのを聴いて、今、言葉を紡いでいる次第でございます。

 

 

まず、「"空氣を読む"はある」と仮定した場合、そこからは3種類の概念が生まれると考えられます。

「空氣を読む」と「空氣が読めない」と「空氣は読まない」です。

 

 

大体「空氣を読む」というのはなんなのでしょう?

 

極端な例ですが、Aさんに対して、その友人Bさんがとっておきの笑い話をしています。もうすぐオチに差し掛かるという段階で、近くにいた人が突然倒れた。

その時にAさんが咄嗟の判断で倒れた人を介抱しにいった場合、笑い話を披露していたBさんの話は放っておかれます。

この状況において、笑い話をしていたBさんは「空氣読めよ」と思うのでしょうか?

倒れていた人を介抱し、ひと段落ついたAさんにBさんは「お前もうちょっと空氣読めよ(空氣読んで話を全部聞けよ)」と言うのでしょうか?

Aさんとしては『"空氣を読んだ結果"大事に至ってはいけない』と思って、倒れた人を介抱しにいったのではないでしょうか?

 

この例えで言いたいのは、『空氣を読むなんて主観次第』ということです。

 

 

自分ができないから、他者へ求める

これはわたしの仮説ですが、『「空氣を読め」と他者に対して言える人は、「空氣が読めない」のではないか』と思うのです。

 

わたしは過去に3度ほどそれぞれ別の人物から「空氣を読め」と言われたことがあります。

注目すべきなのは、それをわたしに対して言ってきた人が皆「その他の人から厄介がられている人」だったことです。

 

その事象から、わたしは「自身が空氣が読めないからこそ、自分が場の空氣を作り出すことで自身が空氣を読む役割を担わなくて済むようにしているのではないか」と推察しました。

だから、自分の作った空間や空氣を崩そうとする者に対して「空氣を読め」と言ってしまう。

自分が空氣を読む側に立った時にうまく立ち回れる自信がないから、過剰なまでに場を保存しようとする、そういうことなのではないか?と思っています。

 

まぁまず、そういった人は「あいつは持ち上げていい氣にさせておかないと不機嫌ばらまいてなにをするかわからん」と周りの人から思われていて、ご機嫌取りしてもらってるだけなんですけどね。

 

とはいえわたしには協調性はないと思いますけどね😉

あとこの仮説もサンプル数が3人なんで、仮説として成立するかどうかさえも怪しいです。

 

 

本当に空氣が読める人は、『自分が場の中心にいる』と他者に思い込ますことができる人

本当に空氣を読める人ってのは、なにも言わずに冷静に場を見定め、その時々で必要に合った行動を自然に行える人だと思います。そして、「場を乱す人」には早々に見限る。

「場を乱す人は見限る」というのは、だから「芸能人の不祥事云々で盛り上がるコミュニティでは哲学者は話が合わない」ということなんだろうな。

 

『本当の権力者は表舞台には出てこない』という言葉があるように、「自分がこの場を支配している」と思っていたり、権力や恐怖政治よろしく威張って「自分が中心だ!」などと喚いているうちは大した存在ではなく、その場に溶け込んでいる一介こそ場を動かす存在なのではないかな?と感じる次第です。

『"支配している"と思わせられる能力を持っている』とでもいうのでしょうか。

 

昭和の家庭を例に上げるなら、配偶者がいないと金勘定もできないが、亭主関白で威張っている家父長制の亡霊みたいな感じでしょうか。この場合、配偶者が『本当の権力者』ということになりますね。

 

もうひとつスケールを大きくすると、植物や水は人類がコントロールしていると思っているけど、実際は植物も水も絶たれたらヒトはおろかその他の生物も生きていけません。

 

よくヒトへの形容で「懐が広い」や「器が大きい」と言いますが、「支配させる許容」を持っているかどうかが、その「懐が広い」や「器が大きい」に繋がるような氣がしますね。

愛のマリアナ海溝\(´-`)/

 

 

何においても、基本的に『誤用している輩が多い』という話

ちなみにわたしに「空氣を読め」言ってきた人の2/3が『唯我独尊』を座右の銘にしていたのですが、両人とも意味を履き違えて認識していました。

天上天下唯我独尊』は「この世界において自分が一番偉い」という意味ではなく、「この世界において自分は一人しか存在せず、自分は尊い存在である。それと同様にあなたも同じく尊い存在だから互いを尊重しあって生きましょうね。みんな平等」という意味です。

 

どうしてアホは無知を誇るのだろう?と不思議だったのですが、ダニング=クルーガー効果が関係しているのかな?と、あるきっかけで思いました。このお話もいつかさせていただきますね( ¨̮ )

 

 

どうして今まで「空氣を読む」なんてアホな言葉が生き残ってきたのだろう?と考えたのですが、おそらく「それしか取り柄がない」と思っている(実際は思い込んでいる本当はもっとある)勢力が意地になって維持しているんでしょう。憶測です。

 

◯◯は男、◯◯は女といったような昭和までの感覚をいまだに持ち続けているのと同じだと思います。青色は男、赤色は女とかね。

iOS端末は男が持つもの、女はAndroid端末。であるとか、スマートフォンは男が持つもので女はガラケーとかを言われたら「はぁ?何言ってんの??」となるでしょう。それと同じです。わたしはそう考えます。

 

これもフレーミングの枷ですね。

 

フレーミングの話にも派生しますが、時代の常識なんてのは、ある個人の思惑から始まっています。

ある個人が「こうしていきたい」と思った時、それっぽくて本当っぽいことを流布すれば、大衆が勝手に肉付けをして本当にする。

その本当がはりぼてでも、はりぼての本当を肉厚の実体のある本当と思い込む。

 

あれ?これって『嘘から出た誠』じゃない??

floodinhead.hatenablog.com

 

 

つまり「新しい生活様式」も、"ある個人の思惑"があるってことです。

 

 

 

「空氣を読む」だどうので言いたかったことは、ほとんどみんな主観で話してるのさ。ってことです。あと空氣を読むなんてわざわざ言わなくてもデフォルトの機能として入ってんだろ?という主張です。

 

 

 

ありがとうございました\(´-`)/

 

 

 

 

 

 

😘 😚 😘 😚 😘 😚 😘 😚 😘 😚 😘 😚 😘 😚 😘 😚 😘 

 

映画の日

 

 

本日は映画の日でした。

 

なので『ばるぼらと『鬼滅』をリピートしてきました。

 

 

 

ばるぼら

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https://barbara-themovie.com/

 

なんとも言い難い作品だなあと感じたのですが、わたしは「『作家や芸術家なんてのは、ある種アタマが狂ってるんだから、多くを望まず、もがかず、さっさと退廃と結婚してな』って言いたいのかなぁ」と受け取りました。

 

また稲垣吾郎さん演じる美谷のサングラスが、演出効果として上手に機能していたと感じました。

基本的に外では美谷はサングラスをかけているけど、家の中、ばるぼらと共にいる時、セックス時、ばるぼらを探して徘徊する時はかけていません。仮面としてのサングラスということなんだろうと思いました。

 

あと、美谷がばるぼら(二階堂ふみさん)と出会い、愛欲と退廃を受け入れ堕落していく様に、安部公房著の『砂の女』を想起しました。

 

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https://www.shinchosha.co.jp/book/112115/

 

最後に。ばるぼらは音楽がとても良かった!!

サントラほしい。

 

 

 

 

 

リピート鬼滅の刃

floodinhead.hatenablog.com

 

 

今回は演出やギミックに注目して鑑賞いたしました。

 

初鑑賞時の記事でも書きましたが、"発言したことは自分に返ってくる"は炭治郎の「俺が死ねばあの人が人殺しになってしまう」だけじゃなかったですね。

伊之助が眠りから覺めて大暴れする時に「ここの乗客誰一人として死なせねえ!」と言っていますが、同じ事を煉獄さんに言われています。

 

炭治郎の「俺の家族がそんなこと言うわけないだろ!人の家族を侮辱するな!!」の台詞はやっぱりいいですね。あそこは泣きます。

 

それとやっぱりうまいなあと思ったのは、善逸の技が発動するトリガーですね。あれは知らなかった鬼側が墓穴掘ったねー。

あと、善逸は禰豆子とデートをする夢を見ていて、その場所が「桃がたくさん生っている道」というのは『桃源郷』を表しているのだろうとは前回推察しましたが、その桃源郷の道を善逸が禰豆子の手を引きながら「向こうにシロツメクサがたくさん咲いている場所があるから、そこにいこう!」という文句で誘います。

シロツメクサ花言葉は、「わたしを思って」らしいです。藝が細かいね😉

 

 

後光の煉獄さん

煉獄さんの夢では「柱になったことを父親に報告するも喜んでもらえない」という場面のあと、「自分と弟の修行にも積極的に教えてくれていた頃の父親」の記憶へ映ります。

煉獄さん目線から見たお父さんの笑顔が、日光が後頭部に当たって、後光のようになっているので、「きっついなぁ…」と思いました。2回目以降の鑑賞じゃないとわかりませんよね。

 

そのあと伊之助に「君は炭治郎と共に鬼の首を斬れ」と命令するシーンでも、煉獄さんは車内の電灯の光を背に受け、後光を受けているような影になっています。

そういえば「おれが首を斬るから君たちは後方車両を頼む」という流れがこれまでだと多かったように思うけど、そうではなくて「若い世代の背中を押す」というのもかくあるべき年長者の姿だよなあと今思いました。

 

映画のクライマックスで上弦の鬼に破れ、もう命長く無いと悟った煉獄さんは炭治郎に説法を説きます。

その場所にいるのは炭治郎と伊之助だけなのですが、それって小さい頃に父親を失った炭治郎と、孤児であった伊之助、ふたりの父親となる役割としての後光の演出だったんじゃないかなぁと思いました。

 

 

死んでしまった煉獄さんを前に涙をこぼす炭治郎に、伊之助が泣きながら

 

死んだ生き物は土に還るだけで、悲しんだって生き返らない。悔しくても、悲しくても、恥ずかしくても、生きていかなければいけない

 

と言いますが、やっぱりこれも良い台詞ですよね。山で育った伊之助だからこそ言える言葉って感じがします。

 

 

煉獄杏寿郎の日輪刀

最後の藝が細かいと思ったポイントですが、煉獄さんの刀は鍔が炎の形をしています。

 

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最初見た時は「上下左右対象じゃないって変な感じやなぁ。刃がついとる方に炎の頂点あったら、降り下ろしたら逆なるやん」とか思っていたんですが、炎の呼吸奥義を出す前に「目の前の鬼を絶対に討つ」と強く念じ、刀を肩に担いで構えを取るシーンがありますが、その時に炎の形が燃えている向きになります。

また、鬼の体を袈裟斬りで下向きに腹の位置まで斬った後、刀を回して刃を上向きにして斬りあげますが、その時にも炎が燃えている向きになります。

 

つまり、煉獄さんが「心を燃やしている」という心理描写の示唆も含めた、あの形ということなんですよね。

藝が細かやかで素晴らしい。吾峠さんはそれを見越してキャラクターを作ったってことでしょう?そりゃあ売れる。すばらしい。

 

 

 

最後に、炭治郎の「魂の核」を壊そうとした結核の少年に対して、炭治郎が怒るのではなく、人の弱さに付け込んで利用した鬼へ怒りを向けるところがありますが、ああいった心の優しい人がもっと増えたら良いなぁ。自分もそうでありたいなぁ。と思う次第です。

 

 

ありがとうございました。

 

 

道化かもしれない。

 

 

本日も閲覧ありがとうございます。

 

 

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https://www.universalpictures.jp/micro/the-hunt



皆さんはこちらの映画をご存知でしょうか?

 

この映画に対して、アメリカのトランプ大統領ブチギレツイートをしたことで公開が延期され、それが話題となったそうです。

 

映画の内容に関してはこちらの動画様で詳しく紹介されていますので、ぜひご覧ください。

 

 

youtu.be

 

こちらの茶一郎さんは解説もわかりやすく、且つ、面白いのでいつも参考にさせていただいております。

今回取り上げる『ザ・ハント』も、茶一郎さんの紹介動画で知りました。

 

 

 

 

ネタバレ

↓↓以下ネタバレも含みます(ほとんど茶一郎さんの動画と一緒)↓↓

 

 

まず、おもしろかった!

 

わたしは映画の製作会社といったものに対して聡くないので、ブラムハウスも"名前は知ってる"程度だったんですが、製作に関わった映画リストを見ると「あぁ!あれも!」となりました。

有名どころだと『ゲット・アウト』でしょうか。わたしは観たことないのですが、いつか観たいですね。

 

個人的には『ハッピー・デス・デイ』や(一作目最高)、『スプリット』、『セッション』で合点がいきました。

 

あとA24が製作に関わっている映画は美しい印象的です。

『ムーンライト』とか『エクスマキナ』とかね。

http://www.phantom-film.jp/library/site/moonnight/

 

https://exmachina-movie.jp/

 

 

ところでわたしはこの『ザ・ハント』で言及したいのは面白かった云々ではなく(面白かったよ!)、「トランプさんのツイートに関して」です。 

 

みんなトランプさんに懐疑的すぎでしょ 笑

あとメディアがトランプ嫌いすぎで印象操作しすぎでしょ

 

不勉強の為、わたしは2016年のアメリカ大統領選にトランプさんが出馬するまで、存じ上げなかったんですが、アメリカ国内では有名な不動産王だったんでしょ?

トランプさんが大統領になった後に、1989年公開の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART 2』で出演されててびっくりした記憶があるので、 昔から有名だったのでしょう。

wiki情報で恐縮ですが、1971年にお父さんの不動産事業を引き継いだとのことで、それから50年近く「資本主義の象徴」みたいな大國アメリカで事業を続けられたというのは、それだけトランプさんのビジネスマンとしての能力が相当に高く、頭が切れるということの証明なんじゃないの、と思うんですよね。

 

その頭が切れる人が「ただの派手好きで過激な大口叩きの自己顕示欲の強いおじさん」なだけなのだろうか?と不思議に思えて仕方ないのです。自己顕示欲が強いのは本当だと思いますけどね。

 

その疑問に頭を悩ませていた時に脳裏をよぎったのがこちらです。

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https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000204856

 

伊坂幸太郎さんの『魔王』にも犬養舜二という若手の政治家が登場し、過激な主張と諸外国への毅然とした姿勢、議員年金の大幅削減などの提唱、「わたしが総理大臣になって、5年で景気が回復しなければわたしの首をはねればいい」といった発言から、無関心層や安全圏から揶揄をしたり吊るし上げをしたい層、本当に國をどうにかしてほしい政治家を求めていた層を含めた多くの國民から支持を得ます。

 

その"犬養"とトランプさんが重なるんですよね。

 

メキシコ国境に壁!」や、「メリカファースト!」など、わかりやすく、簡潔で、派手で、言い切っている。

その当時まだ幼く、わたしが政治に興味がなかったのもあると思いますが、正直、オバマさんが選出された時の2008年大統領選よりも、2016年大統領選の方が国内外からの注目が高かったのではないかと体感として思うのです。

「メキシコ国境に壁を!」という主張で、それまで無関心層だった人はエンタメ野次馬として政治に関心を持った人も多くいると思いますしね。憶測の域を出ませんが。

 

 

度を越すと両方アホ

それで『ザ・ハント』で揶揄・風刺をしているのは、"右も左も度を越すと両方アホ"ということです。

「リベラル(左)が保守(右)を狩る」という内容なので、逆の「右が左を狩る」でなければトランプさんが怒るにしても、ブチギレする理由にならないとわたしは思うんですよね。

 

その時に氣付いたのは、「トランプさんがブチギレツイートをしたから、この映画が公開延期になり、広く認知されたという事実。

トランプさんが道化として一芝居打ったのではないか?という推測が浮かびました(あくまでも仮説)。

 

「あのトランプがブチギレたらしいから、どんな映画かちょっと観に行こうぜ」という野次馬根性が生まれた結果、映画の集客に貢献するということはあると思います。実際にわたしも内容が面白そうなのと野次馬根性を抱いて観た一人です。

 

『ザ・ハント』の根幹を担っている風刺は上記の通り「右も左も度を越すと両方アホ」です(あくまでも主観、推測)。

 

それをトランプさんは大衆へメッセージとして伝えたかったのではないでしょうか?

一種の炎上商法と言えるのかもしれませんが、大統領である以前にトランプさんはビジネスマンなので、自分が道化になることで衆人へ広く宣伝するという、「マーケティング活動」の一つとしてのあの"ブチギレツイート"だったのではないかと、わたしは思います。

 

そして、「派手好きで過激な大口叩きの自己顕示欲の強いおじさん」としてのパブリックイメージを逆手にとって、道化の皮として被って、政治家やってんじゃねーの?というのが、わたしの見解です。

 

色々トランプさんに対して良く思わない人もいらっしゃると思いますが、「任期中に1度としてアメリカが戦争をしかけなかった」という事実だけで、素晴らしい人だと思います。

こういうことをいうと「トランプ礼賛だ!もはや宗教だ!」とか言われちゃうんでしょうか?まじでだるいね。

  

いまちょっと『魔王』を読み返したのですが、魔王の主人公は事あるごとに「考えろ」と言います。だからわたしも色々なことを小難しく考えるようになったんでしょうか?その結果"面倒なやつ"、”考察魔”と認識されて友人と呼べる人もほぼいないんですけどね。

考えろ考えろマクガイバー

 

それに作中で主人公が主張している「でたらめでもいいから、自分の考えを信じて、対決していけば、そうすりゃ、世界が変わる」という信念も、わたしの指標の一つとなっています

フィクションと現実を混同しちゃうんなんてナンセンスだよねーせえよ。

 

ちなみに以前紹介した伊坂幸太郎著の『モダンタイムス』は『魔王』のその後のお話です。

それぞれだけでも独立したストーリーなので『モダンタイムス』から読んでも樂しめますが、「犬養」や「安藤潤也」などのリンクワードも出てきますので、魔王を読んでからの方がよりお愉しみいただけると思います😊

 

 

あ、動物農場の作者も一九八四年と同じジョージ・オーウェル氏ですよ。

 

floodinhead.hatenablog.com

 

もちろん一九八四年同様めちゃくちゃ面白いんですが、物語最後の『おしまい』がこんなにも恐ろしいと慄いたのは初めてでした。

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https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000013443/

 

ありがとうございました。

 

 

 

消灯ですよー。

【固定記事】いとをかしき言葉のお話

 

 

本日も閲覧ありがとうございます。

 

 

 

 

 

言葉はその人自身

皆さんは言霊という考え方をご存知でしょうか。

 

言霊とは、古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力。

発した言葉通りの結果を表す力があるとされた。

 

 

という意味合いらしいです。

 

いろいろ個人で感じ方に違いはあると思いますが、わたし個人は言霊は存在すると思っています。

友人や上司に言われた言葉で傷つくという現象も、言われた言葉がずっと残っていて胸につっかえるという現象も、言霊が存在しないと起こらないと思うのです。

 

またその言葉は、思考を使わないと発せられることはありません。

 

 

言霊の話とはすこし離れますが、全ての物事や現実は、思考の後に生まれると考えています。

戦国時代に「電話を使えば、遠くにいる親類と会話することができる」と話したところで、だれも相手にしないでしょう。

下手をすれば「邪教を布教しようとしている!」と言われて打ち首に処せられる危険さえあります。

 

憶測の域を出ませんが電話を作ろうと考えた人も、「離れた人と話せるわけがないでしょうに」と外野から笑われていたのではないでしょうか。

しかし今では当たり前となっています。

成功者の特徴として他者から"笑われた経験がある"というのは、ひとつの指標になるのではないでしょうか。

 

 

言霊

言霊の話に戻ります。

すこし眉唾な話に聞こえると思いますので、話半分にでも聞いていてください。

 

日本語にはとても大きな力が含まれているらしいです。わたしはまだ不勉強なので、ちゃんと説明はできませんが、カタカムナ文明や、カタカムナ文字の48音と現代日本で用いられている48字の一致などです。

カタカムナでは「ひふみよい」や「むなやこと」とかと言ったりするんですが、「いち、に、さん」と今では読んでいる「12345678910」も、むかしは「ひふみよいむなやこと」と読んでいたらしいです。「ひい、ふう、みい」ですね。

 

またあまり知られていませんが、第二次大戦で負けた後にGHQが日本を占領統治しましたが、そのGHQが日本の漢字を無くそうと画策しました。

「漢字というものは複雑にすぎる。あんなに難しいなら識字率も低いだろうし、それが原因で思想も偏る。結果戦争に繋がるだろうから漢字なんて廃止してしまえ」というロジックだったみたいです。

その後全国で一斉に識字率調査を行なった結果、全体の97%くらいが日本語を読み書きできたそうです。

 

漢字廃止計画は頓挫しましたが、神風特攻を生み出した民族を恐れていたGHQですから、どうしても日本の国力を下げたいために漢字の書き換えを行います。

氣を気にしたり、國を国にしたり、學を学にしたり、靈を霊にしたり。

理由等はこちらの動画様で話されていますので、ご覧になってみてください。

youtu.be

 

 

この前太宰治さんの短編を読んでいたら『慾』という字が出てきました。読みは「よく」

意味は欲望の「よく」と一緒ですが、現在の日本では『欲』が一般的です。

これもGHQの言語統制・言語統治でしょう。心が消えていますね。

 

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https://www.shinchosha.co.jp/book/100606/

 

中學時分は夏目漱石さんの旧字体で刊行された時の文庫とかの文學を読んでばかりいた為、旧字体にも馴染みがあったので特段無理なく受け入れることができました。

ですが、生まれてからも成長してからも目で考えていた人には意識を書き換えるのは苦労なさるでしょうね。

ヒトは考える場所が「心・頭・目」の三つあるとわたしは思っているのですが、その話も機会があればまたお伝えいたしますね。

 

 

同じ意味の漢字でも効果が違う?

なにが言いたいかというと、思い浮かべている漢字次第でも言葉の意味が変わるんじゃないかということです。

GHQの統治前は教科の名称が「國史」だったけれど、現在の學校教育下では、「歴史」になっています(こうの史代さん原作の、映画『この世界の片隅に』でも國史と描写されています)。これは「自國の歴史ではないように刷り込ませる為」であったりするらしいです。

 

 

わたしが非常に氣分良く思わない言葉があります。

「雰囲気」を「ふいんき」を発音している人が多すぎる。正しくは「ふんいき」です。

また、漢字ごとに考えてみると、雰は氣配・囲はとりまく・氣はエネルギー。

つまりその人の纏っているエネルギーという意味合いになります。つまりオーラと同義でしょうね。

それを正しく言わずに「ふいんき」と発音するというのは、その人自身のオーラ(エネルギー)を反故にすることなのではないかと感じます。

 

なにかで、「新しく納めた國や土地は、まず最初に言語を書き換えるのが大前提の常套手段」と聴いたことがあります。

漢字は亡くせなかったけど、言靈的な意味から無効にしてから75年くらいですか。

現代日本でも着々と言語の書き換えの刷り込みが行われていますよね。台所をキッチンと言ったり、鶏肉をチキンと言ったり、まな板をカッティングボードと言ったり。

言語の統制話は華氏451度にも通じますね。

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https://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/11955.html

 

このお話は、前回に書いた一九八四年の話とも繋がりますね( ¨̮ )

 

floodinhead.hatenablog.com

 

 

文字通り流れて行く言葉と、昔からある言葉

あと個人的に流行り言葉にも不満を感じるんですが、これは若い世代についていけないだけでしょう。

でもその時代だけのスラングみたいなのばかりの文章は、パッと見ただけでも非常に頭が悪く見えてしまうのだなという発見があったので有難い経験だったと思います😉

 

またそれにより逆に思うのは、「昔からある言葉の力」です。

最近の流行り言葉だと「エモい」とかなのでしょうか。あと比較例として「鬼」や「神」もありますよね。

12,3年前に爆発的に流行った「KY」という略語も今ではめっきり聞きません。

ここからわたしは「言語って結構残酷に、かつ容易に淘汰されるんじゃないか?」と思いました。

 

わたしはギターを嗜んでおり、今年で14年目くらいになります。

高校生の時分には「とにかく早く上達するコツ」を求めていたのですが、上達するには「今現在でできることを日々積み重ねるのが一番手っ取り早いと氣づきました(今現在できることを日々積み重ねていると、「これをこうしたらどうだろうか?」という閃きが生まれます)。それを理解したのがつい半年前とかです。

これって「急がば回れ」ということではないでしょうか。

 

他には「人のふり見て我がふり直せ」を実感したお話もあるのですが、非常に印象的かつ"いとをかし"な出来事で、いざ書くとなるときっと長くなるので、また今度個別の記事にしたいと思います。

端的にいうと『他者を通して自分を見ている』です。

 

floodinhead.hatenablog.com

 

 

上記した昔からある言葉は、わたしが認識しているだけでも、祖母祖父の代からは存在していて、淘汰をされていません。

一時的な言葉が10年そこらで淘汰されるているのに対して、90年近くも生き残って、語り継がれていると言うのは、その言葉自体の言靈的な力が働いていたり、ヒトがヒトの世を生きるにおいて、ある種の真理を含んでいたり真理に触れていたりするためではないでしょうか?

 

 

ちなみにわたしが「エモい」という言葉が嫌いなのは、「自身の語彙の貧弱さを改善する氣もなくその貧弱さに胡坐をかいている姿勢が見えるから」です。簡単に言えば向上心がないということでしょうか。

「精神的に向上心のない奴はばかだ」

 

もういっこちなみに、「語彙力」という言葉が幅を利かせていますが、「語彙」は英語でボキャブラリーです。ボキャブラリーは豊富や貧弱と言われるように『量』です。

その量が能力というのはおかしな話なので、「語彙力」という言葉は根本から破綻しており、「語彙力」という言葉をそのまま使う方は、語彙も國語的な言語能力も貧弱だと、わたしは思います🌝

 

 

「無い物ねだり」という言葉があります。

『ないものを欲しがること・無理なことを望むこと』という認識が一般的で、わたしもその意味合いだけだと思っていたのですが、『自ら無い状態や不足感を望む』ことでもあるのではないか?と思いました。

不足感や、理想像などの目標が常にある方が頑張れて充実を感じられるから。

不自由な方が自由にできる』みたいな話ですね。

フレーミングの癖をつけていると、ちょくちょくこういった閃きがおりてくるから楽しいです😚

 

 

『無いものねだり』の話を描きたいだけだったのに、他のずっと思ってたことを書いたら3500字以上も書いちゃってたわ😘

 

 

ありがとうございました\(´-`)/