頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

危険

今週のお題「ホーム画面」

 

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

今週のお題は「ホーム画面」だそうです。

 

別なテーマで書こうと思っていましたが、ふと目に飛び込んできた『ホーム画面、見せて!』というアイキャッチ

 

その時に思ったのは「危険」の二文字です。

 

以前に書いた通りですが、携帯電話というのは超一級の個人情報です。

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その人の個人情報は大前提の上、その人がどんなことに興味があるのかなども筒抜けです。

「その人がどんなことに興味があるのか」がわかることで、〈その人が興味を持ちそうなこと〉を、『"あたかも偶然のように"広告に表示すること』ができます。

 

そこからの流れはいちいち言及しなくても、お分かりのことと思われます。

 

AIは周到ですよ。

 

いろんな方が話していますが、シンギュラリティはもうすでに通過しているのでしょう。

 

 

この間こんなことがありました。

ある外国語の文章を翻訳しようとして、その文章をコピーし『翻訳』と検索しました。

「単語の特徴的にスペイン語かな〜」と思っていたら、翻訳する原文フォームの選択言語にスペイン語が設定されておりました。

 

わたしはこの時、非常に恐怖を感じたのですが、こう言ったときに『恐怖を感じる』か、『便利と感じる』かで、色々なことが変わるのでしょうね。

少なくとも、わたしは恐怖を感じました。

 

 

もしかしたら「一介の一般人である自分のデータなんて誰が欲しがるんだ。そんなわけがないだろう」と思われている方もいるかもしれませんね。

 

郵便の宛名自動振り分け機の開発エピソードを例に挙げてみましょう。

手作業での郵便仕分けが厳しくなってきた時代に、自動で配送先を振り分ける機会を作ろうという話になったそうです。

しかし、いざ作ってみたものの、うまくいかない。

 

理由は各々が持っている筆跡が原因でした。

十人十色な特徴を十人十色が持っている筆跡ですが、その十人十色が機械にとっては仇となってしまったのですね。

 

人間なら「東京」と読める字でも、機械のAIには読み取ることができなかった。

 

そんな壁にぶち当たった製作者はどうしたのか。

 

あらゆる人間の筆跡をAIに記憶させたのです。

 

 

 

2020年にソフトバンク孫正義さんが「無料でPCR検査をプレゼントするよ!」とキャンペーンしました。

このキャンペーンが実施されたかどうかとかは知りませんが、このキャンペーンで得られたのは『〈無料という安いにんじん〉で個人情報を易々と明け渡す人間のデータ』です。

一時期Twitterで流行った『現金プレゼント企画』も、〈自分の個人情報を、簡単に他人へ知らせる人間がどれだけいるのかというデータ収集〉という側面があったのではないか、と、わたしは感じます。

 

『もしあなたが無料でそのサービスで使っているなら、あなたは客ではなく商品なのだ』という言葉のように。

 

 

 

 

しかし電車に乗っている時に他の乗客様らを見回すと、皆一様に手元とのにらめっこにお忙しい様ですね。

これは十年前から変わっていません。

 

わたしもその当時は手のひらサイズの支配に支配されていました。

 

この十年で変わったのは、五年で携帯電話に支配されているなと氣付いたこと(2016,7年)と、その支配からきっぱり卒業したことです。

 

わたしの十年で変わらなかったのは、音樂に溺れて生きることですね。

むしろ音樂には進んで支配されていると感じます( ¨̮ )

 

 

 

ちなみにわたしのホーム画面は、必要最低限のアプリだけをインストールし、フォルダ分けをしております。

 

フォルダに入っていないのは「設定」と「音楽アプリ」だけでした。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

言い訳でしかない

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

書きたいこと、書いた方がいいことは、日々を生きていると自然自然とポコポコ浮かんでくるわけなのですが、「する必要のない、しなきゃいけないこと」に追われているために、書けないでいる。

 

これは全て言い訳に帰する。

 

「んなこと言っている暇があるなら、さっさと書けよ」に収束するわけであるからです。

 

反面教師にすべき典型の人間である。

 

慢心以外の何でもないわけですが、「いつか書こう」とかいうヴァーチャル感覺に侵されちまっているわけですね。

 

といって「侵そうとしている外的要因が悪い」わけではなく「外的要因に誘惑されて、流される自分が悪い」のです。

 

『悪いか否かの是非を決めているのも、自分次第なのである』という逃げも用意しておこう。

 

そんなことで、反面教師にでもしてね。

 

最近のヴァーチャル的樂しみは、0527の大猫です( ¨̮ )

 

ありがとうございました( ¨̮ )

1984

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

ジョージ・オーウェルさんというイギリスの小説家が書いた『一九八四年』という作品があります。

 

この作品の主人公は、真理省記憶局という、過去の出版物に印刷された為政者の発言を、いわば改竄する仕事についております。

 

いままでずっと氣付かなかったのですが、これってウィキペディアだったんですね。

 

ありがとうございました。

同じ穴の狢

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

いきなりですが、わたしは「みんなと一緒が幸せ」「仲間が居てこその人生」という価値観が嫌いです。

 

理由は『その価値観の中心にいるのは〈他人〉であるわけだから、おまえは他人がいないとその人生には意味がないと思っていることになる、他人がいなければ存在する意味すらない、という意味合いになる』からです。

 

そういうわたしは逆な「一般と合わせるのはつまらない」「仲間などいなくても個人で生きていけるだけの氣概がなければいけない」と思っているわけですが、しかしそれは、また逆に返すと『他人(一般)がいるから成り立つ主張』なわけです。

 

カウンターカルチャーは、メインカルチャーが存在しているからこそ存在できるというパラドックスと同じでしょうね。

 

この感覺は、以前に書きました『幽霊はいない!と断言するということは、幽霊の存在を肯定している』ということとも同じように思います。

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おもしろいですね( ¨̮ )

 

投影性同一視という心理傾向が人間にはあるそうですが、そのままこの話は当てはまりますね。

 

所詮「評価する」なんて浅はかなものです。

 

一切空なわけですから( ¨̮ )

 

 

同じ穴の狢話でした( ¨̮ )

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

【精神的プログレ】八十八ヶ所巡礼『○△□』レビュー【なんだよそれ】

 

本日もご訪問ありがとうございます。

今回は八十八ヶ所巡礼さんのアルバム『○△□』のレビューでございます。

画像が荒い!荒い画像しかない!

○△□

○△□

Amazon

 

 

コンプリート!

ついにCDショップで購入できる八十八ヶ所巡礼さんの盤をコンプリートしました!

この作品も難解がすぎます!

 

まず、この作品のテーマはLSD、もとい藥物的なものじゃないか?と思った次第でございますが、そこに至った理由は後述いたします。

 

あとこのアルバムは他の作品と比べても、割と荒削りで荒々しいプログレ作品に仕上がっていると感じるのですが、音樂や技術の面から見てのプログレというよりも精神的なプログレだと感じました。

 

精神的なプログレってなんだよ。それも後述いたします。

 

 

からくりはどこだ?

覺醒者を見つけ出すんだ

 

 

霊界ヌ~ボ~♨︎


www.youtube.com

 

「このアルバムのテーマはLSDじゃないか」などと先述をいたしましたが、それはこの曲についていたコメントがきっかけです。

 

わたしは藥物に明るくないので、LSDを検索してみたのですが、確かに紙でした。

 

正確には幻覺作用のある水溶液を紙に染み込ませたもの、らしく、錠剤タイプもあるそうですね。

 

LSDを摂取した際に起きるとされている効果は以下だそうです🦑

 

物が巨大化して見えたり、色とりどりの光が見えたりというのはこの曲のPVでも示唆されていますよね。びっくりしました。

余談ですが、このアルバムに収録されている別の曲を聴きながら『霊界ヌ〜ボ〜♨︎』のPVをミュートして見たのですが、あまりに凄まじすぎて MAJIでぶっ飛びそうでした。

「風邪の時に見る夢」というコメントもこのPVには書かれていましたが、"さもありなん"といった心情にございます。

 

 

ほんでもって。

 

 

まるで錯覚 視覚はトロトロ まるで△のように 視覚は飛ぶ

○は△ □は豆腐 ○が△のように 死界へ飛ぶ

と歌っておりますが、これは『物体の表面こそ、その本質』と我々は思いがちですが、それはそれこそが錯覚であり、『○は△であり、□でもあり、△も○であり□である』ということなのではないかと感じました。

 

またその〈錯覚〉と引き起こす元凶になっているものが、視覺にほかならず、その視覺をLSD等の恍惚でトロトロに飛ばすことで、『表面という詐欺』に引っかかることなくその本質を摑むことができる、ということなのではないのか?と思い至った次第です。

 

八十八ヶ所巡礼というバンド、もとい歌詞を書かれているマーガレット廣井さんは、その後に『紫光』という曲で、

その眼を消しとばしたら悦びは単純さ
と歌っています。 
 
あ、クリアランス クリアランスに浄化してあ、クリアランス クリアランスに浄化したい
この「クリアランス」という言葉は『片付けること、一掃すること』や『空間、ゆとり』という意味があるそうです。
この場合の意味合いは前者が近いと思うのですが、前者だとすれば"視覺"という、言うなれば〈煩悩〉ちっくなことを一掃することで、ピュアな、、、なんでしょう、悦びというか愉しみというか、本来ならもっともっと単純なものに触れられると言いたいのではないかと感じます。
あくまで妄想ですけどね☆
この妄想も難攻不落の感情ですし\(´-`)/
 
 
☞異界逝コウ☜
ねぇ例のものでいいとこ逝かない?
 
苦い水を求める

 

ここの「例のもの」が所謂、藥物的なもので、「苦い水」がアルコールだと思われます。
安直が過ぎる。
 
 
⌘惑う惑星⌘

我は宇宙なり それが真実じゃないの?

ねぇ?

 

この曲でも藥物を示唆する『紫煙』という語句が用いられています。

この『紫煙』が指すものは大麻であったりたばこであったりしますが、まぁ正直大麻でもたばこでも相違ないでしょう。

 

たばこも中毒になりますし、禁断症状が出るそうですしね。

一説によると大麻よりもアルコールやたばこの方が中毒性は高いという結果もあるそうですし。

 

政府が認可しているからって信じられるわけじゃねえ世の中ですってわけです。

 

所詮資本主義の世、マネー中毒者の金儲けのためなら大衆がどうなろうと知ったこっちゃねえって御スタンスでいらっしゃいましょう。

 

 

うんうん。

 

 

『我は宇宙なり それが真実じゃないの?』

そうだよ、それが真実だよ。なんともそれを忘れていらっしゃる方は多いみたいだけどね。

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極樂いづこ
なんというか、マーガレット廣井さんの本音を垣間見た、みたいな感慨を受けました。

 

以前にTHE BACK HORNのヴォーカルである山田将司さんの歌を、『熱くて強い励ましを歌っているけど、その芯にはとてもやわらかい優しさを持っている』と書いたのですが、それでは足りなくて、将司さんの歌には『その芯、根底には柔らかくて脆くて、濡れていて、ともすればぞっとするものさえ持っている』と感じています。

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そのある意味合いでは恥部とでも表現できるような『とてもやわらかくて濡れていて、ぞっとしてしまうほどのもの』を、この曲では垣間見た感じがします。

 

俗っぽい表現をするならば「肚の中、グロテスクな臓物すらも見せてくれている」ような感じ。

 

なので、この曲を初めて聴いた時はちょっと暗い氣持ちにもなりました。

『永・凹・阿阿瑠』や『慧光』もこの曲と同じ種属の曲だと思うのですが、先述の二曲はもっと他所行き用に小綺麗に纏めている様に感じます。

 

それに対して『極樂いづこ』は小綺麗に纏めることなく、自分のそのままの感情を表現している様に思われます。

 

その『自分の感情を、包み隠さずそのままピュアに表現している』から、先に書いたような『ぞっとしてしまうもの』を感じたのだと思われます。

 

 
そして、このチルアウト的とでも表現できそうなどこか心地の良いような、生暖かいんだけど、じんわりと虚無感が支配して漂白してくるような、曲の空氣。
〈ホワイトノイズ的な絶望〉とでも表現できましょうか。
 
この曲が纏っている雰囲氣はまったく懐かしいですね。
身に覺えがあります。20~25歳までは毎日この〈ホワイトノイズな絶望〉に支配されて虚夢ちゃんになっておりました。
 
今になったから分かるような氣がするのですが、未来みたいなものに希望を見出せず、生きる意味はわからないけど、死ぬ勇氣もなく、どこにも逝けず、それが怖いけどどうにもしようが分からず、でも多分今の日本って場所ではなんとかは生きていけるし、そんな無責任な自信もあり、でもそんな『なんとか』で生きていいもんなのか命とは、とか思っている自己嫌惡とかがないまぜになって、うっすらと生活に漂っていたからこそ、〈ホワイトノイズ的な絶望〉を感じていたのだろうと思います。
まぁ今考えていることだから、過去の自分が実際どう感じていたかは知らないし、過去なんていう『今にはないヴァーチャルなもの』に想いを馳せるのもばからしいですけどね。
 
当時の自分を分析して書いてると、なんとも自分があまちゃんだったなと思って恥ずかしくなりますね。
まぁ実際あまちゃんだったし、今もあまちゃんでしょう( ¨̮ )
 
 
そんな虚夢ちゃんもいつのまにかなくなっておりましたね。
この曲を聴いて思い出しました。
 
あの頃はまぁ辛かったんだろうけども、今思うとあれがあったからこその今だと思います。
 
生きてんのも悪いもんじゃない。良いもんでもないけど。
 
そうやって絶妙Σな意味をつけて安堵し、難攻不落な氣分を乗りこなしましょう。
ね。
 
 
⇔粛正の夜明け⇔
「すげえ曲をまたぶちこんだなぁ」
これが最初の印象でした。
 
樂曲としてもそうですし、なにより歌詞ですよね。
 
精神としては「八+八」に収録されている『日本』を強く受け継いだ曲だと感じます。
 
惡政と、洗脳と、教育と言う名の染脳と、詐欺的情報戰に対しての痛烈な批判です。
 
よく言ったもんやで…と思います。
こういった主張も、インディーズという外部資本や制約が介入しない場所で制作されているから言えるものであります。
 
 
我々の理想を幻想に閉じ込め悶えてはいないか?
 
紙切れによる支配と!
 
無知の歯車が増産されているそのうちの一つがお前だ!
 
愛くるしい甘い囁きに裏切られている気分はどうだ?
 
金を出し不幸を買っている己に嫌気はさしていないか?
 
罪を憎め!腹を暴け!
 
無知の歯車の我らを支配しているつもりのあれらを!!
 
紙切れで死ぬのは嫌です!
 
我々の理想を幻想に閉じ込め悶えてはいないか?
『夢』や『理想』というものを、自分で「叶わないものとして」考えてはいないか?
 
紙切れによる支配と!
まあ言わずもがな『お金』のことなんだと思うのですが、雇用契約だの戸籍、出生届だのもみんな紙で行われている世の中です。
それって〈紙に書かれてさえいれば、それが全くの嘘っぱちでも現実として有効になる〉ということですし、それはすなわち『紙切れによる支配』と言えるのではないでしょうか。
まさに、紙が神として扱われているということです。
 
何度も言及していることですが、「ヒトが『利用している』と思っているものほど、それこそが人を支配している」ものなのですよ。

小麦等の穀物しかり、言語しかり、携帯電話しかり。

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無知の歯車が増産されているそのうちの一つがお前だ!
いちいち言わなくてもよいのですが、学校教育でしょう。學校ではなく、学校のほうです。
自分で考えず、他者や顔の見えないものが是としたものを追従する、無知な社会の歯車を生産する機関ですからね。
 
一クラスの人数が40人なのも、軍隊の一小隊が40人だったところから来ているそうです。
『御國のために死ぬ』
『会社のために死ぬ』
『政府のために死ぬ』
日本人の本質は戦後から一切変わっていないのかもしれませんね。
 
愛くるしい甘い囁きに裏切られている気分はどうだ?
政治家の皆々様が選挙演説で仰っているマニフェストかなーと思いますが如何だと思われますか?
まああとは宗教の教義だの、会社の福利厚生とか?わからん。
 
金を出し不幸を買っている己に嫌気はさしていないか?
個人的には新聞とかニュースとかかな、と感じました。
わざわざお金(働いて稼いだ=生活を削って得たもの=命)を払ってまで、凄惨な事件や不況のニュースを見て、ネガティヴを受け取っている。
それってすなわち『金を出し不幸を買っている』ってことにならないでしょうか?
 
あとは添加物かな、とも思いました。
安かろうを求めて、結果病氣なんかになって医療費が高くかさんだ。不要な出費がまったく加算だ。
 
まぁニュースの線が妥当かなと思います。
 
今ふと思ったのですが、『不況のニュース』を多くの人間が目にしてそれを認識することで、実際に不況が引き起こされるのではないでしょうか?
 
罪を憎め!腹を暴け!
下手人を憎むのではなく、その罪を憎み、どうして下手人になったのか、その腹を暴け、という『鬼滅の刃』で描かれていたことですね。
まったく当然の正常な思考なのですけどね( ¨̮ )

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無知の歯車の我らを支配しているつもりのあれらを!!
本当に支配できているのかな?

本当に『無知の歯車』だけなのかしら?

「無知の歯車だらけ」なのは事実ではありますが、実は全員ではないかもよ。

まぁあぐらでもかいて油断してなさいな、かな?

 

紙切れで死ぬのは嫌です!

ここの『紙切れ』は先述のように「お金」という意味であると思います。
『金が全てで金さえあれば良いのだ』と思い込み、お金儲けに汲々となって、結果過労で死んじまったら元も子もないですし、お金に支配されることで『精神的な死』を迎えるのも嫌だし、という意味でしょう。
 
あと解雇通知だのっていう紙切れで死ぬのも嫌です。って意味合いも。
 
そして
 
ここの『紙切れ』が最初に書いたLSDに繋がってきます。
LSDは「紙片に水溶液を浸した藥物」とのことらしいですが、お金という価値観に精神を支配され、汲々となって氣を病んでしまい藥物に逃げる。
藥物にはまったら、刺激に慣れてしまって欲していく量が増えると聞きます。
増えた結果、肉体の死もあるでしょうし精神が死ぬ場合もある。
 
そんな紙切れで死ぬのは嫌です!もっと心豊かに生きたい!ということだと、わたしは感じました。
 
 
この曲は岡本太郎さんの著書『自分の中に毒を持て』に込められていたエネルギーと近いものを感じますね。

だから共鳴して好きなのでしょう。

 
 
これで『アルバムの裏テーマはLSD(藥物)』と言ったことに対しての説明はできたのではないかと思います。
 
 
精神的プログレ
さて、自分で言っていてわけがわからないのですが、このアルバムは『精神的なプログレ』だと感じます。その説明です。
 
プログレッシヴ」の意味は「進歩的」「革新的」ということだそうです。
 
『音楽的なプログレの具合が、他のアルバムに比べて荒削りで荒々しい』と、この記事の冒頭で書きました。
 
では、このアルバムはなにがプログレッシヴなのか。
それは歌詞を見ても分かるように、一人の人間としての精神です。
 
つまり必死に成長をしようともがいている、その様はまったく進歩的と表現できるのではないでしょうか?
一人の人間が成長しようとしている、その様を垣間見ているのですから一回聴いたくらいでは何を歌っているかなど、分かるはずがないのです。
まず自分以外の人間の感情なんぞわかるわけがないですし。
 
そういった『精神的なプログレ』が起きている時点での作品だから、『((((未練))))』や『A & N & D』のような煩悩を歌った曲が生まれるのも当然ですし、『極樂いづこ』のようなぞっとする雰囲氣を纏った曲が生まれるのも当然です。
 
自分の心をえぐって対峙しないと本当の革新などは得られませんからね。
覺醒者となるために必要な精神的プログレなのです。
 
MAJI最高。
 
 

 
 
最後に
この作品も例によって「初めて聴いた時は困惑がとても強かった」のですが、『人間は慣れる動物』とはよく言ったもので、何度も聴いていると心地良くなりますね。
 
初めて通して聴いた時は本当に「ちょっと今回は本当に受け付けられないかもしれない…」とか思ったのですけどね( ¨̮ )
全く氣分というものは摩訶不思議で難攻不落です( ¨̮ )
 
 
この八十八ヶ所巡礼というバンドに出会う前から、わたしは音樂にまったく人生を狂わせられているわけですが、このバンドを知ってから、より人生が狂わされた氣がします。
でもね、それは全く善い人生だと思います。
 
狂ったままで踊れるなら本望ですよ。
『ロックは悩みを解決なんてしてくれない。悩んだまま踊らせてくれるのがロックだ』という大名言もありますからね。
 
このバンドを好きでいることで、世間様とは狂感しあわない関係になるのならば、なおさら本望。
 
 
実は『⇔粛正の夜明け⇔』から8→7→6…1と遡って聴くことで、作品として本当に完成するのかも?とかも思ったのですが、さすがに深読みのしすぎでしょう。
それはわたしの『精神的プログレ』という仮説を、強固にしたいためのエゴでもあるでしょうしね。
 
 
ありがとうございました( ¨̮ )
 
 
 
 
最近わたし思うんですけど、人間というものは概念でしかなく、人間=生物ではないのではないか、って。
どう思われますか?

【雑記】最近思ったこと

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

最近思ったことがあります。

 

我々人間は「黒」と「BLACK」と同じものと認識していますが、実はそれって間違っているのではないでしょうか。

 

間違っている、というより勘違いと表現した方が適切かも。

 

日本人が「黒と認識しているもの」と、英語圏の方が「BLACKと認識しているもの」と、フランス語で育ったの方が「Noirと認識しているもの」は、実は違うのではないか、という意味です。

 

つまりは、わたしとあなたが同じと思っているものでも、両者の間には実は溝というか、認識の違いがあって、実は別のものを同じものとして認識しているのではないか、ということです。

 

その双方が、「双方違うもの」を「認識しているもの」と無意識にすり合わせているだけなのでは?ということです。

 

同じりんごを見ていても、その色味がそれぞれの目には別なように見えている可能性がある、ということですし、『同じりんごを見ている、と思っているだけ』で実は別なものを見て同じものだと思い込んでいるという可能性すらある。

 

頭が痛くなってきたでしょう。

 

これは各人が持っているアンテナの仕様の違いということなのかしら。

 

ありがとうございました( ¨̮ )