頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

責務

 

※今回の内容は超個人的な一意見です※

 

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

ここ最近、記事の更新が少なくなっておりましたが、その理由はここ数ヶ月激烈な憂鬱に苛まれていたためです。

体調不調からメンタル不調になり、ここ最近では風邪にもなりました(風邪っぴき十二日目現在でやっと病み上がりくらいです)。

 

さて、メンタルが非常に不調だったわけですが、その絶不調真っ只中の時(現在はメンタル不調状態)に凡庸なことを思ったわけです。

「生きていたくねえな」というあれです。

 

『死にたい』というのではなく『生きていたくない』です。

 

そう思った詳細な理由なんてものは書くつもりはないですが、というよりも、わたしはそもそもこの世に辟易としているために基本理念として『この世界は嫌な場所だ』という想いを持っております。

 

そういった基本理念が強くある状況で、体調不良とメンタル不調が重くのしかかったため「いやもう生きていたくねえな」という意識が顕在化したわけです。

 

わたしの基本理念にある『この世界は嫌な場所だ』ですが、その理念はわたしの考えの根本に『この世界は生きるには値しないのではないか』という想いがあるからです。

 

しかし、上記のような『この世界は生きるに値しないのではないか』と考えている人はどうやら絶対的に少数派であると感じます。

 

「辛いことも少なくないけど、とはいえこの世界は生きるに値するよね」と思っている人の方が絶対的に大多数で、そう考えている人が大多数であるということは世界も多数派に向けて作られているわけです。

 

端的にいえば、世界がキラキラとしすぎている。

 

キラキラした世界でそもそもの生活している人間に対して「この世は生きるに値しないのではないかと思っている」と話したところで、生活している世界が違う人間なので理解されることなどあり得ない(そもそも "他人" なので理解などできるわけがないのですけれど)。

 

と、そのようなことを悶々と鬱々と考え、恨みを育てている時に思い出しました。

 

これらのことって、朝井リョウさんの『正欲』で言及されていたことだ。

 

『正欲』は過去の記事でもネタとして書いております。

floodinhead.hatenablog.com

 

『正欲』はある好みについて描かれている作品であり、佐々木佳道さんのような好みはわたし自身に無いにしても、わたしは完全に佐々木佳道さんの側の人間です。

 

以前の記事でも書いた通り、わたしにとって『正欲』はほとんど〈日常〉であるため、作品を読んだところで価値觀が変わるなんてことはありませんでした(書評的に表現すれば「別に読む前に戻れる」)。

 

そんな時に思ったのですが『正欲』を読んで「価値觀が変わった」「考えさせられた」「もう読む前の生活には戻れない」という感想を持った方というのは、そもそも『この世は生きるに値する』と感じて生きている人なのではないでしょうか。

 

いえ、"『この世は生きるに値する』なんて思ってもいない人" だと考えます。

 

『正欲』が売れた理由の一つとして「想像もしなかった世界があることを知る体験(読後で価値觀が変わる云々)」が大きくあると思いますが、それは《この世界に対して生きるに値すると思っている人》がマジョリティにある世界だから、ではないのかと考えるのです。

佐々木佳道さんや桐生夏月さんのように《この世界は生きるに値しないと思っている人》の生活はマイノリティであるから、マジョリティの側にいる人間には新鮮で衝撃的に映る。

 

マイノリティの人間が苦悩を話したところで、マジョリティにはその苦悩が理解できない。

それはそもそも根本にある基本理念が相違している為、初めから相見えるはずがないということですね。

そりゃあ「話しても無駄」とも思います。

 

 

ところで、『この世界』に対しての見方を決めるのはいつで誰なのでしょう。

 

「誰」については、正直成人してからでもできます。

なぜならばこの世界をどう見るかは自分次第だからです。

 

であれば問題は「いつ」の部分になるように感じます。

世界の見方を決める時期は、そりゃあ成人してからや思春期など物心ついてからの場合もありますが、その多くは幼少期にあると思います。

 

幼少期のどういう要因で『この世界』への見方が決定づけられるか、詳細は不明ですが、どうしても保護者が大きな要因となると考えます(どうしても「誰」の要素も関わってくる)。

 

 

まだるっこしい御託を抜きにしていえば、『世界は生きるに値する』と思わせることこそが親・保護者の責務と考えています。

 

 

正直なところわたしは「生まれてよかった」と思ったことなど一度としてありません。

ずっと「なんでこんなところに来ちゃったかなぁ」とか「生まれてくるんじゃなかったな」とか思って生きております。

 

親という存在が親になりたい理由なんて千差万別でしょうが、『親になりたい理由のランキング』があれば「子どもが好き」や「世間体」や「自分の親を安心させる為」などの理由があるのではないかと思います(人によっては「セックスしたら勝手にできた」と言う人もいらっしゃるでしょう)。

ですが、これらって『いざ生まれてくる子どもたち』のことを "考えていない" んですよね。

全て自己都合や親側の政治的な理由です。

 

 

言いたいことは言えたけど収集がつかなくなってきたな。

結局今回でわたしが言いたいことは『世界は生きるに値する』と思わせることこそが親・保護者の責務ということと、そもそも『この世界は生きるに値するのか』と疑問に思わせた時点で親としての責任を果たせていないのじゃないか、とも思うということですね。

 

たとえこのようなことを主張したところで、「精神が錯乱してイかれた奴の世迷言」と一笑に付されて一蹴されるのが関の山でしょう。

 

まったく辛苦の多い人生です。

 

まぁいざとなったら死んじゃえば終いですけどね。