本日もご訪問ありがとうございます。
以前に『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』という映画を觀ました。
わたしは各シネマコンプレックスさんのサイトにて、公開予定の作品を見て回るのが趣味なのですが、来たる十月四日に『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』に公開されるそうです。
「ひょ?」と不思議がり「リバイバル上映か?」と思ったのですが、題名が『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎 真生版』となっています。
「真生版?なんじゃあそりゃ」と思って公式サイトに行くと、どうやらカットを描き直されている?みたいです。
しかもR15指定!!!!!!!!
予告編を見た段階で「よし、行こう」と心に決めました。
ちなみに友人を誘ってともに觀ます。映画は基本的に一人でしか觀たくないので、冗談ではなく十年ぶりくらいに人と劇場で映画を觀ますね。
ちなみに最後にともに觀た人もその友人です。
と、その【真生版】に向けて、ではないのですが水木しげるさんの『総員玉砕せよ!』を読んだので、今回はその感想です。
『総員玉砕せよ!』は水木しげるさんが兵士として従軍していた頃を題材にした作品です。
大東亞戰爭にてパプア・ニューギニアへ従軍していた水木しげるさん。
ジャングルで暮らしていた時の、その生活が淡々と、しかし戰場の悲惨さと戰爭の無情さ、遣る瀬無さが強く濃く描かれています。
読後の感想としては「凄まじい作品だった」です。
ビンタ
三部構成となっている作品で、第一部は兵士たちの生活が描かれます。
慰安婦のお話や肥溜めと飯の話、魚とりの話に、上官による理不尽な制裁(ビンタ)の話。
上官による理不尽としてビンタが「ビビビビ!」と事あるごとに繰り返されます。
このビンタは理由などなくても整列したら『初年兵』という理由で「ビビビ!」とされます。
読んでいるこっちですら「また??」と思うので、本当に何度となくビンタされたんだろうなと感じます。
そして何よりも強烈なのが『小指』の話です。
敵の弾に倒れた兵士がいました。
「その兵士の遺骨を作るために小指を斬る」と上官が言うのですが、その倒れた兵士にはまだ意識があるのです。
上官の方曰く「そのまま放置すると敵に回収されてどうされるかわからない」という意図があっての行動なのですが(『鬼畜米英』の意識がある時代ですしね)、どうにもギョッとはしますよね。
この話を読んだ時には、思わず息を飲みました。
《戰爭》が色濃く描かれだす
百五十頁くらいまでは兵士の日常がコメディタッチで描かれるのですが、それ以降は《戰爭》というものの凶暴さや恐ろしさが濃く描かれていきます。
敵軍が戰車を投入する様が描かれるのですが、その場面がとても怖い。
本当にとても怖い。
『鬼畜米英』の意識からくるものではなく、【命を奪うもの】という根源的なところからくる恐怖を表現しているように感じます。
百五十頁以降から《戰爭》が濃く描かれると前述しましたが、兵士の負傷や死も詳しく描かれます。
目を逸らしたくなるような死に樣や、爆風で四肢が飛んでいる表現、死体を投げ入れる穴などです。
負傷し、手榴弾で自決をした兵士の方も描かれていました。
玉砕
戰地を護るため、果ては御國を護るために玉砕命令が出されます。
玉砕を前に、最後の酒が兵士たちに振る舞われます。
『玉砕』という言葉を聞くと、わたしはTHE BACK HORNさんの『コバルトブルー』を思い出します。
歌っている先は神風特攻にて散った方々に向けてですが、戰爭で命を落とされた方に違いはありません。
正直、『総員玉砕せよ!』を読んだ後に曲を聴くと涙が溢れて仕方がないです。
今の自分などよりもお若くして亡くなった、そして兵士として特攻をされた、というのは本当に頭が上がりません。
何よりも驚いたのが、「玉砕命令が出た以上は生きていてはいけない」ということでした。
玉砕命令を受けたのちに生きている、それは敵前逃亡になるのだそうです。
そして、玉砕命令が出されている以上、抹殺しないといけない、と描かれています。
でもさ、玉砕の命が出ていたとしても、そりゃあ死にたくはないよな。
そもそもが自分の意思でない場合がほとんどなのだし。
いくら『御國のため』と言っても、そこには同調圧力しかないし、意を唱えれば「非國民」と糾弾されてしまいます。
難しいところではあるのだと思うけどさ。
無情
戰爭は無情なものです。
本当にそう思います。
なにがあろうと、絶対に繰り返してはいけません。
いつも何かの感想を描くときは「自分なりの言葉を」などと思っていますが、こればっかりは自己の肥大したエゴなどどうでもよく、ただただ『戰爭はやっちゃ駄目』という想いにしかなりません。
世代
さて、わたしは『機動戦士ガンダム』という作品が好きです。
しかし、あの作品はまんま戰爭のことを描いております。
ところで、わたしはメカニック関係やら機械系やら車なんやの動力系統?パイプやらなんやのものにはまっっっっっっっっったく興味がありません。
「あ、ふーん。へぇー」といった具合です。
戰車がとても怖く描かれていた、と前述しましたが、なんというか『戰爭を体験している世代』と『していない世代』とで、そういったメカニック系への捉え方が違うように思いました。
浦沢直樹さんの作品で『20世紀少年』という漫画作品がありますが、あの劇中で描かれていた巨大メカは、どこか〈かっこよく〉描かれていたように思います(畏怖を感じるようにも描かれていました)。
『機動戦士ガンダム』を創ったのは富野由悠季さんという方なのですが、この方は戦争を体験していない世代です。
この二人の共通点は「作品で戰爭を描いていること」です。
『機動戦士ガンダム』についてはそのままなので説明は省きますが、ジブリ作品だと『風の谷のナウシカ』や『ハウルの動く城』などで戰爭について触れています。
『風立ちぬ』なんてそもそも戰爭を題材としておりますしね。
この二人なのですが、わたしの所感としてメカニックに対して憧憬があるように思うのです。
お二方とも反戰を唱えているので、流石に戰爭に対して憧憬があるように感じるとは思いませんが、しかしなんとなく似たものはどうにも感じます。
『経験して居ないからこそ美化して想ってしまう』というのは、いつの時代も往往にしてありますが、戰爭を知らないが故にどこか戰爭を美化しているのではないのか、との感慨を持ってしまうのです。
事実、戰爭を経験した方の作品である『この世界の片隅に』では、物語の最後で凄まじい表現がされておりました。
これで思うのは、戰爭を知っている世代は『戰爭を徹底的に惨たらしく、悲惨で、無情で、遣る瀬のない、愚かなこと』として描いている、と言うことです。
なんとなく世界が物騒な方向へ傾きつつあるように感じますが、今一度、戰爭の悲惨さを知るためにも一読の価値はある、というよりも、全世界的に必読の作品であると思います。
これはおそらく富野由悠季さんの言葉なのですが、『戰爭は勝者や敗者を生むのではない。戰爭が生むのは戰災孤児だけだ』という言葉が強く記憶に残っています。
現代人を見て、どう思うのだろう。
先にございました戰爭を想う時、考えることがあります。
それは、戰爭にて命を落とした先人たちが、現代を生きる我々を見てどう思うのだろうか、ということです。
(自分自身もそうでしたが)日々自死を願い、鬱々をした表情をして生き、実際に死を選び。
このような世界に、現代日本はなっているわけですが、命を落とした先人たちはそんな我々を見てどう思うのでしょう。
「苦しいや悲しいも生きているからこそ。だから生きていてくれるだけで命をかけた甲斐もあるよ」と微笑んでくれるのでしょうか。
実際にどう思われているのかはわたしにはわかりっこないですが、「よ〜生きとってくれとるわ!」と嬉し涙を流しているような生ではありたいと思います。
少なくとも、あなた様方が存在したおかげで、わたしが存在しています。
ありがとうございます。
追記
そういえば今日は9.11があった日か。
どうか、安らかに、そして幸せでお過ごしくださいますように願いを捧げます。
