頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

『見せる用の真実ぅ〜〜〜』 を求めているのは?

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

先日、実家に帰って降りました。

 

その際に聞いたお話。

 

 

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わたしの母親はミシンを用いたお裁縫を趣味としております。

衣服も自作しており、今は着物をリメイクするのにハマっているのだそう。

 

母が親戚より着物のリメイクを依頼され、元となるお着物を借りた時のお話。

 

 

その着物を受け取り、自宅にて包みを開けた際に防虫剤のにおいが強烈にあったそうです。

あまりの臭さに顔を顰めたり顰めなかったり鹿となったりしたそうですが、その防虫剤のにおいを嗅いでから一定期間、寝ても覺めても鼻水が止まらなくなったそうです。

 

「そのときに氣付いた。これって花粉症の原因なんじゃないのかって」そう、母は口にしました。

 

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確かに春は衣替えの時期。

防虫剤とともに仕舞い込まれていた衣服を引っ張り出して着直したりします。

 

『花粉症』とは呼称されているけど、実は花粉は濡れ衣なのではないか。ということですね。

なかなかに興味深い考察です。

 

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花粉症が一般化しだしたのは、敗戰後の高度経済成長期以降からです。

その頃くらいから世界は、世界中は科學を神格化しだしやがりましたね。

 

日本國において最初の花粉症例が報告されたのは1961年だそうです。

それから '70年代後半から花粉症の罹患者が増えていったそうです。

 

杉花粉は杉の樹から流れます。

杉の樹は昔から日本に存在していたでしょう。

ということは『杉の花粉』自体も昔から日本で馴染みが深かった。

 

ですが、一時を境に『杉の花粉』を原因とした病が爆発的に増えているのはどうしてなのでしょう?

 

 

花粉症とはアレルギー症状の一種、と定義づけられているそうですが、アレルギー患者も1960年代から爆発的に増えています。

花粉症がアレルギー症状の一つであるとはいえ、この符合はどうしてなのでしょうか。

面白く、興味深いですね。

 

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もちろん、『花粉症は防虫剤が原因だ』と単一的に考えているのではなく、「花粉も要因の一端を担っている」とは思いますよ。

 

なんだって『この一つが全ての元凶』なんて言い切れません。

そういった一元論的な単一解釈は人間を莫迦にしかしませんからね。非常に危険な考え方です、氣をつけないと。

 

実際に杉花粉のアレルギーを持っている方もいらっしゃるのでしょうし、豚草花粉のアレルギーを持っている方も多くいるでしょう。

しかし、思い直せば日本で花粉症が騒がれるのは春と秋。

どちらも衣替えの時期ではありますね。不思議な一致ですね。

 

 

ペケペケペケペケペケペケペケペケペケペケペケペケ

 

 

眉唾な部分はございますが、車など石油で駆動する乗り物の排氣ガス、それらに含まれる重金属が人体に蓄積して色々なアレルギー症状を引き起こしている。という意見もあります。

『実際のところは、どうなのか』なんて知りません。だってわたしは一小市民な消費者なのですから。

 

ですが、これだけは言えます。

 

世間で真実だとされているものは『見せる用の真実』である可能性があるということです。

 

 

スリス リスリスリ スリスリスリスリ スリスリスリス リスリ リスリ スリ

 

 

むかーし、わたしは刷り込みの話を書きました。

floodinhead.hatenablog.com

 

刷り込み。

鳥類が生まれ始めて見た動くものを親だと思う、それです。

それは、何も鳥類だけではなく人間にも適用されるよ、と書きました。

 

その、《刷り込み》を用いれば、『見せる用の真実』も真実になるよ。ということです。

『見せる用の真実』それはつまり嘘やでっちあげに等しいのですが、そういったものの方が一般大衆には都合がよいのではないのか?なんて考えます。

それはなぜかといえば、憶測を広げる際の自由度合が無限と言えるほどに高いから、です。

 

最近、人間は憶測が多岐に及ぶものを好むんじゃないかと考えています。

自由に憶測を広げることができるということは、自由に肉付けができるということ。

 

嘘やでっちあげは「そのもの自体」に実体や真実がないので肉付けがし放題である。

 

そんな感じで。

 

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さーて。

そんな『見せる用の真実』はなんであるんだよ、って、そんなご意見が飛んで奇想天外な氣がしないでもないです。

わたし、思うのですが、『見せる用の真実』を求めているのって、我々一般大衆なんじゃないでしょうか。

 

ここ数年でよくよく耳にするようになりましたが、人間は「信じたいものを信じる生き物」だそうです。

 

 

本当の真実はとっても重要ですが、とてつもなく地味でよくある話でした。

 

ですが、人々はそれには見向きもしませんでした。

 

地味なものでは人々には刺激が足らなかったためです。

 

刺激を求めるがあまり、次第に人々は凶暴化していきました。

 

町では犯罪が横行し、それにすら麻痺しはじめていたのです。

 

そんな群衆を見て危惧した王様は、側近にある命を下しました。

 

「このままじゃ國が立ち行かない。民が夢中になるような噂を流しなさい。それもとびきり衝撃的で曖昧な、実態の摑めないものにしなさい」

 

その命を受け側近が噂をながしたところ、民の話題はその噂で持ちきりとなり、町には再び平和が訪れたのでした。

 

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ま、そんな簡単にはいかないでしょう。

 

しかし、それは作り話として書いているためです。

案外作り話みたいなことが現実で起きている現実もあり得ます。

それの真偽は我々一般的な大衆には見極めることはできないのでしょうけどね。

 

この日本で起きたある事件、調べるだけで物騒なことに巻き込まれかねないある事件があるのですが、その事件すら〈刺激的な作り話〉である可能性があるんだな、と思ったら目の前がぐにゃりと曲がるようでした。

 

 

見せる用の真実(要は嘘やでっちあげ)でも、もったいぶって打ち明けたら、打ち明けられた側はそれを真実だと思い込む。

 

始めて知ったことであれば、たとえそれが真っ赤っかでも信じ込む。

 

 

人間って、そんなような存在なのかもしれません。

 

あくまで、憶測として。

 

 

ほら、憶測って愉しいでしょう?

 

ね?

 

 

 

 

考えろ。マクガイバー

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )