頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

螺旋に対してのおぼえがき

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

この世には螺旋というものがあります。

皆様はご存知でしょうか、螺旋。

 

わたしはこの螺旋というものは『この世の理』の一側面を担っていると思っています。

以前にも話したような氣もする。

 

冗談と思われるかもしれませんが、至って本氣です。

まぁまぁ、冗談と思って話半分にでも聞いてくださいな。

 

 

369の法則

アメリカのエジソン氏に手柄を取られた「ほんまもんの天才」として有名なニコラ・テスラという人がいました。

 

この人は自身の経験から『369の法則』という"宇宙の法則"を導き出した人です。

『369の法則』については割愛します。

 

以前こんなことを書きました。

3は創造、6は維持、9は破壊。

そのそれぞれの要素を司る神様がヒンドゥー教には最高神として存在している。

創造神のブラフマー(3)、維持神のヴィシュヌ(6)、破壊神のシヴァ(9)です。

この創造(Generator)と維持(Operator)と破壊(Destroyer)の頭文字を取って、『GOD(神)』という言葉ができた。

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『369の法則』が"宇宙の法則"であるとのことですが、『螺旋』『螺旋のエネルギー』も"宇宙の法則"の一つだと思うのです。

 

 

螺旋の不思議 螺旋のエネルギー

木枯らしが吹いて、落ち葉がふわりと捲き上る様を観察していました。その落ち葉の挙動は螺旋です。

それを大きくすれば竜巻。竜巻やハリケーンは螺旋です。

ということは、『風は螺旋のエネルギーで運用されている』ということになります。

 

ホースから勢いよく流れる水を観察してみると、水が螺旋を描いて放出されていることがわかります。

これを調べたところ『回転をすることで物体をまっすぐ飛ばすことができる』とのことらしいです。

銃弾が回転しながら放出されるのと同じということですね。これは『ジャイロ効果』というもので、『Gyro(ジャイロ)』を日本語に訳すと「螺旋」という意味もあったりするそうです。

 

水といえば、排水溝に水が流れる時にも渦が作られます。この渦は螺旋です。

この渦を大きくすれば鳴門の渦潮にもなります。

 

湯氣がふわりと立ち上る様子を観察していると、くらげが優雅に泳いでいるようにも見えますが、最終的には渦状にくるくるとなって、大氣と混ざります。

この運動は対流ということなのでしょうが、対流も渦を使います。つまり螺旋ですね。

 

黒電話のコードも螺旋ですし、ばねも螺旋です。

カールコードにすることによってコンパクトにまとめることが可能です。

ばねは、その形状にすることによって、していない時には生むことができなかった運動と力・作用を生むことができます。

 

ほかにも、ねじは螺旋が用いられています。

フィボナッチ数列も渦です。

 

我ら人の指、ひいては身体というのも螺旋を用いられていますね。今氣付きました。

 

そして我々が生活していると言われている地球は日々回転をしています。またその地球が含まれている太陽系も、太陽を中心にして回転しています。

この回転は渦ではないので螺旋とは違うようにも思えますが、太陽系が含まれる銀河系は渦を巻いていると言われています。ということは銀河系は螺旋です。

 

 

………

 

 

 

やはり螺旋は宇宙の法則の一側面を担っているように思えてなりません。

 

ですが、螺旋や螺旋が生むエネルギーについての分析はまだまだ纏まっていませんので、結論なんて出ていません。

しかしやっぱり螺旋はこの世界の理を担っているように感じます。

『螺旋と、それが生むエネルギーについて』の本とかあったならすごく読みたい。でも、無いのか、日本語翻訳されていないのか、出てこない。

 

これからも生活をつぶさに観察して、疑問をより深めたり解明したりしていきます( ¨̮ )

 

 

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ありがとうございました( ¨̮ )

重力に魂を縛られた人

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

皆様は『重力に魂を引かれた』という言葉をご存知でしょうか?

これはガンダム用語です。

 

重力に魂を縛られた人

ガンダムの簡単な説明は以下。

地球上に人間が増えすぎた結果、宇宙も居住可能にしようと計画しました。

宇宙に居住コロニーを作り、その中で人々が生活するようになって70年以上が経過した頃、地球からもっとも遠いコロニーが自治独立を宣言し、それに伴って地球と戰爭が起こる。

みたいな感じです。これは第一作目のあらすじですね。

 

そのガンダムの作中にて、『スペースノイドアースノイド』という考え方が出てきます。

宇宙で居住する人のことをスペースノイド、地球で居住する人をアースノイドと呼称します。

 

さて、このアースノイドは『重力に魂を縛られた人』と形容されることもあります。

 

これはどういった意味合いで使用されるのでしょうか。

 

一旦こちらの動画を一度ご覧ください。


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わたしは基本的にオカルト話肯定派です。

ですのでUFOとかにも好意的です。見たことはありません。

 

上記の動画は「UFO研究家の韮澤潤一郎さん(ゲスト)が、ひろゆきさんと成田悠輔さん(ホスト)」とが、お話し(討論?)をする内容です。

 

なのですが、このホスト側のお二人が『一貫して物理的に理解しようと』している。

 

 

地球の感覺

「クリスマスはキリスト教の文化なのに、キリストが誕生する以前にやってきた宇宙人がどうして地球のクリスマスを祝うのか」とひろゆきさんが韮澤さんへ質問されていますが(25:50~)、これは『地球上においての長期休暇』ということなのです。

 

キリスト教圏での長期休暇が得られる時期がクリスマス期間」ということであって、「日本ならばお盆とお正月」です。

なにもない時期に長期休暇を取ると、怪しまれたりして不要な厄介事が生まれかねないので、『地球の常識に合わせている』ということなのですね。

これくらいは少し考えたらわかるはず。

 

他にも『定期便』みたいな語句も出てきますが、これも『地球人にわかる様に説明した結果の表現』でしょう。

言語の翻訳でも、本来の意味合いとは違った意味合いになったり、ずれたり、ということが起きますがそれと同じです。

ですので「宇宙の価値観」を「地球の価値観(地球人に理解しやすい表現)」に翻訳した時に、表現がどこかかみ合わなくなったり、いびつになってしまうのは当然だとも考えられるわけですね。

 

 

物質に傾いているか、スピリチュアルなのか

成田さんやひろゆきさんのように『絶対に物理として理解しようとしている』あるいは『物理的な証明がないと理解できない』というこの感覺こそが『重力に魂を縛られるということ』なのだな、と実感しました。

つまり、「いくらわかる様に説明をしようが、理解をできるわけがないのでわかり合うことは不可能」ということです。わざとすこし攻撃的に表現しました。

 

ちなみに韮澤さんの話していることは、ある程度のスピリチュアル性に開花していれば理解できるお話です。逆を言えば、スピリチュアルに目覺めていなければ、絶対に理解出来得ないということですね。

 

しかし、まだまだ物質的な意識に縛られている人は、正直多い。

というよりもその方が全体を見ても多いですし、その『物質的な意識に自分が縛られているということ』自体に氣付いてない人の方が優勢だと思われます。

 

正直なところスピリチュアルを話している人は『頭がおかしい』だの『宗教だ』だのと迫害されてしまいますからね。

わたしは幾度となく言っていますが、それならば『どうして科学で証明されたら信用できるのか』という氣持ちになります。

『科学的な証明があることで信じる』のならば、その考え方もまた、科学という文化もまた宗教性を持っているのではないでしょうか?

 

スピリチュアル否定派の皆様も、NASAとか権威のある機関がスピリチュアル肯定的な発表をすれば手のひらを返したように信じるのでしょうしね。

 

今の時代は「ほとんどが科学が隆盛してから生まれた人」ばかりなので、『科学は信じられるもの』と設定して(させられて)生活してきたのだから、科学を信仰するのも当然ではある。

 

しかしまぁ、なんとも…。

 

 

 

今回書いたことはあくまで戯言として消化してくださいね( ¨̮ )

あとは物質主義に傾きすぎるのもスピリチュアルに傾きすぎるのも、良いとは言えないので、ぜひとも中庸でいましょう。わたしはスピリチュアルに傾いています( ¨̮ )

 

 

ちなみに個人的には 『THE ORIGIN』が好きです( ¨̮ )

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

本当にそうかもしれない

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

前回は苦手を覺えている牡蠣に対しての決意を表明しました。(?)

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美容師の方の牡蠣プレゼンを聞いているときに、実はこんなことを言われていました。

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「牡蠣の美味しさを知らないのは、本当に人生の半分損しているレベルですよ」

 

 

よく使われる慣用句です。

言われた直後は「でたよ」と思っていました。その言葉に対しての否定的な意見が、メタンガスよろしくぽこぽこと頭に浮かんだのですが、『"今、その言葉を聞いた意味"はなんなのだろう』と考えました。

 

確かに、今以上に了見の狭かった過去の自分の場合は「牡蠣が食べれるかどうかで人生の価値を判断されたくない。むしろその程度のことで人生を見ている方が損なんじゃねえの。視野狭いよ」な〜んて思っていました。

 

正直なところ、今回もそう思いそうになりました。

 

しかし、わたしは考えた。

 

そして導いた答えがこちらです。

 

 

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何に対して「損と言っているか」とは『苦手を苦手のままで、克服しようとしない姿勢のこと』を言っているのではないでしょうか。

 

わたしは、今の今まで牡蠣が苦手でした。いや、克服行動をまだ実行していないので、今も苦手のままです。

何度かは挑戦しましたが、それも牡蠣の味をあまり感じない様な食べ方をしていました。まずそれ以上に避けていました。

 

 

『苦手を克服する』という、その姿勢があるのとないのとでは、ヒトは、身のこなしと、意識と、行動の一切が変わります。

 

「苦手だけど、克服ができるかもしれない。挑戦しよう」や、「『以前は苦手と思っていたものを今体験したらどうってことなかった』そういった経験が前にもあったから、今回も克服できるかもしれない」というのと、「苦手だからやめておこう」というのとでは、雲泥の差があります。

 

前者後者の意識をそれぞれで持った人が、そのまま成長した場合、その人たちの経験差はどのようなものになるのでしょう。

 

それこそ、本当に『人生の半分』ほどの差になり得るのではないでしょうか。

 

そういった思いを持って、美容師の方は口にしたのではないでしょうか。(絶っっ対にありえないです)

 

 

とはいえ、そういった未来視点が含まれるからこそ、この言葉は多様されるのではないか。

つまり『〇〇の良さがわからないなんて、人生の半分損しているよ』という人は、全員、上記の未来視点を持っているから発言しているのでしょう。(絶っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ対に違う)

 

 

「牡蠣のお話」で思わぬ副産物を得たお話でした。

 

海老で鯛を釣る。

この例えは違う。

 

 

 

くれぐれも『アレルギーを持っているもの』への苦手を克服しましょうね、と申しているわけではありませんのでご理解ください。

アレルギーなどの『摂取すると不調を覺えるもの』は積極的に避けていきましょう。

 

そばアレルギーの方に『アレルギーなんて甘えだ!氣合いでなんとかなる!!』なんて言って、食べることを強要することなんて、下手すれば本当に「自殺しろ」と言っているようなものですからね。

 

あくまで、『喰わず嫌いや好き嫌いの範囲』のお話です。

 

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

精神的に向上心のないものはばかだ

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

先日髪を切りに行きました。

散髪の際にはいつも美容師の方とお話をしているのですが、その会話で今度広島に旅行に行くと美容師さんが話されたので広島話になりました。

その流れで牡蠣の話に変わりました。

 

 

わたしは牡蠣が苦手です。

 

 

小學校の時分に給食で出たカキフライがあんまりに口に合わなかったので、それ以来牡蠣を避けた人生を送ってきました。

正直、貝自体も苦手です。別に食べられないわけではないですが、別に美味しいとも思いませんし、なんだったら貝の出汁もあんまり好きではありません。

 

では、なぜ、今まで苦手なままだったか。

それは、『貝が主役を張る存在だから』でしょう。

 

わたしの兄はきのこ類全般(特にしいたけ)が嫌いです。

きのこはきのこ汁とかの主役に躍り出ることもありますが、基本は『名脇役』といった立ち回りを用意される存在です。

なので「きのこを避ける」というのはまぁまぁ骨を折る作業でしょう。

 

ですが、貝は違います。

クラムチャウダーなんて料理もありますし、しじみ汁なんて料理もあります。

『シーフード』と銘打たれた料理には必ずと言っていいほど、貝が入っています。

正直なところ、避けることなんて容易も容易。お茶の子さいさいといった趣です。

 

牡蠣なんてもっと容易です。

冬になったら〈牡蠣フェアー〉なんてものが開催されるほどのお祭りです。

牡蠣鍋もあればカキフライもあり、焼き牡蠣、生牡蠣なんていう『素材の生-き-』を味わう術すらあります。

避けることなど容易です。容易のよっちゃんですね。

 

ですが、それほどまでに好きな人がいるからこそ、その美味しさを知りたい。

 

 

生牡蠣なんて「当たってもいいから食べたい」という人がいるくらいです。美容師の方もそんな中の一人です。

それほどまで牡蠣を好きなフォロワーがいるのに、その美味しさを知らないのはもったいない、非常に。

 

小學校の給食の時に食べたカキフライがあんまりだったから牡蠣が苦手になった、とは前述した次第ですが、その牡蠣が美味しくなかっただけなのかもしれない。その可能性は大いにあります。

 

 

それに、牡蠣を好きな人の話を聞いていると、非常に魅力的に思えてくる。本当はおいしいのではないか…?

 

その美容師さんの話すところによると「牡蠣と他の貝とは別物だと考えた方がいい」「牡蠣は生クリームの様にミルキーでクリーミー」なのだそう。

 

わたしは実家が四國なのですが、わたしの郷里へその美容師さんが旅行に行った際に食べた牡蠣がとても美味しかったらしいです。

ですので「都会で牡蠣を食べたらいけない、もっと嫌いになる可能性がある。なので田舎に帰った際に食べた方が絶対に良い」とのことらしいです。

 

 

 

やはり好きなもののことを話している人の話を聞くのは良いですね。

樂しいです。

 

やっぱり、自分が苦手を感じているものでも、それを好きな人がいる。

それを好きな人がいるのに、その"良さ"を知らないのは、もったいないがすぎると感じます。

『昔は受け入れられなかったけど、時が経ったら受け入れられるようになった』ということは往往にして存在しますからね。

 

精神的に向上心のないものはばかだ。

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

【MUCC TOUR 202X】愛しい思い出は愛で続けることで生き続ける【11/16 なんばHatch 簡易ライブレポ】

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

 

去る2021年の11月16日にLIVEに行ってきました。

MUCC TOUR 202X 惡-The brightness WORLD is GONER @なんばHatch』です!

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このツアーは24年間MUCCのドラマーを務めたSATOちさんの脱退後、新体制となったMUCCが初めて発表した両A面シングル『GONER/WORLD』をひっさげたツアーとなっています。


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3人体制のMUCCのお披露目とともに、SATOちさんの後任であるサポートドラマーAllenさんのご紹介も兼ねたツアーです。

 

そんな新体制MUCCのLIVEを観た感想と簡易的なライブレポを今回は綴っていきます。

 

簡易レポ

昨年の2020年に発売されたアルバム『惡』をベースに構成されたプログラムなので、LIVE一曲目はアルバムのトップを飾る表題曲『惡』からスタート。

「今年の3月にオリックス劇場で観た時よりも音が良い!ダイナミクスがある!解像度が高い!」というのが、一音目を聴いた時の印象でした。

これは『ホールかライブハウスか』とか、『内装の音が回る環境や作り方』とかの差がどうしても出てしまう部分だと思うので、仕方ない部分だと思われますし、好みの問題でもありますね。

やっぱりHatchの音は好き。

 

そんなことを思っていたらオールイン。

バスドラの音がめっっっっちゃくちゃに硬くてびっくりしました。

一般的にバスドラムの音は「ドスッ」という言葉で表現されることが多いのですが、Allenさんの音は「バチッ」でした。バリカタ。

「絶対ビーター(バスドラムを打点する部分)の素材プラだぜ」とか思ってました。真相はわかりません。

 

ちなみにSATOちさんはドスッ系の音です。

 

お初に聴くドラマーさんなので注目して聴いていたのですが、『惡』の曲中はずっと前ノリのアプローチをしていました。

32分音符一個分くらい?わかりませんが、その前ノリのままでビートキープをされていたので、こりゃ上手い人だなと思いました。


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CRACK

その『惡』の後に続くのが『CRACK』

ここでびっくりしました。

 

『惡』の時には前ノリだったビートアプローチが、『CRACK』ではビートに対して徹底してオンでアプローチしていたからです。

これを聴いて、Allenさんという方はドラム巧者な方なのだなと感じました。一素人の意見です。

 

それもそのはず、このAllenさんという方はメタルのドラマーさんだそうです。

メタルという音樂は基本的にBPMが早く、繊細かつ細やかなプレイを要求されます。その繊細さが求められる音樂で、要となるドラムがもたっていると聴けたもんじゃありません。

その『メタルドラマーという素地』があるから曲によってのアプローチを切り替えらるのでしょう。巧者。

一素人の意見です。


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海月

照明の優艶さ・ステージ奥に鎮座するサポート二人のボックス形機材セットなどが相まって、さながらアクアリウムみたいだなと感じました。綺麗でした。

その『ボックス二つを見るメンバー』という構図も〈水槽を眺める様〉にも見えましたし、『ステージ全体が大きなアクアリウムで、その中に小さい透明な箱が沈んでいる様』にも見えて、それもまた綺麗でした。

 

曲のエンディングではAllenさんの綺麗なビートキープ能力が活き、ベースのYUKKEさんのプレイとも重なり、恍惚なトリップすら感じられるような氣持ち良さを体験しました。

SATOちさんとのコンビが長く、そのリズム隊が奏でる音に慣れていたので氣になりませんでしたが、YUKKEさんはベーシストとしてのポテンシャル(ドラマーとの親和性)がとても高い方なのですね。MUCCを好きになって11年くらい経っても氣付けなかった。

これはAllenさんのドラムがあったから知ったことです。

 

 

我、在ルベキ場所

ここまでAllenさんのプレイに対して好意的に思っていましたが、この曲はSATOちさんの方が良いと感じました。

なぜかというと、Allenさんのドラムは"綺麗すぎる"から、です。

 

この曲はムックがメジャーデビューのタイミングで発表した曲で、『密室系』の香りがまだ色濃かった時代の曲です。

その時代の曲には『ガッツがある』と形容されるSATOちさんのドラムが不可欠と、一ファンとして感じた次第です。

 

曲のエンディング(4:38~)で、原曲では「ドッドコドッドコ」と踏まれているバスドラが、Allenさんのアレンジでは「ドコドコドコドコ」のロールになっていて、そのプレイはとても綺麗だったのですが綺麗すぎだとも感じました。

『娼婦』や『我、在ルベキ場所』のようなバンド初期〜前期の曲は、SATOちさんの特徴である『ガッツがあって泥臭い、土臭いドラミング』の方が合うな、と感じました。

 

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XYZ.

MUCC流シティポップソングです。

曲が入る前の軽いセッションのAllenさん本当にめっちゃくちゃ上手かった。

やっぱり細かいフィルや繊細なビートアプローチは上手い。上手。ドラム巧者。

こういったプレイは確かにSATOちさんは苦手かも知れないなとも感じます。

得手不得手があるのは生物、人間として普通ですね。

 

 

流星

この曲はそんなAllenさんの細かいドラムがすごく活きていた曲だと思います。

ここ数年の流星の中ではトップくらいに良かった。

なぜかというと、この曲はダイナミックなドラムが要求される曲でありながらも、繊細さありきのプレイが必須だと感じるからです。

 

その繊細かつダイナミクスのあるドラムはAllenさんの得意とするところだと感じたので、すごく曲と合っているなと感じた次第です。

 

ですが、以前にも書いたように原曲が一番。

SATOちさんがドラムの流星も、Allenさんがドラムの流星も、別解でいいよねというお話です。

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レーザーで照明した星が、流れ星になって流れるのとかすごく綺麗でした。

 

 

明星

曲導入がcali≠gariさんの『ブルーフィルム』と一緒だったので、「えっ!?ブルーフィルムやるの!!?」とびっくりしました。そんな訳ない。


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『明星』だと理解した時は「この選曲は賛否両論だろうな…」と思いました。

この曲は『SATOちさんがMUCCの脱退・引退』が決まってから作られた曲だからです。

 

ですが、聴いているうちに考え方が変わりました。

オリックス劇場で聴いた時の印象は「夜通し泣きはらした後の、まだ悲しみの中の明星」だったのですが、今回の印象は「光を見つけた後の明星」だったのです。わかりにくいですよね。わたしもわかりません。

 

その後に演奏した『My WORLD』でも思ったのですが、「SATOちさんとの思い出が愛しくかけがえのないものだから演奏する」んですよね。

この記事のタイトルにもしましたが、『愛しい思い出は、愛で続けることで生き続ける』のです。

 

その時まで氣もつきませんでしたが、もし肯定的な脱退でないのならば演奏なんてしない筈ですものね。

演奏するということは、今でもSATOちさんを仲間と思っていて、愛しているためです。泣きそう。

 

 

Allenさんへの印象

イケメン!ドラム巧者!イケメン!愛されキャラ!

 

Allenさんに対しての印象は前述した通りです。

SATOちさんはガッツと泥臭さのあるドラムを叩き、Allenさんは繊細かつパワフルなドラムを叩くという印象ですが、それはあくまでわたしの印象ですし、それがその人のパーソナリティなわけです。どっちがダメでどっちが良いなんて話では決してありません。どっちも良いんです。

最近の曲はAllenさん向きかなとは思う。

 

初期〜中期の曲たちはやっぱりSATOちさんの方が良いと思うけど、それは『ムック』と『MUCC』の曲達がAllenさんの中に染みていないだけ、慣れていないだけ、という可能性も大いにある筈でしょうし、わたしが「Allenさんのドラムで演奏されるMUCC」に慣れていないだけでもあります。

なので、未来的には「な〜んて偉そうなこと言ってたけど、いいじゃん。ビッグラブ!」と話している可能性もあります。

 

ここら辺は神のみぞ知る蟹の味噌汁って感じですね〜〜〜〜。

 

 

(確か)ミヤさんがMCで話していた様に「MUCCの中で一番イケメンなのに愛されキャラなのは、SATOちと一緒」ですし、メンバーがウェルカムな雰囲氣を出していることと、夢烏の皆様もいろいろ様子見ながらも好意的な空間を作っていたので、『石井秀仁さんが加入した時』みたいにはならないでしょう。

ゴリラは懐が広いというところでしょうか( ¨̮ )

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やっぱり愛するものごとについて講釈を垂れるのは樂しい\(´-`)/

あと久々に全身を耳にして聴いたのも樂しかった\(´-`)/

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次のLIVEは8月以来の八十八ヶ所巡礼さんだ!

『幻魔大祭1205 心斎橋BIG CAT』!\(´-`)/

LIVE納めになりますので精一杯樂しみにした上で、愉しみましょ♡

 

 

ここまで長々と読んでいただきありがとうございました( ¨̮ )

プレゼンが上手い

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

すこし前からよく貼っているAwichさんの『洗脳』


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かっこいいです。

この曲が収録された『孔雀』というアルバムが欲しい。

音樂は盤が発売されている場合は、ブツの方を買います。

 

むしろデータ販売のみの場合は購入をしないことすらザラです。

 

なので、「『孔雀』のCDが欲しい」これが正直な願望です。

 

 

いや、そんな願望は関係ないんです。

今回はこの『洗脳』で客演をされているDOGMAさんのお話です。

 

 

 

使う言葉

DOGMAさんは『洗脳』では二人目に登場する中小企業の社長役をされている方です。

 

この方の曲はどんな感じなのだろうと思って、チャンネルを訪問し動画を見てみました。

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いやもうプレゼンが上手い!!

 

なにこのプレゼンの上手さ。なにこれ。

 

すごく美味しそうなんですけど〜。むしろ話を聞いているだけで美味しい。もう美味しい。

 

他の動画も見ました。

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この動画を見ていて思ったのですが、ポジティヴな言葉だけを使っているのですよね。

 

『お蕎麦屋さんの天ぷらがつゆを吸った様』の形容は何通りもあるはずですが、「天ぷらがお蕎麦のつゆを吸ってべちゃっとする・崩れる」じゃなくて「天ぷらがお蕎麦のつゆを吸ってほろほろとほぐれる」と形容しただけでも、聞き手の印象は違います。当然後者の方が良い印象があります。

 

こういったように『徹底的にまでポジティヴな言葉・聞き心地の良い言葉を使う』ことがプレゼンテーションをすることにおいては、とっても、思っている以上に以上に大事なのだろうなと感じました。

まぁ勧めたいモノの良い面を紹介することがプレゼンテーションなので、至極当然なのですけどね( ¨̮ )

 

 

そんでもって、『プレゼンテーションを行うにおいて、用いる言葉は濁音が含まれない方が良い』というのも定石だと感じました。

前述の「天ぷらの例」が説明として適切と思います。

『べちゃ』よりも『ほろほろ』の方が耳障りが良いですよね。

 

この使用する言葉というのは、音声学的な『破裂音』や『摩擦音』、『鼻音』などとの兼ね合いもありそうです。

 

 

しかし『短所なんて見方、表現のの仕方を変えたら長所』という見方もありますように、なんでもどこから見るかなのでしょうね。

まぁなんにせよポジティヴな言葉を意識的に使っている方が良いのは事実でしょう。

言葉というのは、使うその人の心そのものですからね。

 

 

 

あとハンバーグのプレゼンの時にしていた『懸念と共感』もプレゼンテクニックなのでしょうね。

 

『ハンバーグの肉汁が飛び散った鉄板にご飯を入れて、そこに追いチーズソースでリゾットにするってちょっともたれるじゃないですか』という"懸念と共感”の後に、

『でもハンバーグ自体に脂質が少ないから、脂よりも肉汁がのこるんですよ。しかも、追いでかけるチーズソースも、チーズのコクだけが香るようなソースなので、後でもたれるような重いソースではないんです』という"懸念を打破"する説明。解決です。完璧。

「問題ないですよ〜安心して食べてくださいね〜」という語り口。百点でしょう、これ。

 

あとは〈ハンバーグにかけるソースを紹介する順番〉による人間心理と印象の妙も活用しているのも、プレゼン強者なところなのでしょうね。

 

 

ということは

昔、何度かプレゼンが上手いと言われたことがあります。

言われた当時も、この今までも社交辞令だと思っていたのですが、もしかしたら本心だったのでしょうか??

今となっては真相は闇の中にあるわけです。

わたしとしては『食べて美味しかったものを、食べたその時に感じたピュアな感情をそのまま話していただけ。その美味しさを食べて実感してほしかっただけ』なんですけどね。

 

実際に美味しかったし、その美味しさをお読みの皆様にも体験してほしいので、わたしのプレゼンをもって本記事を締めさせていただきます。

 

 

 

ハードトーストのプレゼン

ハードトーストというパンがあります。

このパンは一見普通の食パンなのですが、何が違うかというと「フランスパンの生地」を使っていることです。

一般的な食パンにはバターなどの油脂やお砂糖を入れるのですが、フランスパンは小麦粉・イースト・お塩・お水だけで作られています。

油脂が入っていないために、パリッとした歯ごたえともっちりしたあの美味しい食感と風味を感じるのですが、そのフランスパンの生地を食パンの型に入れて焼いたものがハードトーストなのです。

このハードトーストの何が良いかというと、バゲットやバタールといったフランスパンでは物足りなく感じていた『もっちりとした中身をより多く食べることができること』です。

 

歯ごたえのあるハード系のパンは好きでしたが、「中の白いもっちりした部分をもっと食べたいな」と常々思っていて、バゲットよりも中身が詰まっているバタールを好んでいましたが、そのバタールでもやっぱり物足りなさを感じていました。

そんな時にハードトーストの存在を知って、即購入。

 

食パンはトーストにするよりもそのまま食べる方がわたしは好きなので、「ハードトーストとは言っても、やっぱり生()の味を知りたいから、まずはそのまま食べよう」と思いながら開封し、パンの香りを嗅ぎました…。

「あっ、トーストの方が絶対に美味しい」と嗅いで0.1秒で確信しました。0.01秒かもしれません。

 

即時トースターでこんがりとトーストにして、一口食べたのですが、あの瞬間の感動は忘れません。

適度にカリッとなった中身のもちもちとした美味しさもさることながら、特筆すべきは"耳の部分"です。

フランスパンの生地を使用しているので、当然ハードトーストの耳はフランスパンと同じなのですが、その耳がトーストされたことによってよりバリバリとハードな食感になり、より一層美味しい。ハードで歯ごたえの良い食べ物が好きなわたしからするとたまりません。

食パンの底と左右部の耳は『バリバリ』ですが、頭のツヤツヤしたところは『パリパリ』という違う食感になるところも美味しいところです。

 

ハードトーストは是非とも一度ご賞味いただきたいです。

 

阪急うめだ百貨店の地下一階にある『Boulangerie un』というお店のハードトーストしか食べたことがないので他のハードトーストを知りませんが、ここのハードトーストは本当に美味しいです。

job-gear.jp

 

 

 

書きすぎた( ¨̮ )

 

メゾンカイザーのクロワッサンとチャバタというパンも大変美味しかったです。

チャバタはエクストラバージンオイルを練りこんだもので、噛めば噛むほどにしみじみと「あっ、おいしいな」と感じる類のおいしさで、クロワッサンは初めて食べた時に思わず「んっっふぅ♡」という声が出てしまいました( ¨̮ )

maisonkayser.jp

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

エンタメ化

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

 

 

妖怪に何か用かい?

この世には妖怪という概念があります。

 

わたしはスピリチュアルも肯定派ですので、妖怪とか幽霊とかのオカルト事に対しても好意的肯定的に思っています。

 

理由としては『居ないことが証明されていないから』というのと『居た方が夢があるから』というものです。

『目に見えないものは信じない』という意見もありますが、個人的には「つまんねえやつだな。粋じゃねえ。夢がねえ」と思っています。

 

 

さて、この妖怪を「居ないもの・完全なフィクション」だと仮定すると『どうして妖怪なんてものが生まれたのか』が疑問点になります。

非常に理性的に説明するならば、現代科學で解明されていなかったこと〈理解不能の事象〉を、妖怪の仕業と仮定することで〈事象を理解下に置くことができるため〉に、妖怪が誕生したのではないかと考えられます。

 

つまり『安心したい』ということです。宗教が誕生するプロセスと同じですね。

 

 

風邪をひいたときの意識が朦朧としている状態で、『ざらざらして湿った温かいものが肌を撫でた。これは"あか舐め"の仕業だ』と思っても、実際は保護者や配偶者が濡れ布巾で体を拭いているだけであった、という場合もあるはずです。

 

ほらね、解明って無粋で面白みも夢もないでしょ?

 

そんな『妖怪はいるのかいないのか論争』なんてのはどうでもよくて、今回取り上げたいのは『妖怪をデザインした人がいる』ということです。

 

 

デザインした人、エンタメ化した人

『妖怪が本当にいるのかどうか』なんて本当にどうでもよくて、わたしが氣になっているのは『妖怪という概念を誰が作ったか』と『妖怪を誰がデザインしたか』です。

 

さっと調べたところ、奈良時代に妖怪の起源があり、鎌倉〜室町時代くらいから容姿が表現されはじめ、江戸時代に大流行したそうですね。

 

江戸時代ってのは、判じ絵も流行ったような洒落っ氣のある粋な時代です。

 

そんな洒落っ氣のある時代だから、「得体のわからない恐怖さえも樂しんじゃおう!あえて!」ということで妖怪が生まれたのではないかと思います。

 

いわば『恐怖のエンタメ化』っちゅうような感じですね。

 

 

そして『妖怪というエンタメ』があれだけ発達していたのは、ある程度"娯楽の幅が狭かったから"ではないかと思う次第です。

 

娯楽が狭い→出力・表現の手段が少ない→結果として妖怪のバリエーションが増える。

 

ということは、これだけ娯楽が溢れて多様に増えた現代では全くの新生新人妖怪は生まれないのではないか。と、思っております。

 

「娯楽や表現方法が増えた」ということはプラス面でもあるけど、それだけ「表現力が下がった」とマイナス面的なをすることもできます。

 

 

狭いからこその良い部分。広いからこその良くない部分

『表現方法が狭い』ということは、世間に通用するためにはそれだけ試行錯誤が必要になってくるということです。

「新作妖怪らしいけど、これって古典のあの妖怪と同じではないか」と消費者に言われかねないからです。

そのために妖怪を考案する人は、あれやこれやと思考し『新しい妖怪』を生み出すのですね。

 

ということは、現代という『娯楽の表現方法が多様化した世』では、その試行錯誤が江戸時代よりもおざなりになっているという可能性も、大いにあり得るとわたしは思うわけです。

 

ということは江戸時代のエンターテイナーは今よりも高度なものだったということか?

 

でも実際にPCで音樂を作るようになってから、明らかに昭和世代のプレイヤーよりも樂器や歌のスキルが低いプレイヤーが増えたから"江戸時代の方が高度な表現をしていた"というのは、当たっていそうです。

 

 

ということは江戸時代では上手くいかなかった表現者も、現代では上手く表現をしているという可能性も出てきます。

 

もしそうならば表現者は江戸時代よりも増えたということなのでしょうか?

 

でも、"生む人間"は何をどうしようが『生む人間』ですし、"受け取るだけの人間"はどこまで行っても『受け取るだけの人間』です。これは経験上における現時点での結論です。

 

ということはクリエイターと消費者の絶対的な割合は、今も昔も変わってなんていなくて、クリエイター側の表現方法が多様化したからクリエイターが増えた様に感じているだけなのか?

 

あれ?記事の初めに言っていたことと違った方向に話が向かっているような氣がするぞ??

 

 

 

個人的にクリエイターと消費者は3:7の割合だと感じていて、その『クリエイター』の中に革新者と先導者が含まれています。

革新者(イノベーター):先導者:消費者の割合は、1:2:7だと思っています。

しかしこのお話は別の論点になるので、また別の機会にでも♡

 

 

 

『妖怪はデザインされたものだ』だの『妖怪という概念があります』だのとここまで言ってきたけども、それこそ『オカルト否定派』みたいじゃんね。

無粋だわぁ。つまらんやつだぜ、まったく。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )