頭の中の洪水

観察と思考と分析の日記ですよってね。たまに思想家が顔出します。よってね。

ガブリエル・カッソ

 

 


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本日もご訪問ありがとうございます。

 

以前とある方が「制限・制約があった方がおもしろいものが生まれる」と話されておりました。

 

 

抑圧と制限

 

飽和の時代

【抑圧】と【制限】

この二つは似ている言葉ですが、若干印象が違いますね。

 

個人的に前者は感情が混じっていて、後者は事実という印象です。

 

【抑圧】には感情が混じっているわけですが、その感情は発露する必要があります。

心の健康を維持するために必要となるわけですね。

 

その発露の一つとして生まれたのがJazz MusicやBlues Musicらしいです。

わたしはそう聞きました。

 

JAZZ MusicやBlues Musicはともにアメリカにて黒人の方より生まれました。

誕生は同時期であり、人種差別や社会的立場へのやるせなさや抑圧の発散として音が鳴らされた。そう聞いております

ちなみにBlues MusicはのちにRock Musicへと分化していきます。

 

 

似ているも非なる【抑圧】と【制限】ですが、その発露として有名なものがあります。

それはHIP HOPという表現です。

 

 HIP HOP俄かなりにその成り立ちを説明させていただきますが、HIP HOPはラップ・ダンス・DJ・グラフィティという四大要素で構成されていますが、そもそもとしてアメリカのギャングが成り立ちに深く関わっているのだそうです。

 

その昔、ギャング同士の抗爭では暴力が行使されていたが、それだと人手が減りすぎる。

なので暴力で解決するのではなく、上記した四大要素で対決して優劣決めようぜ。という経緯で生まれたのだそうです(白熱したらリアルファイトへの発展もあるそうです)。

 

そしてHIP HOPは昔から金銭的な余裕が少ない方々が表現する領域?のものです。

 

 

本記事の最初に貼りましたRIP SLYMEさんの『どON』ですが、Rap Musicはサンプリング(引用)が文化とされており、文脈が組まれております。


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上記の引用元特定動画最後にてFat BoysというCrueの映像が流れております。

お恥ずかしながらわたしはFat BoysというHIP HOP crueさんの存在を存じなかったのですが、そのかっこよさに度肝を抜かれました。

あまりに格好が良すぎる。

 

披露されていた曲は『Human Beat Box』という曲ですが、所謂ヴォイスパーカッションという技術はHIP HOPが源流にあると考えられます。

 

『HIP HOPは比較的金銭的な余裕が少ない方々が表現される領域』と上記しましたが、"金銭的な余裕が少ないと、樂器が買えないという現実" が存在します。

DJテクニックの一つであるビートジャグリングは、James Brown氏の曲中にあったドラムビートの間奏部分を同じレコードを二枚用いて繰り返したことで生まれ、そのビートジャグリング上でラップを行ったことでHIP HOPという音樂ジャンルが萌芽した。という説をK DUB SHINEさんがお話しされておりました。

 

金銭的な余裕が少ないという【制限】と、その事実による【抑圧】からギャングの表現であったHIP HOPが感情の発露に変遷した、とわたしは考えております。

 

 

ところでJazz・Blues・HIPHOP、全てが黒人の方をルーツとしているのは非常に興味深いですね。

それもこれも白いエゴが影響しているのだろうとは思いますけれど。

 

 

こんにゃく

以前わたしは『〈知識の共有をしないこと〉で繁榮するということもある』というようなことを書きました。

floodinhead.hatenablog.com

 

〈知識の共有をしないこと〉によって、各々が想像をして工夫をするので新しいものが生まれやすい土壌が出来上がるということです。

 

〈知識の共有をしないこと〉とは【制限】と似たものだろうと思いますが、様々な制限があるから新たなものが生まれる。

 

樂器を買う余裕はないが、レコードを二枚買うことはできる。

レコードを二枚も買う余裕はないが、己の口を使えばパーカッシヴなビートを刻むことができる。

【制限】と【抑圧】があったことで新時代的な新しいものや新しい表現が生まれやすいのかもしれません。

 

一応釈明しておきますが、貧困を肯定していたり礼賛しているわけではありません。

そして上記の理論は独裁者による独裁の行使理由として利用することもできます。

 

やめてください。

 

 

不均衡?

産業革命が興って以来、世界はあらゆるものが飽和している傾向にありますが、世界は豊かになるも反比例するかのように、人の精神性は貧相になっているように感じます。

 

いや?逆に考えれば『心が貧相で困窮したから物が溢れた』と解釈することもできる?

人間は不足感を物質で埋めますからね。

 

 

 

こんにゃくという食べ物がありますが、原材料の蒟蒻芋はそのままや他の芋類と同様の調理方法では食することができないそうです。

そのため「先人はどうしてわざわざ手間をかけてまで蒟蒻芋を食べようと思ったのか…」と不思議がって疑問にすることが定期的にぽこぽこと生まれます。

 

現代は飽食の時代。しかし産業革命以前は明日食べるものすらも困っていたという状況も往々にしてあったと思われます。

そんな時代は、現代と比べると【制限】の時代となりますが、その制限があったからこそこんにゃくという食べ物は生まれたのだろうと考えております。

 

そして、考えている時間ってのは確かに疲れますが解決方法や対策法が浮かんだときはとても脳みそが氣持ち良いです。なんらかの脳内麻藥が出ている?と思ったりもします。

先人たちはこの快感を得たくて蒟蒻芋の過食方法を探っていたのかも?などという仮説を立てたりしました。

 

 

時代は現代に移って。

色々なものにおいて飽和飽食の時代が現代ですが、そんな現代では昔みたいな【制限】ってのはあるのか?【制限】から発露した新しいものって生まれるのか?と思ったりします。

 

大いんったねっと時代でありSNS時代であるために抑圧自体は増えているのではないかと思ったりしますが、【制限】と【抑圧】のバランスが正しくないんじゃないか?とも思ったりします。

しかし【制限】と【抑圧】の正しいバランスなんて存じませんし、貧富の差が広がっている現代においては見えていないだけでバランスはいつだって一定なのかもしれません。

 

 


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しかし即席に知りたい情報を知れる(と認識している)現代、その即席性に慣れたことで長期的なものに対しての耐性がなくなっている影響により、長く考えるということやKUFUをすることに耐えられなくなっているのではないか?とか思ったりします。

ん?この長期的なものへの耐性がなくなる、というのは資本主義が持っている《派手》という側面も影響しているのか?などと思ったりして。

 

簡約化は【抑圧】と【制限】への対策であるも、その後の繁榮には寄与しない。ということなのか。

 

 

ところでカプレーゼってうんまァいですね。

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )