頭の中の洪水

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鬼滅の刃 遊郭編 第四話『今夜』感想・考察

 

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今回は「鬼滅の刃 遊郭編」の第四話『何者?』の考察・感想です。

 

👇第三話の感想👇

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死なない、ということは死んでいるということ

昼間の瓦屋根で炭次郎と伊之助が定期連絡を待っているシーンで、いつものわちゃわちゃちゃの時にいきなり宇髄さんが出現します。

それを見て伊之助は「音がしない。風が揺らぎすらしなかった」と動揺します。

肌感覺を大事にする伊之助が、まず『音』に注目したのが非常に興味深かったです。

宇髄さんが音柱なので、その特色の強調かな?とも思いますが、「もし音柱が『音を切りとる』とかの能力を持っているとかあるのかな?」とかも思いました。

『音を切り取る』ってジョジョかな?

 

 

そんな宇髄さんは炭次郎と伊之助に「生きてる奴が勝ちなんだ」と言います。

この言葉は煉獄さんの言っていたことと似たものがあるなと感じました。

かまぼこ隊の三人は煉獄さんが身を呈して護った人たちです。

 

その情報が他の柱や隊士の間で共有されていないわけがないし、柱が身を呈してまで護った隊士の一人は無惨さんを討つ手立てがある人間かも知れない、としたら、護るのは当然です。

 

『無限列車編』の感想でも書いたことですが、鬼は『日輪刀という特別な刀』を用いないと倒すことができません。

つまり、ある意味では『不死身』ということです。

しかし、そんな『死なない』というのは、むしろ『死んでるのと一緒』でもあるわけです。

そういった『一見不死身というのは"勝ち"に見えるけど、いつ死ぬのか分からないという「生きている状態」こそ"勝ち"であり、"価値のあるもの"だ』と言いたいのではないかとわたしは解釈しました。

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あと単純に、『辛くて死にたくても死ぬなよ。そこで死んだら辛い思いや記憶が辛いものとして決定してしまう。生きていたら、その経験が糧になって活きる出来事が起きるかもしれない。だから、死ぬな。生きている奴こそが勝ちなんだ』と言いたいのだとも思います。

 

死ぬなよ。生き恥は恥じゃない。

 

 

前回第三話の考察で『鬼は蛇のモチーフが多い』と書きましたが、やはり蛇っぽいと感じました。

第三話で伊之助が天井裏を移動する(これって『屋根裏の散歩者』だよね)堕姫さんを討つために客を巻き込んで壁を殴りますが、その時に帯が階下へ降りる挙動は、蛇とそっくりです。

 

堕姫さんの帯が蛇柄なのは前回書いた通りですが、鯉夏花魁の"喰べ方"が蛇のそれと全く同じです。

多くの哺乳類は『肉をちぎって喰らう』のですが、蛇は『丸呑み』します。

鳥の卵や、ねずみなどを丸呑みし、ゆっくりと消化するのです。

 

舌舐めずりも蛇っぽい表現です。

しかし、これまでの悪役が『舌舐めずりをモチーフ』としていた歴史があるので、その踏襲でもあるでしょう。

 

やはり鬼は蛇のモチーフを多用していますね。

 

 

鯉夏花魁と蕨姫花魁(堕姫さん)とで、過剰なほど分かりやすく『良い・悪い』が描き分けられていますが、なんとも悲しいというか複雑な氣持ちになります。

『悪役』である蕨姫花魁への読者のヘイト感情を強くするための舞台演出なのだろうとは思いますが、ああも一方的に『片方は善く、片方は悪い』と描かれているのは心苦しいものがあります。

 

あと鯉夏花魁に仕えている幼女の遊女見習いの二人のうち、片方(紺帯の子)は瞳の造形がかなり特徴的ですが、あの二人は蕨姫花魁と鯉夏花魁のことなのか?とも思いました。

 

第四話の最初に、幼い娘二人が「絵本を読んで」と鯉夏花魁にせびります。

この時に縞帯の娘さんは『幼キ子供』という絵本、紺帯の娘さんは『オヂヤウサン(お嬢さん)』という絵本を持っています。

紺帯の子の方が縞帯の子よりも『上の年齢』の本を持っていると思うのですが、さすがに考えすぎでしょうか?

 

それと単純に鯉夏花魁が美しい。

 

 

バブル的な価値観?

遊郭編』のメイン鬼と思しき堕姫さんと炭次郎とが初対峙します。

「鯉夏花魁を離せ!」と言う炭次郎の言葉を聞いて、堕姫さんは「誰に口を聞いているんだ!」と激昂します。

 

この堕姫さんは『汚い年寄りと、不細工は食べない主義』と主張していますが、今回の鬼は、いわゆる『若いは良い。若ければ若いほど良く、容姿が綺麗なものにしか興味がない。それ以外は存在する意味がない』という価値観に囚われた人なのでしょう。

そういった『目先だけの俗っぽい(かといって真理も含まれる)価値観』、バブル的な価値観に囚われた人の救済篇なのかな、と思いました。

今時の方々でいうと『港区女子』と言われている人とかでしょうか?(これは実態を知らぬまま世間で言われていることを用いた表現ですので、偏見や思い込みもあると思われます)

 

しかし『若ければ若いほど良い』という価値観は、遊女という世界で生きている方々からすればシビアな問題なのでしょう。

鯉夏花魁のように婚姻を結んでくれる人がいればいいけど、年月が経過するごとにそれも難しくなるのでしょう。

また、世の男たちの"無責任な"若さ信仰を押し付けられるのも、女性です。

 

生きるだけで『男の身勝手な評価』に晒されるのは女性達です。それも常時。

その男側の身勝手に対応順応させられた女性の話なのかな、と思った次第です。

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リミッター

いざ炭次郎と堕姫さんとが対決します。

この時に堕姫さんが帯で攻撃するのは分かっていたことですが、炭次郎の技も『水の帯』のように描かれています。

この対比がとても綺麗で、一枚絵としても成立する画作りがされていて「さすが上手いな」と感じました。

あのシーンは原作では見開き一枚絵か、あるいはページ1枚を使った大ゴマだったのではないでしょうか?

 

また吹き飛ばされた衝撃で炭次郎の背負った箱の肩紐が千切れます。そのために炭次郎はやむなく箱を下ろします。

これが『堕姫という鬼がとても強力な強い鬼だ』ということがよくわかりますし、ある意味では枷である箱を降ろすことで、少年漫画的なわかりやすいリミッター解除の意味合いを表現しているんですよね。

 

 

還暦

伊之助が炭次郎に『鬼殺隊士の階級』を説明しますが、陰陽五行の十干でしたね。

この『十干(じっかん)』は大衆的には認知が低いですが、干支(十二支)と非常に関係のあるものです。

 

我々日本人は生まれた年によって干支が決まります。

ですが、『酉』や『丑』という干支の前に『甲(きのえ)』や『丁(ひのと)』という十干がくっついています。

『丙酉(ひのえのとり)』や『辛辰(かのとのたつ)』という表現をされます。

干支と十干、12x10=60なので、六十歳を迎えることを『還暦(暦が一周して戻る)』というのですね。

 

今回、炭次郎らかまぼこ隊の階級は『庚(かのえ)になった』と描かれています。

十干が今後の物語の展開的にも重要な要素になってくるのかな?と思いましたが、昔から十干は階級を示す方法として用いられていたみたいです。

だから思い違いかなと思います。ですが、陰陽五行の考え方は今後も出てきそうだなと思いもします。

 

 

夜に生きる存在

前回の考察で『オープニング映像で宇髄天元さんが見ている花火は鬼殺隊士のことではないか』と書きましたが、夜に活躍する存在としては宇髄さんの前職である忍びも同じです。

なので、大きな花火が夜空に二輪咲きますが、それは宇髄さんが忍びの時代に『三羽烏』的に仲の良かった他の二人(里の幼馴染とか?)を示唆していたりするのではないか、と思った次第です。

 

もしかしたら宇髄さんが鬼殺隊に入隊するきっかけになった『鬼が関与した事件』で命を落とした二人なのかもしれません。

ただの考えすぎな酔狂だという可能性も大いにあります。

 

もちろん、曲の決め(ドラムの音)としてあったものに映像をつけただけで、上記のような意図などない、ということもあり得ます。

 

 

鬼殺隊士も忍びも夜に生きる者たちですが、遊郭で働く方々も『夜に生きる者たち』です。

ということは、この『遊郭編』では"夜"というのが、より多くの意味を持っているのかも?

 

 

いや?忍びはいわゆるスパイで、日中も諜報活動をするから『忍び=夜』というのはわたし個人の思い込みである部分が大きいか?

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

 

 

👇👇第五話👇👇

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